映画の音・映画の声

佐藤シナリオをつくっているときに大きかったのはリコーダーのアイデアが出てきたときで、小出さんともども、これはこの映画の核になるアイデアだなと思いました。これで彼ら・彼女らの物語がつながると。このアイデアは、一度だけホン打ちの席に三宅唱くんが遊びに来てくれたときに出たもので、大きなお土産を置いて彼は帰っていきました。

小出『ペイルライダー』(1985)のイーストウッドが、誰も壊せなかった大きな岩を金槌で砕くシーンがありますね。よそ者が、金槌の音で集落の人々からの視線を集め、岩を砕くほどの力を見せることで、いわれのない暴力にさらされている虐げられた人々の希望の象徴として屹立していくという素晴らしいシーンです。教会もない場所で砂金採りをしている集落に響く金槌の音が鐘の音色にも聞こえたりするところがおしゃれです。そんな風に人の注視を音で集めるような道具をオファーしたところ、三宅くんが良いアイデアを出してくれました。さらに、リコーダーは分解できるからきっと面白くなるって喰いつきましたよ。

佐藤それにリコーダーを海に浮かべたら、横に浮かぶものだと思いきや、縦に立って浮かぶから視覚的にも面白い(笑)。

©神戸映画資料館

小出タイタニックですね。

佐藤そうか、この映画のリコーダーはタイタニックだったか! ふたつに割れて縦に沈む(笑)。ともかく、撮る前と撮った後では、僕もこういうかたちになったのかとかなり驚いたところはあった作品でした。自分が頭のなかで考えていることを、いろんなところで超えていくということがあるのは刺激的だったなと。主人公の少年は素人の子で、シナリオ尺で60分程度あったものを6日間の撮影でほぼ出ずっぱりという、過酷なスケジュールということもあったので、はたして大丈夫だろうかという思いはありました。ただ、感情が見えない素の「顔」の感じがとても良かったのと、キャスティングを担当していた安川有果さんが「大丈夫です!」と後押ししてくれたので起用しました。結果、この映画がもし古びないものになっているとしたら、それは一本の映画のなかで「ある少年の成長そのものが記録されている」からなんじゃないかと思うほど、彼はよく映ってくれました。とりわけ、ラストシーンのヒロインの女性とのかけあいのシーンのふたりの声は、まさに彼、彼女がいまここにいる、という奇跡的な瞬間をもたらしてくれました。俳優たちのしゃべり方のトーンに関しては、リハーサルの段階ではとにかく彼ら彼女らの発話が立ち上がることに終始していて、それが出てくれば僕は何も言わず、現場ではなるべく良い声を聴けるよう後押ししたくらいです。

小出自分の考えという檻から引っぱり出されるのが映画づくりですね。

佐藤そうなんです。ときどき演劇的と言うのでしょうか、どこかで聞いたようなセリフ回しをする俳優の方がいらっしゃいます。「どこかで聞いた」というのは、ある規則に沿って書かれた日本語のセリフはこういう風に間を取って、こういう節回しで言うんだよ、というクセと言うのか。たとえば変なところで語尾を伸ばすなど、そういうクセや慣習的なものが強ければ強いほど、一聴するといかにもな感じでそれっぽいんだけれど、案外雰囲気だけで何を言っているのかわからないことが多い。現場で気をつけていることは、まずは最初の観客である僕にセリフが意味としてではなく、「この」俳優の「この」身体から発話された言葉としてしっかりと耳に入ってくるか、ということです。逆に言うと、セリフがしっかり言えていれば、動きはOKなはずだとも言えます。この映画のラストシーンで響く声は、ここでしか聴けないかけがえのない声になっていると思いますので、ぜひ見ていただきたいと思います。なるべく現場の雰囲気や俳優たちのかたちができあがるように後押ししつつ、監督も思いもよらないところを発見しながら映画を撮っていく。月並みですが、『MISSING』という映画は、そういったチャレンジすることの醍醐味を強く感じさせてくれた自分にとって大切な映画になりました。

(2011年8月13日神戸映画資料館での『MISSING』上映後に行われた、佐藤央&小出豊による映画ワークショップにおけるトーク内容に加筆・修正を加えて掲載)

取材・構成・写真
高木佑介

協力
神戸映画資料館

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