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パリ滞在日記1 2013年5月7日(火)

 5月7日、4年ぶりの海外渡航だというのに、たいした準備も出来ないままエールフランス機に乗り込んで、シャルル・ド・ゴール空港に向かう。5月15日から開催するカンヌ映画祭の取材(と称した旅行)が今回の目的で、nobody最新号の準備もかなり中途半端に投げ出して出発してしまったのだが、まあパリでも何かしらのことはできるだろうとタカを括っている。とはいえ、日本を発つ前日に購入した廣瀬純の最新刊『絶望論』を機内で読み、いたく感銘を受けた一方で、まあ自分がパリでできることなんてたいしたものにはならないだろうと、パリ到着前からすでに己の無力さを実感。こんな心構えでパリに行っていいものなのだろうか。

  案の定、準備と下調べの不足が祟ってか、今回の旅行でお世話になるクレモン・ロジェとの待ち合わせ場所の北駅で、彼に連絡をつける手段がないことに気づく。さすがに携帯で国際通話はちょっと、ということで、フライトの疲れからか10分くらい思考停止したのち、とりあえず駅のパン屋でショーソンを買ったついでに店員に公衆電話の場所を聞く。大雑把に「あっちの右よ!」と言われたので「あっちの右」に行ってみると、そこにはたしかに公衆電話が。クレモンの番号をメモし忘れたので、パリ留学中の槻舘南菜子さんに電話。が、留守電。万事休すか、と思って受話器を置くと、公衆電話が鳴り出す。受話器を取ると槻舘さんで、クレモンに連絡して迎えに行ってもらうとのこと。海外の公衆電話って呼び出しできるんだ、そういえばダーティハリーもサソリからの連絡を公衆電話で受けてたな、たしかにこの北駅はなんかヤバい匂いがプンプンするぜ!などと、どうでも良いことが頭をよぎる。こんなどうしようもないことを最初の日記に書いていいのかと思うが、とにかくその時僕はそれくらい疲れてたのだった。  

  この時期のパリは日が落ちるのが遅く、20時でもまだ明るい。DVDが山のようにあるクレモンの家に荷物を置いて、槻舘さんとクレモンに案内されて「ジャネット」というビストロで晩御飯。「東京の様子はどう?」とクレモンに聞かれたので、梅本さんがいなくなってから少しつまらなくなったよと、白ワインでたいして頭も働かない状態で返事をする。梅本さんと最後に会った東横渋谷ターミナル駅や、梅本さんに連れられていった横浜馬車道の洋食屋ポニーがなくなったことくらいしか思いつかないのだが、どうして僕は今の東京界隈を「つまらなくなった」と感じているのだろう。パリにしばらくいれば考えがまとまるだろうと、今はひどく楽観的に考えている。

  明日は水曜日だから、パリの映画上映情報を網羅すりパリスコープが発売されると槻舘さんが言っていたので、キオスクかどこかで買うことにしよう。クレモンとル・シャンポという映画館で、日本で見逃していたロバート・アルドリッチの『合衆国最後の日』を午後から見ようと約束し、ベッドで『絶望論』の続きを少し読む。廣瀬純が責任編集を務めた週間金曜日に載っていたフランコ・ベルディが「未来とは待機・想像力・準備のことだ」と言っていたことを思い出しながら、寝た。

大島渚から青山真治へ

 2013年2月6日

 大島渚が亡くなった。

 『御法度』以後の、小山明子による壮絶な介護の物語は、ここでの関心にない。ただ再び病状が悪化してから、シャルル・テッソンと荻野洋一と共に鵠沼の大島邸に赴き、彼にインタヴューしたときの哀しい記憶は容易に忘れられるものではない。『御法度』の企画が実現に向かう中で、1997年にやはり荻野と訪れた鵠沼でのインタヴューの折は、不自由な身体と言語にも関わらず、その頭脳は極めて明晰で、論理的に自らの作品を振り返っていたこと思うと、それから、あまり時も経っていないのに、大島渚自身が、自分の作品名も思い出せないほど衰えていた事実を前にして、ぼくらは愕然とした。小山明子による介護の物語はすでに始まっていた。

 大島渚の絶頂期は1960年代だった。『青春残酷物語』から『少年』という傑作の数々を残した大島渚の60年代、そして続く1970年には『東京戦争戦後秘話』、71年には『儀式』、そして72年には『夏の妹』を撮る。それから大島渚は4年に亘る沈黙の時間帯に入り(もちろんテレビ出演が活発になったのにはその時代のことであり、大島渚の名前が映画関係者以外にも登り始めたのはその時期だろう)、アナトール・ドーマンのプロデュースで『愛のコリーダ』を撮ることになる。そして60年代の大島は、創造社とATGをホームにして作品を撮り続け、徹底的にマイナーな位置に留まり続けた。大島にとって、絶頂であることとマイナーであることはまったく矛盾しない。『日本春歌考』『新宿泥棒日記』などを撮る、その時代の大島の関心の中心は、同時代の社会であり、つまり、同時代の日本であり、大島を徹底してマイナーな位置に置いたのは、彼の関心の中心にあったものへの怒りであり、周縁に追いやられた者たちが持つ哀しみへの共感だった。松竹という大撮影所に出自を持ちながら、ATGという低額予算での撮影を強いられ、全国公開の目処もないまま新宿文化という一軒の映画館での上映というマイナーである運命を選択した大島は、溢れるばかりの力が漲る作品を連作した。そして、彼が映画を作ることで考察した同時代の社会が生み出す怒りの矛先は、象徴化されることで隠蔽された天皇制へと向かった。権力の所在へのプロテストへの強い共感以上に、権力の背後に自らの制度的な正統性を隠匿するブラック・ボックスとしての天皇制は、たとえば『日本春歌考』の冒頭に現れる2月11日の白い雪と、赤ではなく黒い円がその中心にある日の丸が描写するものだろう。白と黒は『少年』『儀式』への確実に継承されていく。

