【後編】『石がある』太田達成監督、出演・加納土インタビュー「夜と昼の間で」
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大きな水門にぶつかることで、ふたりはそれ以上先に進めなくなる。そのときはじめて、「どこに向かっているのか」がふたりの間で問題になる。行きはよいよい帰りはこわい。日が傾き近づいてくる夜と、ふたりのそれから。(前編はこちら)
ーー枝一本からなにかが生まれたという話と、直後の場面で小川さんが約束の場所に行かずに川を去ろうとする場面はどこか対照的なような気がします。あのとき彼女はiPhoneを取り出します。
加納 スマホのカメラ越しに撮ってみると、これはすげえ状況だぞと客観的に思ったのかもしれないですよね。川から一旦離れて、視点が高いところから俯瞰して、なにかに気づいてしまったと。
iPhoneを出したのも、それがあったらなんでもできるじゃん、てなりますよね。こちとらそれまで枝一本で勝負してたんだぞ、と(笑)。
太田 川を離れたらもう関係性は作れないね、みたいな話はすごくしていた気がしますね。
ーー小川さんが「どこ向かってるんですか」と問う場面は、ふたりでいる時間はもう続かないのかもしれないという決定的な危機を感じさせます。ここでは、ふたりの出会いのカット尻がなかなか終わらなかったのとは対照的に、この映画で初めてふたりの間の切り返しという手法がとられています。
太田 切り返しというのは非常に映画的な技法だなと思うんです。あの場面は、それまでの川辺の時間とは違って、事前に書かれた決定的なセリフを明確に映画の語るべきこととして言うところなので、さっき言ったようなファーストカットがどんどん延長されていくような撮り方よりも、カットバックという手法の方が、写っている人と撮り方の性質が一緒になる気がしたんです。そういう「嘘のつきかた」を意識したというか、ここは「記録」というよりも「映画」としてつくられたのだ、と。カットバックによってふたりはそれぞれ別の画面にいるし、撮影自体も別の時間として撮られているわけです。ふたりが別であるということを示すために、カットバックだったのかなと。
加納 カットバックってすごいですよね。僕も初めて経験して思いましたけど、何回もやるんですよね(笑)。同じ顔、同じセリフを何回もやるというのは、それまでのシーンでテイクを重ねたのとはどこか違っていて、役者として出演すると「つくり物」という感じが実感としてありました。撮り方によって身体がさっきまでとは違う、というか。
太田 決められた台詞を言うという、ある種ちぐはぐで不自然な行為に対しては、むしろ身体が違和感を感じる撮り方をした方が、その人自身が映るんじゃないかと思ったんです。
ーー無くした石を探す、という仮の目的を設定することで、ふたりの道行は延長されるわけですが、復路の雰囲気は往路と同じではもうありません。
それをどこかで象徴しているのが、これから探す石の特徴を言い合うシーンのような気がします。加納さんは形や大きさなどの話をするのに対し、小川さんは「ざらざらしたやつ」と答える、その噛み合わなさ。その部分は細かく書かれたセリフなのでしょうか。
太田 いえ、現場でああなったという感じで、一度ほかの場所で撮っていたのですが、なにか違うと感じて、場所を変えて撮り直したことでそのセリフが生まれました。かなり苦労して、半日ぐらい試行錯誤した箇所なので、これでようやく折り返せるなとホッとしたのを覚えています。ふたりのそれぞれの性質を出しつつこの場面ができていった。
加納 石の表現の仕方はそれぞれがその場で思いついたものだったと思います。僕の「丸っこいやつですよね」ってセリフは、石ってだいたい丸っこいだろって思います(笑)。でも彼としては幸せな時間がまだ続く、っていうところだからなんでもいいんですよね、そんなことは。個人的にはこの場面、加納土という人物が投影されている場面というか(笑)、自分自身似たようなシチュエーションがよくあって、楽しい時間が続くんなら細部はどうでもいい、みたいな気分なんじゃないですかね。
太田 折り返すときには、この先ももう少し遊ぶかなと思っていたのですが、結局そういう雰囲気にはならず、後半はただ歩くだけになったというのは、もしかしていまおっしゃられたようなことと関係があるのかもしれない。
ーーやっぱり楽しい時間が続くとは言いつつも行きと帰りは一緒ではないですよね。ヘリの音がどこか不穏に鳴っていたり。
太田 本当にビックリしました。「あれ?全然遊べない......」って。どうやって石をなくした場所まで戻る様子を撮ればいいだろうと考えたんですが、ただただ歩く姿を撮るしかなかった。
逆に言えば、元いた場所に戻るというミッションが課せられたことによってその姿が撮れたのかもしれなくて、そうでなければふたりがただただ歩く様子なんてあのタイミングで撮れなかったように思います。
ーーその「遊べない」感じは役者のおふたりの体感から生まれたものだったんでしょうか?
