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April 11, 2013

『ホーリー・モーターズ』レオス・カラックス
増田景子

[ cinema , sports ]

かつて見た映画がある時、自分の日常にすっと寄り添ってくることがある。


初めてリアルタイムで見られるレオス・カラックスの新作、そして監督の来日とお祭り騒ぎの熱狂のなか、午前中に日仏(現アンスティチュ・フランセ東京)で行われた廣瀬純さんの映画講義(スペシャルゲストにカラックス!)を受け、そこから渋谷に移動してユーロスペースでの日本初上映を立見席で見たのは、まだ息の白かった1月末だった。
その時は霊柩車を思わせる白いリムジンに運ばれながら次々とアポをこなしていくオスカー氏(ドニ・ラヴァン)の変幻自在ぶりと身のこなし様、またそんな「演技」から紡がれるいくつかの断片的な物語に興奮していた。そして「行為の美しさ」というしごく曖昧な言葉で説明された彼の行動原理とは一体どういうことだったのかと頭の隅で考え続けていた(隈元くんが1月末に書いたジャーナルはまさにその煙に包まれたオスカー氏の行動原理について書かれている)。


そして今は桜も散った4月。この映画が公開されたと聞いたからかもしれないし、様々なつぶやきを見たからかもしれない。理由はわからないが、ガレージに停めたれた車を見て、この車も「HOLY MOTERS」に集まってきていた白いリムジンのひとつで、そしてこの車を運転していた人物は数々のアポをこなしていくオスカー氏だったのではないかと思う瞬間があった。


そしてひとつの等式が思い浮かぶ。
「行為の美しさ」=「いい仕事をすること」


映画の中盤にオスカー氏のエージェント(ミシェル・ピコリ)がリムジンに現れ、仕事ぶりを賞賛する一方で、彼の仕事ぶりに疑念を抱く声が一部に存在していると忠告を受ける場面がある。ここで彼にも同僚がいることを知るのだが、それはさておき、エージェントは彼の仕事へのモチベーションが何かと問う。その時の回答が「行為の美しさ」だったのだ。これは仕事を始めた時から変わらないという。


「行為の美しさ」と聞いて、ずっと思い浮かべていたことはドニ・ラヴァンの身体に対するカラックスの興味と実験の数々であった。『ボーイ・ミーツ・ガール』の強張った表情とぎこちない所作、『汚れた血』の疾走感あふれるダンス、『ポンヌフの恋人』の引きずられた脚と重ねられる傷。今回の来日でのトークでも変わらずカラックスは、ドニ・ラヴァンのプライベートには全く興味がなく、彼の身体をどのように動かすかに興味があると語っていた。そういった「ドニ・ラヴァンの行為の美しさ」に気を取られすぎていたと言ってもいい。確かにそれは一要素かも知れないし、そういった俳優の身体にカラックスが興味を持ち続けていることも彼の映画を語るひとつの重要な切り口である。


だが、そういった切り口はすでに書かれたものに委ね、あえてここでは行為を「仕事(work)」と置換することから始めたい。誰のためか何のためか分からぬが演じることを生業としていたオスカー氏にとって、彼の演じたメルトの不気味な動きも死を迎える老人の寂しい佇まいものモーションキャプチャーの軽やかな身のこなしも「行為」であり、彼の「仕事」なのである。つまり「行為の美しさ」を追求し、体現していくことが彼にとって「いい仕事をすること」を意味するのだ。そこでは何のため、誰のためにということはアポのうちに含まれたことにすぎない。彼が何者であるかということも重要ではない。結果こそがすべてなのである。


つまり彼にとって日も昇りきらぬ早朝から真夜中まで、食べる間も惜しみ、咳込みながらも、物乞いから殺人まで多種多様なアポをこなす原動力は「いい仕事をしたい」の一言に尽きるというわけだ。そのためにリムジンに積み込まれたメイク道具や小道具を、ときには取り寄せてもらい、仕事をこなしていく。もちろん、仕事、つまり演技だから業務を遂行すれば無傷で、次の仕事に引きずることはないが、夜中の車内でみせる彼の態度をみれば、仕事中に受けた心労や疲労は確実に彼の身体に残り、蓄積されている。それでも彼は「いい仕事をする」ためにリムジンで移動しながら、それぞれのアポにそぐった行為によって、結果を出し続けるのだった。


『ホーリー・モーターズ』はカンヌ国際映画祭や『カイエ・デュ・シネマ』、『フィルム・コメント』など各方面から賞賛を得ている。また過去作品の特集上映の盛況ぶりひとつをとっても、彼自身も年月が経っても支持される「いい仕事」をやり遂げてきたことは明らかである。カラックス自身もまたオスカー氏のように「行為の美しさ」を求めて映画を撮ってきたし、これからも撮り続けてほしい。


『ホーリー・モーターズ』は飛びまわりながら「いい仕事」をやり遂げ続けている人、そして続けてきた人についての映画なのだ。そんなことをそのガレージに停まった金色の車を見ながら思ったのだった。



渋谷ユーロスペース、シネマカリテほかにて全国順次公開