 日本映画は、大島以来、そうした隠蔽された天皇制をその考察の中心に置かなくなった。もちろんそれ以降もATGは、映画製作を続けていくのだが、映画そのものの衰退によって、日本映画の多くはかつて自らが持っていた豊かさの一端を取りもどすことに腐心した。ヤクザ映画を典型とする「活劇映画」や「ロマンポルノ」は、映画が纏わなければならないジャンルを再興することで、日本映画の延命装置になった。そんな時代に大島はアナトール・ドーマンの誘いで、自らのベースを移すことになる。もちろん当初は『愛のコリーダ』にせよ『愛の亡霊』にせよ、そうした日本と天皇制についての考察は続行されたが、それらのフィルムに記載された赤を中心にする豊かな色彩からは、白と黒の時代の大島に感じられた怒りと哀しみは次第に消えていった。

  大島渚がその「最後の吐息」を繋ぎつつあるとき、ぼくらは1本の作品と出会うことになる。青山真治による『共喰い』である。田中慎弥の芥川賞受賞作を三島賞作家が映画化するという話題はともあれ、『共喰い』にある天皇制の問題とそれに関わって片手を失っている登場人物を思えば、この作品が、極めて青山真治的な磁場の中にあることを誰でもが納得するだろう。『Helpless』の主要な登場人物のひとりを演じた光石研は、片手を失ったヤクザであり、1989年に「おやじ」を探して北九州の地に戻ってきた。『共喰い』で片手を失いながら、サカナをおろすことを生業にするのは、主人公の母親(田中裕子)だが、彼女が片手は第二次大戦末期の空襲によって失われ、戦後出会った男(ここでも光石研が出演している)との間に、男児をなすが、男の暴力のために離婚している。

 光石研が探し求めていた「おやじ」が不在になってからすでに25年が経っている(ぼくらは「平成25年」を生きている)。四半世紀という表現なら、100年の4分の1を単に数値として表現するに過ぎないが、「平成25年」と書き、すでに昭和が終わってかなり経ったことを示すのなら、それは「人間宣言」をした「おやじ」がこの世を去って25年経ったことを意味しているだろう。そのかなり長い時間は、怒りを諦念に変貌させるのに十分な時間だ。田中裕子演じる母親は、もちろん胸に怒りを秘めつつも、静かにサカナをおろす。本州と九州の間にある小さな港町で、彼女はひたすら諦念を生きている。

 そして、このフィルムを見る者たちが、その諦念と出会うためには、それなりの装置が必要である。『Helpless』の光石研が乗った列車が門司港駅にゆっくりと到着するように、田中裕子の諦念に出会うためには、それほど水が流れてはいない川の上にかかる橋を渡り、寂れた漁港の前にある作業場に赴く必要がある。『サッド・ヴァケーション』で若戸大橋を渡るように、ここでもぼくらは橋を渡る。忘却を記憶に変えるために、片手の上に被せられたゴム手袋の下には、何も存在しないことを再確認するために、そして、性行為の最中に繰り返される男の暴力の痛みをもう一度思い出すために、ぼくらは橋を渡る。

 そこに現れるのは、大島渚が黒と白で強烈に刻みつけた怒りの空間ではなく、微かな痛みが記憶の中に漂うような灰色の世界であり、晴れても曇ってもいないような時間が停止したような置き去りにされた空間であり、その中には性と暴力の世界をいまだに生き続ける父と諦念の中でサカナを下ろし続ける母と、進行していく時間──つまり、若さだ──をただひとり実感する高校生の息子がいる。

 物語は田中慎弥の『共喰い』をほぼ正確に辿っているので、ここでは詳述しない。だが、2013年に、1960年代に大島が生きた怒りの時間をふたたび生きるためには、数々の込み入った手続きが必要であり、このフィルムが腐心するのは、その手続きをひとつひとつ丹念に遂行していくことで、見るものの誰の中にも、ぼくらが包み込まれている忘却の渦の中から鮮やかに大島が生きた怒りを再現させることだ。風景を撮ることにかけてはかつてからその手腕を高く評価される青山真治の映像からは、彼が、最近多く手がけるようになった舞台演出の成果も至るところに見られる。ふたりの俳優をどのような位置に立たせれば、忘却を記憶として甦らせることができるのか、立ち位置を微妙に変化させることで、登場人物間の関係のわずかな変容を見せることができるのか。青山が舞台演出で得た多くの方法は、このフィルムにも結実している。自らと自らの外部とをひたすら見つめ続ける高校生を演じる菅田将暉の眼差しと島渚の少年タイトルロールを演じた阿部哲夫の眼差しが交錯してしまのはぼくだけだろ

