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October 31, 2006

『ジャズ・ソングズ』ディック・ミネ
梅本洋一

[ cinema , music ]

 なぜか分からぬ──否、本当は、いろいろ理由はあるのだが、それについて書き始めると、どうしようもない長さになる──が、ディック・ミネの「ジャズ」が聴きたくなった。『鴛鴦歌合戦』に出演していたディック・ミネなら知っている人もいるだろう。ほとんどが1930年代に録音された音源で構成されたこのCDを、ようやく通販で手に入れ、さっそく聴いてみる。偶然77歳になる母が家にいたので、一緒に聴いた。リアルタイムで彼の歌を聴いたことがある、と言っていた。「ダイナ」「黒い瞳」「上海リル」……太平洋戦争が始まる前の大ヒット曲を中心に25曲が集められている。どれも素晴らしい。日中戦争以前の東京のグローバリティが分かる。たとえばマーク・サンドリッチの『踊らん哉』(Shall we dance?──といっても周防さんの映画ではない)をDVDで見た人もいるだろう。1937年のフィルムだ。フレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズのコンビのフィルムの中でも最良の一作。その主題曲のカヴァーをすでに同年に録音している。上記の「上海リル」はジェイムズ・キャグニー主演の『フットライト・パレード』の主題歌だが、それも日本封切りの年にもうカヴァーしている。そしてどちらもオリジナルとは別の味を出していて、とてもいい。
 当時ジャズといえば今のようなジャズを指すのではなく、西洋のポピュラー音楽の全体を指しているようだ。ここにもロシア民謡(「黒い瞳」)、アルゼンチンタンゴ(「奥様お手をどうぞ」)、ハワイアン(「ブルー・ハワイ」──エルヴィスのではない)、カントリー(「たのし春風」──Careless Love──これは昨年、マデリン・ペールーが出したCDのタイトルでもある)まで、なんでも入っている。アレンジはちょっと古いかも知れないが、目を瞑って聴いていると、モダン東京が見えるようだ。戦争中の「鬼畜米英」のスローガンもなく、単に素直に欧米の文化を移入し、それを自由にアレンジして唄うディック・ミネの声を聴いていると、アメリカ映画がたくさん輸入され、これからやって来るべき戦争の影など知るよしもなく、モボやモガが銀座を闊歩した姿が映し出されるようだ。