太田 そうですね。特に小川さんは、「もう笑えない」って感じで、「そっか、じゃあ歩くしかないね」と。
加納 行きは明確な目的なんてなかったのに、帰りは石を探すという目的が出来たことが大きいんじゃないかなと思います。最初の場所で石を探すという目的によって、それ以外の余白のようなものがなくなってしまったというか。自分自身も心無しか目的に追われてずんずんずんずん進んでしまっている。
太田 実際、目的を持つことによって行きのときよりも徐々に遊べなくなるということはメモで残していました。だからもし、この作品が順撮りではなく、シナリオに合わせてロケ地もばらばらの場所にあったなら、帰りも遊びのシーンをいくつか撮っていたんじゃないかと思います。順撮りだったからこそ生まれた雰囲気だなと。
ーー小川さんが、そのあたりを熟知しているはずの加納さんも知らない川に降りる道を発見するくだりも、帰り道はそれまでとは違うという雰囲気を感じました。
加納 あとすごく記憶として残っているのは、帰りのシーンはもう暗くなってきているという場面だし、実際に撮影も日が暮れていく中で行われているので、遊び感はなかなか出てこなくなった気はします。日が暮れていくという焦りが。
ーー夜がやってきてふたりが別れることで、この映画に対する観客の視点が大きく転換するような気がするんです。昼の間は、「森のクマさん」のような、小川さんが得体の知れないなにかと出会う話かと思っていたら、夜がやってきたとき、あれ?本当に得体が知れないのはどっちなんだ?となる。
太田 確かに、小川さんには"生活がない"ということが徐々にわかるようになるということは考えていました。
加納 ガソリンスタンドに入って寝ちゃうんだからどっちがクマさんだよですよ(笑)。
ーー小川さんの携帯の電源が切れた次のカットですが、あれは電飾がついた民家なんでしょうか?遠くの夜景にも見えるし、反対側の光がガラスに映り込んでいるようにも見える。ここは一体どこなんだ?という異様な風景です。
太田 はい、あれは電飾ですね。携帯の電源が切れるだいたいの場所だけは決めていて、後の夜道はガソスタまで実際歩きながら撮影していきました。電飾がついた民家も前もってロケハンしていたわけではなく、たまたま出会った場所です。編集の大川景子さんも「海みたい」とおっしゃっていて、「カラコレで背景の家を潰して海にしちゃえば?川と海が近いのもおもしろいじゃん」と言われたんですが、さすがにそれはキリがないなと思いやめました(笑)。
ーー小川さんの生活がないことが徐々にわかってくるという話とは反対に、加納さんの日記があの男の知られざる側面を浮かび上がらせます。日記の内容はあらかじめ決めてあったのですか。
加納 日記は私が独創的な才能を発揮してその場で書きました(笑)。
太田 そこまでなにも決めてなかったわけじゃないと思うけど(笑)、土くんじゃないと書けないものになったなと思いました。そのときどう思っていたのかとか、語れるポイントがたくさんあるのに、朝ごはんになにを食べたとかを書くのかと。
加納 そこもさっき話した石積みのシーンと同じで、なにを書くかよりはなにを書かないかを意識していました。楽しかった、別れが寂しかった、また会いたい、そういうことではなく事実を書こうと。でも、事実も本当にいろいろなことがあった中で、ああ書くことを選んだんだってことが、彼という男を示しているんだと思います。
それと、仕事をしているかどうかに関しては事前に特に伝えられていなかったので、僕が書かなければ彼は無職の人になっていたと思います。
ーーそれはこの映画にとってものすごく大きな要素ですよね。なにかはわからないけど仕事はしているし、朝ごはんもちゃんと食べる人なんだ、と。そのせいか、次の日の朝、川の中で石を探している場面で靴を脱いでズボンの裾も捲っているのを見ると、川に入ると濡れるって学習したんだなと思います(笑)。
太田 そこについてはだいぶ話し合いましたよね(笑)