 

記憶に見つめられながら──2012年度(第65回)ロカルノ映画祭 滞在記

 

Locarno in 1992

ロカルノ映画祭に初めて参加したのはちょうど今年から20年前の1997年だった。国際映画祭、いや映画祭自体がほとんど未経験だった私は、到着直後は、緊張と恐怖でほとんど泣きべそをかきながらも、スイスのプロヘルヴェツィア文化財団の人々や、蓮實重彦氏、古賀太氏ら、大先輩たちに教えを請いながら、なんとかパスを取り、スケジュールを確認し、映画を見始めた。そして毎朝ホテルに届けられる映画祭日刊紙「Pardo Newsによってセルジュ・ダネーという批評家の文章に出会った。この年、ロカルノ映画祭開催から約2カ月前に他界したセルジュ・ダネーを追悼すべく、同紙は、ダネーの批評の抜粋を毎日、掲載していたのだ。「カイエ・デュ・シネマ」の編集長も務めたことのある著名な批評家としてその名前を耳にしていながらも、それまできちんと読んだことのなかったダネーの批評を、私はロカルノという地で発見し、そして彼の言葉に導かれながら、映画祭という場に少しずつ自分の場所を見出していった。エドワード・ヤン、アモス・ギタイら、敬愛する映画作家たちが審査員を務め、世界中から批評家、映画関係者が集まる中、まだ無名の作家たちの作品を彼らと同時に発見し、意見を交わす。新しい作品と同時に、過去の作品も発見、再発見され、映画史が最新されていく場。こうして思い出してみると、ロカルノ映画祭でのそうした体験すべてが、その後の自分にどれだけ大切であったか、あらためて身にしみて感じる。1992年のロカルノ映画祭はさらに特別な年だった。ダニエル・シュミットが病から立ち直り、5年ぶりに完成させた新作『季節のはざまで』の世界プレミアが行われたからだ。ロカルノ映画祭の目玉でもあるピアッツァ・グランデという8千人を収容できる広場に設置された巨大スクリーンでの上映を思い出すと熱い思いが込み上げてくる。「フュオーリ・コンソルソ!」というイタリア語によって、シュミットともにイングリット・カーフェン、マリッサ・パレデス、アリエル・ドンバール、ジェラルディン・チャップリンら豪華出演者たちが次々に登壇し、祝福の雰囲気に包まれた中で舞台が終わると、暗くなり、静かになったピアッツァ・グランデに大きなスクリーンが映し出される。そして私たちは、サミ・フレーの優雅で軽やかなその足取りとともにゆっくりと記憶の旅へと誘われていった。当時、アテネ・フランセ文化センターで受付嬢としてバイトをしていた私は、松本正道氏より預かっていたシュミット監督宛てのプレゼントを渡すという重要な任務を受けており、そのおかげで、監督と上映後に直接お会いするという幸運にも恵まれた。当時、「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」に寄稿した映画祭レポートでもその際のシュミットとのやり取りについて書き留めているが、その短い、数分間のシュミットとの出会いは、このピアッツァ・グランデでの『季節のはざまで』の上映と一緒に、まるで夢のような出来事として、でもしっかりと映画のワン・シーンのように記憶している。

