特集『ソング・サング・ブルー』

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 『ソング・サング・ブルー』の中盤、「世の中には新しいものを買える人間もいれば、私たちみたいに使い古しを継ぎはぎするしかない人間もいる」というセリフが吐き捨てられる。『ハッスル&フロウ』と『ブラック・スネーク・モーン』ではもはや若いとは言えない人物たちを物語の中心に置き、それからはリメイク(『フットルース 夢に向かって』)や長い空白を挟んだ続編(『星の王子ニューヨークへ行く2』)がフィルモグラフィを占めるようになったクレイグ・ブリュワーの仕事と、「使い古し」という言葉はどこか響き合う。題材の選択のみならず、たとえば残念ながら劇場公開されなかった最近の2作、『ルディ・レイ・ムーア』と『星の王子ニューヨークへ行く2』は、スクリーンから遠ざかり、過去の人になりかけていたエディ・マーフィーの再起にブリュワーが手を貸した作品にほかならず、そのようにオリジナリティから距離を取ることへの躊躇いのなさが却ってこの作家を先鋭的に見せている。だから代表曲「スウィート・キャロライン」の大ヒットからすでに30年近くを経たニール・ダイヤモンドの、しかもそのトリビュートバンドを組む夫婦を題材とした『ソング・サング・ブルー』は、同名のドキュメンタリーを元ネタにしているという意味でも、かつて(60年代末に)流行った曲を今更(90年代に)歌う人たちについての話という意味でも、まさにこれ以上なくブリュワーらしい題材だと言える。
 ただし、ブリュワーにとっての問題は、古さをいかに懐かしむかでも、いかに現代風に更新するかでもない。中古品を修理しながら使い続けた際に残る「修理痕」のように、有名無名を問わず、人や作品に堆積した時間とともにある「現在」をいかに捉えるかという点にあるだろう。その問いに対するブリュワーなりの応答は、作品ごとに形を変えながら探求されてきた。本特集では、『ハッスル&フロウ』から『ソング・サング・ブルー』に至る、そうした試みの変奏を振り返る。

4 月17日(金) TOHO シネマズ 日比谷 他 全国ロードショー


『ソング・サング・ブルー』

出演:ヒュー・ジャックマン、ケイト・ハドソン ほか
公開表記:4月17日(金)全国公開
配給:ギャガ ユニバーサル映画
公式HP:https://gaga.ne.jp/song_sung_blue/

『ソング・サング・ブルー』(2025) 梅本健司

 タイトルクレジットのあと、フォーカスの定まらない画面からぬっと前に出てくるヒュー・ジャックマンの顔が、まず印象に残る。正確には、彼の左の目元にある、アザなのかクマなのか判然としない黒ずんだシミに目が引き寄せられる。映画を見終え、役のモデルとなった実在の人物の顔を確かめても、同じような黒ずみは見当たらないから、おそらく撮影時のヒュー・ジャックマン自身の顔にあったシミそのものなのではないかと思う。以後、それが物語のなかで言及されることはないし、カメラがあらためて強調することもない。それでもふとした瞬間、彼が左の目元を擦るたびに、その黒ずみはいまもそこに残っているのだろうと思いながら『ソング・サング・ブルー』を見続けた。

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『星の王子ニューヨークへ行く2』(2021) 荒井南

 思いがけず生まれた生き別れの息子に会うため、アフリカのザムンダ王国を統べるアキーム王が30年ぶりにニューヨークを訪れると、クイーンズ区のマイ・T・シャープ理髪店は相変わらずであった。アキームとその忠実な従者セミが姿を見せた途端、常連客は「クンタ・キンテじゃないか」と声を上げ、従業員も「紛争ダイヤ」、別の店員も「ネルソン・マンデラ」と続き勝手に盛り上がる。だが若い客が「ハエだらけの子供」と混ぜ返した途端、連中は急に真顔になり、「飢えた子供をネタにするヤツは帰れ」「不適切表現だ」「しつけが足らん」と総スカンし追い出してしまう。客が浮かべる腑に落ちない顔を、観ているこちらもする。「それはダメなんだ?」と。

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『ルディ・レイ・ムーア』(2019) 板井仁

 クレイグ・ブリュワーは音楽がもつ変容の力をテーマに映画を制作してきたといえる。『ルディ・レイ・ムーア』もまた、音楽やコメディといったパフォーマンスによる変容の力を描いているが、注目すべきは、既存の産業から排除されたものたちが、DIY的な実践、すなわち自分たちの手によって表現の場を立ち上げていく、そのプロセスにある。

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『フットルース 夢に向かって』(2011) 結城秀勇

 ハーバート・ロス版『フットルース』のオープニングの足元ダンスは、みんな本当に履き古した靴なところがとてもいい。もちろんブリュワー版もその精神を受け継いではいる(靴のボロボロ度ではオリジナルのほうが上)が、真にブリュワー的と呼ぶべき改変は、この足元のダンスが、実は3年前に開かれたパーティだったとわかるシーンの追加ではないだろうか。ロス版では登場人物たちの語りの中にしか登場しなかったアリエルの兄ボビーがそこにいて、踊り、やがて自動車事故を起こす経緯が追加されている。

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『ブラック・スネーク・モーン』(2006) 梅本洋一(再掲)

 平日の午前中にブルースは似合わないかもしれない。だが、映画館にはTシャツでヒゲを生やした中年男たちが集まっている。どこかで(boid.net?)サン・ハウスの貴重な映像が入っていることを聞きつけた、世の中に回収されるのを今なお拒んでいる初老のオジサンたちのように見える。いつもならぜんぜん場違いなぼくの服装も、この朝のシネアミューズならスタンダードに思える。

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『ハッスル&フロウ』(2005) 金在源

 クレイグ・ブリュワーの『ハッスル&フロウ』を今見返すことにはどのような意味があるのだろうか。本作はいわゆる「アメリカンドリーム」を手に入れる物語ではない。主人公のDジェイ(テレンス・ハワード)が投獄されることでその物語を終える本作は、単純な資本主義的成功ではなく、その外側で一人の人間が救済されることに重点を置いていると言える。だが同時にその背後で搾取され続けてきた人々の存在も忘れてはならない。本作を今見返すことの意義は、救済と搾取の二重性を引き受けながら作品を捉えなおすことにあるのではないだろうか。

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