加納 僕はあの人にとって前の日は人生の中でも特別な日だったんだなと思いました。川を渡って人に会って、ズボンが濡れるなんて気にしない、そういう日だったんだと。だから平常に戻ったらズボンを捲るというのは、逆に前日がいかに奇跡だったかを表していると思います。
ーーラストで探していた石と同じものかもしれない石を見つけますが、石のアップのカットに続くのが加納さんがそれを見つめているカットではなくて、後ろを振り返るような、周りを見渡すような仕草に見えます。
太田 あれは土くんがよろける瞬間です。その姿に彼らしさが表れているという話になり、そのカットが選ばれました。
ーーあの石かもしれないものを見つけたけど、リアクションとして彼はその石を見つめていない。もしかしてあの瞬間、彼は大きさやかたちじゃなくて、小川さんが言っていた「ざらざら」のようなものとして石を知覚したのかなと思いました。
太田 そのような狙いではなかったのですが、手のカットとその前後のカットがつながっていないようにすることは意識していました。元々手のカットで終えることは決めていたのですが、気持ちよく土くんの手として認識できるようなものではなく、もっと誰のものでもない「石と手」のようなものを提示したいと思っていました。なので整音もあのカットだけ環境音が少し違うものになっています。少しほかとは時間が違うというか。
ーー最後にひとつだけ細かいことを。小川さんがチャコの散歩当番表に書く文字は、手の動き的に「小川」ではない気がしたのですが。「古川」ですか?
太田 「吉川」と書いてあります。一応彼らにも名前や職業もあったんです。でも川を歩くに連れてどうでもよくなっていったんですよね。
加納 そう、当初はお互いに設定とか生い立ちを想像したりしてたんですけどね。ちなみに僕の役名は「土井」さんでした。
太田 川を歩くことで、そのようなものがどんどん剥がされていく感覚があったというか、ただの人と人にだんだんとなっていった。だからあの場面は、僕自身もあらためてそんな名前だったんだとびっくりしました。
加納 ちなみに僕も監督にひとつ聞きたいのですが、お風呂に入るシーンを撮ったけど使わなかったのはなんで?
太田 それは......パンフレットに書いたので、読んでください(笑)。とてもおもしろいものができたので。
ーーでは、みなさんパンフレットおもしろいのでぜひ買ってくださいということで(笑)。
2024年8月15日、渋谷ー八丈島 取材・構成:結城秀勇 協力:芳賀祥平
『石がある』
2024年9月6日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、ポレポレ東中野ほか全国順次公開
2022年/日本/スタンダード/104分
監督・脚本:太田達成
出演:小川あん、加納土 ほか
撮影:深谷祐次 録音:坂元就 整音:⻩永昌 編集:大川景子 助監督:清原惟 音楽:王舟
製作・配給:inasato
制作協力:Ippo
配給協力:NOBO、肌蹴る光線
宣伝:井戸沼紀美 宣伝協力:プンクテ
特別協賛:株式会社コンパス 協賛:NiEW
©inasato
太田達成(おおた・たつなり)
1989年生まれ、宮城県出身。植物の研究をしていた大学時代、レンタルビデオショップで偶然手にとった『⻘の稲妻』(ジャ・ジャンクー監督)に衝撃を受け、友人と映画制作を開始。初の短編『海外志向』で「京都国際学生映画祭」グランプリを受賞したのち、東京藝術大学大学院で黑沢清、諏訪敦彦に師事した。修了作品『ブンデスリーガ』は「PFFアワード」、スペイン「FILMADRID」等に入選。『石がある』は自身初の劇場公開作となる。
加納土(かのう・つち)
1994年生まれ、神奈川県出身。武蔵大学の卒業制作として「共同保育」で育てられた自身の生い立ちに関するドキュメンタリー映画『沈没家族』の撮影を開始。完成した作品は「PFFアワード」で審査員特別賞を受賞するなど高い評価を得たのち、全国で劇場公開された。2020年、筑摩書房より初の著書『沈没家族子育て、無限大。』を上梓。『石がある』では演技未経験ながら、主役を務めあげた。