 The Carax Experience

「ひとはよく映画を夢に譬えますが、映画が夢なのではなく、上映の体験こそが夢なのです。」20年前のロカルノの記憶が少しずつ蘇り、シュミットやエドワード・ヤンたちの存在をどこかで感じながら、レオス・カラックスからその言葉を耳にしたのは、201283日、ロカルノ滞在3日目だった。初めてロカルノを訪れてからちょうど20年後の今年、私は再びこの映画祭に参加することになった。実は、昨年も、日本からの作品『東京公園』(青山真治)、『サウダーヂ』(富田克也)の上映、記者会見の通訳など、裏方スタッフとして参加し、素晴らしい体験をさせてもらったのだが、まさか続けてロカルノに、しかも今度は審査員として参加するとは想像していなかった。今年でロカルノ映画祭ディレクター就任3年目を迎えるオリヴィエ・ペールから「Opera Primaの審査員をやってみないか」と数ヶ月前に提案を受けたときは、これまで審査員の経験のない自分にはたして務まるのだろうかという一抹の不安はありながらも、湖と山に囲まれ、ゆったりとした時間が流れる親密な雰囲気の中で映画を見て、真に映画好きな人々と語り合えるあの場所に戻れるという喜びで、即座にオーケーしてしまった。オペラ・プリマOpera Primaはカンヌ映画祭におけるカメラ・ドール、つまり一作目の映画に贈られる賞であり、審査員は三人で、今年は私のほかに、ロシア人の批評家、ボリス・ネレポ、アメリカ、ニューヨークの批評家、デニス・リムがメンバーである。ボリスはまだ23歳という若さながら、どの国の、どのジャンルの映画にも詳しく、私が日仏学院でプログラムを担当していると聞いて、名刺代わりにと、自分が編集した「ヌーヴェル・ヴァーグ以後のフランス映画」を特集したかなりボリュームのあるロシアの映画雑誌をプレゼントしてくれた。巻頭からポール・ヴェキアリのインタビュー、ジャン=クロード・ビエット論などが掲載されていて、こちらの好みを知っているかのような内容で、ロシア語で読めないながらも、写真のレイアウトの美しさを眺めながら、彼とは気が合いそうだな、とほっとする。昨年のロカルノで青山真治の『東京公園』を発見した喜び、そして『サウダーヂ』が賞を取らずどれだけがっかりしたか語ってくれた。デニスは「ニューヨーク・タイムス」、「ヴィレッジ・ヴォイス」などの雑誌に寄稿していて、多くの映画関係者から信頼を得ている批評家のようだ。少し話しただけで、同じ言語で映画を語れる人であることがわかり、やはり安心する。彼らふたりと共に、初日より審査対象となる14本の作品を毎日12本ずつ見ることになる。スケジュールを見ると、その他にも見たい作品が目白押しで、毎日のプログラムをどのように組んでいくべきか大いに悩む。今年のレトロスペクティヴはオットー・プレミンジャーだし、豪華な特別ゲストも毎日訪れる。初日はシャルロット・ランプリング、翌日はアラン・ドロン、そしてジョニー・トー、ハリー・ベラフォンテ…。レオス・カラックスもその一人であり、映画祭スポンサーの一社であるSwisscom より名誉賞を受賞するということで、映画祭3日目にロカルノを訪れた。観衆の前でのティーチインを行うということで、デニスらと共に、上映の合間を縫って、野外に設けられた会場に駆けつける。フランス人の映画批評家で、日仏でもフィリップ・ガレル特集や、昨年の「鉛の時代」特集などを企画してくれた友人の批評家フィリップ・アズーリも、「レオスがこうした形で質問に応じるのはめったにない機会だ」と興奮した様子で、一緒に一番前の席に陣取り、録音のセッティングをする。その日は温度が30度近く上がり、湿気もかなりある蒸し暑い日だったが、カラックスは最近のユニフォームとなっている皮ジャン、黒い帽子の出で立ちで、片手に煙草を持ちながら、司会のオリヴィエ・ペールとともに現れる。「映画について話すことは、僕にとってほぼ悪夢に近いことです。真っ昼間、しかもこんなに光が注いでいる中で映画について話すなんて、大いなる悪夢ですよ(笑)。映画とは暗闇、夜のもの…、『夜の恋人たち(訳注:『夜の人々』のフランス語タイトル)』、『狩人の夜』のものですからね。でもなんとかやってみましょう。」カラックスは、苦笑を浮かべて呟きながらも、一時間強の間、オリヴィエ・ペール、そして会場からの質問ひとつひとつに、時に言葉少なに、時にところどころに沈黙をはさみながらも丁寧に答えてくれた。先ほど引用した「上映の体験こそが夢である」という発言の後で、カラックスは次のように述べた。「子供の頃、映画を発見することは非常に強烈なことです。暗闇の中、自分の母親、あるいは祖母以外は知らない人々に囲まれ、後ろにある大きな、大きな機械から自分たちよりもあまりにも大きなものが映し出される。その体験、それこそ、夢に近いものでしょう。」

 「先ほど、今の映画の状況はご存じないと仰っていましたが、世界の状況はご存知でいらっしゃるでしょう。たとえば、情報が流れる方法など。『Holy Motors』のリゾームのような構成はそうした状況を同時代的に捉えているのでしょうか、あるいはその中で孤立していることを感じた詩の形となっているのでしょうか」という質問へのカラックスの答。「その両方です。ロシアの詩人、オシップ・マンデルスタムが傲慢にもこう言っています。『私は誰の同時代にもいない』と。しかし世界は必然的に映画の中に入っています。人生は私の作品の中に入っています。だから私の撮影は長くなってしまうのです。まぁ、それだけではないのですが。でもそのように時間が必要であることは分かっています。最初の何週間かに撮影したものはゴミ箱に捨てるべきでしょう。みんながあまりにも集中していて、息が詰まっているからです。最少はつねに失敗となります。だから後でなんとか撮影開始時のシーンをやり直す術を見つけるか、いずれにせよカットするだろうというものから始めることにします。しかし人生とよぶものは、必ずしも世界の状態ではありません。ただの人生、私の人生、あるいは映画制作に携わっている人々の人生です。一本の映画は人が全てを費やしたり、なにもかもから身を引いて籠ってしまったりするトンネルのようなものではなく、人生の体験とどこかで結びつくべきなのです。だからこそ、つねに困難が生じます。集中とよばれるものがあるためにさらに大変です…、準備はそうしたトンネルを建てるのに役立ちますが、その後はそこから逃れていかなければなりません。」

