「第7回映画批評月間 フランス映画の現在をめぐって」の開催に寄せて 連載1回目 マルグリット・デュラスの言葉

 ともに観て、語り、ときに議論し、そして文字になり、創作へ――こうした営みが弁証法的につながり合うことで、映画文化は豊かに発展していく。上映だけでなく、作り手や出演者、批評家、上映の専門家らによるディスカッションやシンポジウムも開催する映画祭「映画批評月間」は、まさに映画をめぐるそうした対話と交流の場を目指して歩み続けてきました。
今年の映画祭の背骨となるのは、「没後30年 マルグリット・デュラス全作上映」です。
 1960年代半ばから1984年にかけて、マルグリット・デュラスは19本の映画を監督しました。小説家として知られる一方で、映画においても独自の表現を追求し、物語映画の常識を大きく揺さぶりました。映像と音の関係、語ることと見せることの関係を根本から問い直したその作品群は、今回上映する新作・近作を含め、現在の映画制作にも大きな影響を与えています。
 日本初となる全作上映を記念し、1992年に開催された映画監督デュラスの初の本格的なレトロスペクティブ*に際してカタログに寄せられた言葉を、ここに訳出して紹介します。そこには、彼女のミューズであり、この映画祭のもうひとつの柱でもあるデルフィーヌ・セリッグへの最大限の賛辞と、その死に対する深い悲しみが刻まれています。

*この1992年のレトロスペクティブは、フランス外務省映画部門(元東京日仏学院院長でもあるマリー=クリスティーヌ・ドゥ・ナヴァセルが代表を務めていました)とシネマテーク・フランセーズが、デュラス本人と、彼女の重要なコラボレーターで、小説家のジェローム・ボジュールの協力をもとに開催された。


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 私の最初の映画は『ラ・ミュジカ』だ。物語はすでに書かれており、それを撮ればよかった。映画を作ろうと思ったのは、自分の小説から作られた映画に我慢がならなかったからだ。すべての映画――本当にすべてが――私の書いた小説をことごとく裏切った。ここまで裏切れるものかと信じ難いほどに。
 最も信じ難い裏切りは、ルネ・クレマンによる『海の壁』だった。原作『太平洋の防波堤』の結末では、母の死後、兄ジョゼフはすべての土地を農民たちに分け与え、銃も、家も手放す。しかしクレマンの映画では、兄は彼らに何ひとつ与えることなく、再び防波堤を築き始めるのだ。私はこの馬鹿げた行為から、二度と立ち直ることができなかった。だからこそ、自分で映画を作ることにした。
 『ラ・ミュジカ』では、テレビで監督をしていたポール・セバンを助手としてつけられた。映画の撮り方を私に見せるためだった。私はすぐに理解し、撮り始めた。ロバート・オッセンは、「女」なんかに「指示」されるのは耐えられないと怒鳴っていた。しかしデルフィーヌは、一緒に仕事ができることをとても喜んでくれた。
 そして私は撮り続けた。私はこの映画が大好きだ。モノクロのデルフィーヌが大好きだ。この映画で彼女はすでに、私にとって夢そのものだった。『インディア・ソング』のアンヌ=マリー・ストレッテルと同様に、彼女は輝いている。私にとってデルフィーヌは映画の女王だ。彼女の死はいまだ信じられず、今も深い悲しみに打ちひしがれている。もし私が再び映画を撮ることになれば、この死は、女優としての無限性、女性としての無限性、彼女の肉体の無限性、そして胸を打つデルフィーヌ・セリッグという真実の無限性として、これからも私の中に生き続けるだろう。
 『インディア・ソング』はラ・パゴトという映画館で、5年間ずっと上映された。道を歩いていると、カルロス・ダレッシオが作曲したタンゴのメロディーを、小声で口ずさむ若者たちとよくすれ違った。クランクインから4日ほど経ったころ、デルフィーヌはそっと私にささやいた。「あなたはとても美しい映画を撮ろうとしているんじゃないかしら」と。
 『インディア・ソング』は、私たちみんなにとって祭りであり、祝祭そのものだった。そこには軋轢のかけらもなく、ロトシルド邸の空に雲はひとつもなかった。そして常に、ショットの前には、ラオス人の若い歌手が「物乞い女の歌」を歌っていた。その歌を聞きながら、私たちは涙を流していた。
 この祝祭は、『ヴェネツィア時代の彼女の名前』の撮影で再び始まった。その後は、自分が何をしたのかもう分からない。ただ分かっているのは、19本の映画を撮ったということ、そしてそのうち4本が短編であるということだ。そのタイトルは『セザレ』『オーレリア・シュタイネル(メルボルン)』『オーレリア・シュタイネル(ヴァンクーヴァー)』『陰画の手』である。
 多くの人々は、これらの短編映画を非常に重要な作品だと考えている。いずれも政治的な意味合いをもつ作品だからだ。私も同意見だ。これらの作品は撮影監督のピエール・ロムと数日で撮ったものだ。パリ市の依頼でアンリ・シャピエから注文された。まだ作っていない2本の短編の企画がある。『オーレリア・シュタイネル(パリ)』と『手折られた刺草』だ。二つのテクストは『苦悩』の中に収められている。そしてもう一本『恋人たちのホテルに残された最後の客』。舞台となるのは、夜のシャンボール城の庭園。人気のない静寂のなか、噴水も止まり、灯りも消えている。聞こえてくるのは、遠くを走る車の音と、はるか彼方を流れるロワール川のせせらぎだけだ。
私はもう、物語や小説を映像化したいとは思わない。むしろ撮りたいのはテクストなのだ。それは偶然から生まれたものかもしれないし、政治的なものかもしれない。あるいは偶然――私自身の偶然――から生まれたものかもしれない。


1992年10月2日 トゥルーヴィル
マルグリット・デュラス

第7回映画批評月間 フランス映画の現在をめぐって
会期:2026年6月7日(日)〜7月19日(日)
会場:東京日仏学院エスパス・イマージュ
詳しくはのHPをご覧ください