 ある質問者がセルジュ・ダネーの言葉について質問していたので、それに引き続き、映画を見る体験、そのことを旅に譬えていたダネーの言葉について私も質問してみた。「大切な言葉があります。その言葉を『Holy Motors』の中で響かせられなかったことを後悔していますが、それは「体験」という言葉です。フランス人作家であるジョルジュ・バタイユが旅について次のように定義しています。『人間の可能性の果てにある旅』。

 そのほか、心に残った彼の言葉を残したい。「今、もっとも欠けているのは勇気でしょう。民衆の勇気、そして身体的な勇気、そして詩を綴る勇気が。」「私たちは死者たちのために映画を作っていますが、でもそれを見せるのは生きている人々です。だからこの映画の入口となる扉はどれか考えなければなりません。最後になってやっとその扉が現れるようではだめなのです。そのことに気を配るようにしましたが、できているかどうかは定かではまりません。」

 Holy Motors』を観たその「体験」について語ることはまだ別の機会に譲りたいと思うが、一言でそれを言い表すならば、こんなに子供のような無防備に映画と向かい合ったのは久しぶりだった、いや無防備になって、再び「映画」と出会うような体験だった。驚きや喜び、悲しみ、怒り、希望。もちろんこの映画には様々な映画のレフェランスや、カラックスのこれまでの作品、彼の人生の記憶が散りばめられているのだろうことは想像できるのだが、そうしたことすべてを一旦忘れて、冒頭のカラックス自身が寝巻き姿で映画館の中を覗いて見ているように、「上映」、という体験、あるいは彼自身が語るように「映画という島」を何も持たず漂浪することをこの映画は誘う。死者とともに、しかし生き残っている、生きている者たちとともに生きることを、映画を生きることを。

 Preminger shock

審査対象である作品を観ることが今回の第一のミッションであるのだが、オットー・プレミンジャー特集、しかも全作特集開催とあれば、やはり足を運びたくなる。これまでほんの数本しか観ていないながらも、つねに気になっていた作家のひとりだからだ。一日目に見た『天使の顔 Angel Face』で一気にプレミンジャー熱に火がついた。こうして映画祭中、時間を見つけては、ピアッツァ・グランデを通り過ぎて、右手の細い石畳の坂を上ったところにある映画館Cinema Ex Rexに、駆け足で通うことになった。プレミンジャーの登場人物はみな不透明で、先の行動が読めない。彼らの行動と思考、あるいは言葉はつねにずれていて、霧の中を歩いているような人ばかりなのだ。たとえばロバート・ミッチャムは、いつもながら、その無表情な顔を微妙に変化させながら、自分が望んでいるのかも定かではないまま、ひとりの女性の人生の渦の中に巻き込まれていく。「天使の顔」を持つその女性を演じるーン・シモンズは、ふっと残酷な表情を垣間見せながら、周りの人々の人生の歯車を少しずつ狂わせていく。そして後半、決定的な事件が起こり、彼女はその「天使の顔」を脱ぎ捨て、一気に何歳も年取ったかのような、深い人生の皺を刻んでいるかのような大人の女に変貌する。ジーン・シモンズが誰もいなくなった広い家を彷徨うシーンは、まるで深い、深い闇の中に彼女が呑み込まれていくようなぞっとするほど寒々としたシーンである。そしてラスト、彼女は、実際に、底なしの闇の中に吸い込まれてゆくように崖から墜落していくのだ。

『天使の顔』、『Daisy Kenyon』、『Whirlpool』、『堕ちていく天使』、『黄金の手を持つ男』、『帰らざる河』『聖ジャンヌ』、『悲しみよこんにちは』。今回は残念ながら8本しか見ることができなかったが、プレミンジャーの作品を見る度に、登場人物や物語の展開の意外さ、一つの視点に留まることのないポリフォニックな世界に愕然とし、魅了された。どの登場人物たちもある意味、闇の手前に立っている。その闇に惹きつけられながらも、そこから光を見出す者もいれば、闇の中に堕ちていく者もいる。世界が、そしてひとりの人間の中で、幾つもの声、数限りない声がざわめいている。

 Moscow, Orlén, Macao...

審査対象となる最初の作品は、ロシアのドキュメンタリー学校の10人の学生たちが集団で監督した『Winter, Go Away!』という作品だった。「ロシアの冬」とウラジミール・プーチンの大統領選出馬に対する民衆の蜂起を二か月に渡って追ったドキュメンタリーで、先日、日本でも報道された若い女性たちパンク・グループの教会でのデモ・コンサート、そして彼女たちが逮捕されるところもライヴで撮影されている。厳寒のロシアの冬、雪が降りしきる中、しかし人々の表情はとても生き生きとしていて、街が彼らによって躍動していくのが感じられる。プーチンの「独裁」に反対する人々、プーチンを支持する人々、カメラは政治的立場の違いで、対象との距離やアプローチを変えることなく、その眼差は窃視症的なものからは遠い。ゲリラ的な撮影や、警察、当局側の逮捕シーンも多く見られることから撮影には危険が伴ったことが推測されるが、そこには撮影する楽しさ、人々、街の動き、今そこで起こっていることと共にある高揚感が伝わってきて、人々の真剣さと同時におかさみが感じられる。『Winter, Go Away!』は多くの時間を費やし、練られた構成によって、一人一人の人間のささやかな日常や、ばかげた試みや、真剣な闘い、そのすべてが歴史のうねりを作り出していることを教えてくれる。

 ドキュメンタリーとフィクションというジャンルは、映画においてますますとりあえずの区分になっているように思えるが、ドキュメンタリーの中にフィクションを見出す、映している場所、もの、人の中に、大文字の歴史、親密な、あるいは壮大な物語を堀り起こす、あるいは救い出す作業であることを示してくれる2本の作品に出会う。ヴィルジル・ヴェルニエの『オルレアン』は、そのタイトルが示す通り、フランスの町オルレアンが舞台となっている。ドキュメンタリー作品ではすでに批評家たちに注目をされているらしいヴェルニエは、冒頭、街並み、人影があまりない路地裏、表通り、子どもたちが他愛もないやり取りをしている学校前の風景を映しながら、昔の街の地図を所々にインサートする。しだいに、撮影されている2011年のオルレアンとその地図に記録されている街が重なり合い、時間も交錯し、融合していくような印象を受け始める頃、女たちが現れる。暗闇の中にいる女たち、彼女たちが現代の夜のバーでいることは確認されるが、そこには現代ではない別の時間もすでに流れていることに私たちは気づいていているだろう。そしてジョアンヌとシルヴィア、20歳になる二人の女性が登場する。彼女たちバーでストリッパーとして働いている。新米のジョアンヌに、すでに客の扱いも、踊り方も心得ているシルヴィアが手ほどきをしている。将来についてかたや冷めた思いを、かたや希望を持って語り合うふたり、そして街を散策する彼女たちがしだいに、オルレアンという街の記憶の中に入っていく。この街では429日から57日、8日にかけ、ジャンヌ・ダルク祭が行われる。15世紀に10代後半ながらこの街をイングランドの包囲網から解放し「オルレアンの乙女」と呼ばれたジャンヌ・ダルクを称えるイベントで、街中でパレードや花火、コンサート、そしてジャンヌ・ダルクの生涯を描く舞台が開催される。ジョアンヌとシルヴィアはこのイベントに何気なく参加するのだが、ジョアンヌは次第に、ジャンヌ・ダルクに惹きつけられ、しまいにはパレードでジャンヌ・ダルク役を演じている娘を現実のその人と思い込でんしまう。現代を生きている女性とジャンヌ・ダルクが交錯し合い、現代の街と15世紀の街が重なり合う。『オルレアン』は、とてもシンプルな手法で映画が記憶を蘇らせる、あるいはそこに記憶が生き続けていることを気づかせてくれる。

 ドキュメンタリーがいかにフィクショナルであるか、フィクションがいかに現実の断片で構成されているか、ジョアン・ペドロ・ロドリゲスとジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタ共同監督による『マカオの追憶』は、上品かつ大胆な手つきでそうした映画の根源的力を見せてくれる。冒頭、暗闇の中にハイヒールとチャイナドレスを纏った人影が浮かび上がり、ジェーン・ラッセルの歌声とともに踊り出す。ジョセフ・フォン・スタンバーグの遺作『マカオ』で歌われた曲。暗闇、ハイヒール、チャイナドレス、虎、そしてその顔を露にしたキャンディと名乗る「歌姫」によって、『マカオの追憶』はフィルム・ノワールの世界へと私たちを一気に誘い込む。そう、そこはマカオであり、私たちはその後、監督のひとりであるジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタ自身の声(このナレーションが素晴らしい)によって語られるある旅の記録とともに、この街に迷い込むことになる。キャンディはその後姿を再び現すことは二度となく、時に語り手である男にかけてくる電話によってその声を確認するだけだ。当初はジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタの生まれ育った街マカオをドキュメンタリーとして撮影された映像たちが、いつのまにか、ひとつの、あるいは複数のフィクションを紡ぎ出すことになった『マカオの追憶』は、街の風景と声、そして銃声、叫び声のような効果音というミニマムな素材によってスリリングでセクシーなフィルム・ノワールとなり、また終末論的なSF映画へとメタモルフォーズしてゆく。そしてそこには、亡霊たち、動物に姿を変えた人々、マカオという街の記憶、そして映画の記憶が共存している。ジョアン・ペドロ・ロドリゲスとジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタ、ヨーロッパではすでに高い評価を得ている彼らの作品の特集が2013年に日本で開催予定とのこと、心から楽しみだ。

 Memories look at me

「記憶」は今年のロカルノ映画祭のテーマであるかのようだ。いや、映画が記録するのは、すでにあったもの、すでに起こったものであり、その意味では、どの映画も記憶で溢れているといえばそうなのだが、記憶が、過去がそこにあること、自分の生きる場所、時間の中に存在していることを示すのが映画であることをあらためて教えてくれる作品にこの映画祭で何本か出会った。

三宅唱の『Playback』は、人々の様々な記憶の断片が何度もプレイバックされ、その度に微妙に音を変え、反復されながら変化していくことを、レコードにそっと針を下ろす時のような繊細な手つきで語ってゆく。プレイバックされる度に、周囲の動きにほとんど受け身で、無表情に見える村上純が、徐々に、自分の記憶の奏でる音の違いにそっと耳を傾けてゆくように、私たちもいつのまにか、身を少し乗り出し、耳を傾け、目を澄ましている自分たちに気づく(本作は、渋谷オーディトリウムにて現在公開中)。

今年のロカルノ映画祭コンペ部門の審査員の一人であり、アルノー・デプレシャンらと同世代の女性監督のノエミ・ルヴォヴスキーの新作『Camille redouble(カミーユ、ふたたび)』は、三宅監督の作品にも大きく影響を与えているというフランシス・コッポラの『ペギー・スーの結婚』のリメイクとして撮られている。最近は、監督としてよりも名脇役としてフランス映画になくてはならぬ存在となっているノエミ姉さんが40歳から10代の高校生に戻る主人公の女性をときにコミカルに、ときに切なく、見事に演じている。ミニスカートはいて、派手なタイツを履き、ウォークマンを聞きながら自転車に乗っているルヴォヴスキーに最初は少し引いてしまっても、彼女が30歳近く離れた友人たちと高校生活を送る姿にエールを送りたくなる。青山真治の『赤ずきん』に主演していた若手女優ジュディット・シュムラが女の子たちグループのリーダー的存在を演じているのだが、中世的な美しさ、野生的魅力を湛えていた。彼女はティエリー・ジュスの『僕はno man’s land』にも出演していて、活躍が楽しみな若手女優の一人だ。マチュー・アマルリックのキモイ先生、この映画のストーリーの鍵を握る時計屋を演じるジャン=ピエール・レオなど、キャスティングも豪華で、見どころ満載の作品だ。

 記憶を言葉にすることで生き直す、生き続ける人々を「演出」している濱口竜介、酒井耕の『なみのおと』。カメラを向けることはすでに「演出」であることをあえて表明しているかのように、証言者たちをカメラと向かわせている。俳優であろうと、素人であろうと、カメラを向けられた瞬間から「演技」がスタートしているとして、ここに登場する人々の「演技」とは、身を切るような思いをしながらも自らが体験したことを言葉に置き換えるという試みであり、思考であり、アクションである。監督ふたりがあえてカメラの前に身を置くのは、その体験に少しでも身を投げ出す行為であっただろう。彼らは、津波の被害にあった地域、人々のその後に寄り添い続けながら次回作を準備中とのこと。その真摯かつ果敢な試みをぜひ見続けていきたい。

 ソン・ファンの『記憶が私を見る』に出会ったのは、映画祭も終盤に差し掛かったころだった。両親の実家に戻り数日間を共に過ごす監督自らのダイアリーのような作品であると一言でまず紹介できるかもしれない本作は、冒頭の列車のショットを除けば、その実家の部屋の中だけで展開されるのだが、シーンごとに、彼らの生きてきたこれまでの時間、そして彼らの意思を超えた歴史の流れが彼らの言葉や仕草から見えてくる。言葉を交わしながら、父親の爪を切ったり、母親の眉毛を抜いたり、ご飯を食べたりする彼らの日常のささやかなやり取り、仕草、窓の前に置かれた小さな観葉植物、外の風景、そこから入ってくる風、光、それらすべての「今、ここ」が、この作品を過去と、未来、生と死の両方に開かれた場所に、親密でありながら普遍的なスケールを持つ作品にしている。一見、とてもシンプルに撮られているように見えて、構想、撮影、編集にも相当な思考と時間がかけられ、丹念に作られたことが窺える本作からは、目の前にカメラを向けることへの信頼、映画への信頼が強く感じられた。

そしてそれは、まさにジャン=クロード・ブリソーの『La fille de nullepart(謎の女、とでも訳しておこうか)』の凄味でもあるだろう。やはりほとんど家(監督自身の家)から出ないで撮られた本作も、限られた空間、限られた出演者(出演者はほぼ監督と一人の女優のみ)ながらも、最小限の手段によっても、映画がこれほどまでに様々な記憶、亡霊、そして感情を生み出すことができることを堂々と見せてくれる。審査員長のアピチャッポン・ウィーラセクタンがいみじくも記者会見で述べていたように、ブリソーは、この作品をベテランの手つきではなく、カメラを初めて手にした若い作家に戻ったかのように、目の前のものたちが響かせるたくさんのノイズ、記憶や亡霊たちを、驚きと喜びを持って映画に召喚させている。『La fille de nullepart(謎の女)』はこうして今年の金豹賞を受賞。そして私たちはOpera Prima審査員たちは、全員一致で『記憶が私を見る』に賞を与えた。本作は1124日から開催される東京フィルメックスでの上映が予定されている、是非ご覧いただきたい。

 二週間近くを共にしてきた審査員たちと、まるで夏休みの合宿を終えた学生たちのように、別れを惜しみ、再会を誓い合いながら、ロカルノの地を発つ。

大スターも、ベテラン監督、新人監督も、世界中の批評家、ジャーナリストたちも同じリスペクトで迎えられ、真の出会いの場所、発見の場所であり続けるために、三年間、ロカルノ映画祭の舵を取ってきたオリヴィエ・ペールは、この映画祭の後、仏独テレビ局映画共同製作部門(Arte France Cinéma)のゼネラル・ディタクターへ就任し、ロカルノを離れることになった。また別の場所で冒険を続けるよ、と知らせをもらう。

 『季節はずれに』の主演、サミ・フレーがシュミットに残していったというある言葉を思い出している。「歩みつつある記憶」。そして歩みつつある映画とともに。

 

 

 

芦ノ湖のかもめ

 9月8日

 おそらく夏の終わり。美しい湖には今落ちたばかりの夕陽の残像がまだ少しばかりの光を放っている。そこにあるのは仮設の舞台。著名な女優の息子は、新しい形式の戯曲を書いた。演じたのは彼が思いを寄せる、領主の美しい娘。その舞台を見るために、その湖畔に帰ってきたのは、著名な女優である母、そして母の愛人である有名な小説家。……しかし、「新しい形式」の戯曲は、文字通りの失敗に終わり、息子も美しい領主の娘も失意の底に落とされる。もうその地を発たねばならぬ時間が迫った小説家と、娘が偶然出会う。「わたしならあなたの立場に身を置いてみたいですわ」と小説家に話しかける娘。「またどうして?」と娘に答える小説家に、彼女は続ける。「才能ある作家ってどんなことなのか分かりますもの。有名であるって、どんなお気持ちなのかしら?」娘は矢継ぎ早に小説家に問い続ける。だが、もちろん、小説家は、有名であることなど意識しない、ひとつの作品を書き終わると、もう次の作品に取りかからねばならない、焦燥感がつのり、自分自身に才能があるのかなどと問う暇さえないのだ、と言う。彼が真に才能のある作家かどうかを脇に置いても、何かを書き記すことを生業とする者ならば、この作家──トリゴーリンという名前だが──の、ちゃらんぽらんに感じられるかも知れないが、その奥には、ある種の誠実さを備えた長い言葉の数々に、静かに同意するだけだ。「私の場合、昼も夜も私を苦しめるのは、書かなければ、書かなければ……と頭にこびりついて離れない考えです。一本書き上げたかと思えば、もうまた次の作品に取りかからなければならない。それが終わるとまたその次、それからまた次の作品ということになる。ひっきりなしに書いていて、これじゃまるで駅馬車を乗り継いでいるようなものですが、そうするほかないんです。どこに晴れ晴れとした生活があります?」

 作家の言葉が、彼の現実についてますます誠実になっていき、「私は自分自身が好きになったことなど一度もない」と吐き捨てるのだが、彼の言葉を聞けば聞くほど、娘──ニーナという名前だ──の名声への憧れは大きくなっていく。「あなたは他の人々にとっては、とてもすばらしくて大きな存在です。もしわたしがあなたのような作家でしたら、わたしは人々のために自分の全生涯を捧げるでしょう」。ニーナにあるのは、著名な作家という概念と目の前にいるトリゴーリンという誠実な中年男という具体的な姿との混同だ。こうした憧憬そのものも若さゆえの特権だ、と書く、ぼくもトリゴーリンと同種の、自らへの諦念とアイロニーで自分を擁護する小さな存在なのだ、と、このチェホフの『かもめ』を読みながら確信する。だが、こうしたトリゴーリンの諦念についての言葉が具体的な比喩の中で大きくなっていくと、ニーナの中で膨らんでいくのは、加速度を増した創造活動への憧憬とその憧憬をトリゴーリンという「小さな存在」に無理矢理重ね合わせようとする欲望だ。ニーナにとって、トリゴーリンこそ自らの未来であり、つまり現在の自分を投機する対象なのだ。しかし時間がない。若いニーナは、こうした混同が大きくなればなるだけ、さっき自分が演じたばかりの恥辱的な「失敗作」を書いた女優の息子──トレーブレフという若者だ──の失意がない増しにされることが想像できない。自分自身の欲望に正直であることが、他者に耐え難いほどの失望を与えることを想像できる若者など存在するはずがない。

 「お呼びだ。おそらく荷造りでしょう」と言ってニーナの許から去っていくトリゴーリン。別れ際に彼はニーナに自分の持っている自作のメモについて語る。「ちょっとした短編の題材です。ある湖の岸に、あなたのような若い娘が子どもの頃から暮らしている。かもめのように湖が好きで、仕合わせで、かもめのように自由だった。ところが、そこにたまたま男がやってきて、彼女を見そめ、退屈紛れにその娘を破滅させる」。そこに現れるのが作家の愛人である女優──アルカージナ──だ。「トリゴーリンさん、どこです?」「何ですか?」「私たちここに残るわ」。チェホフのト書き。「トリゴーリン。屋敷に向かう」。次いでニーナの台詞。チェホフのト書き。「フットライトまで出てくる。しばらく考え込んだ後」。ニーナは言う。「夢だわ」。夢ではない。そんなことは判りきっている。ぼくだって、『かもめ』を読むのは、これが初めてではない。何度も読んでいるし、舞台だって何度か見たことがある。やがてトリゴーリンのメモは、彼の自作のなるではなく、ニーナの現実になることなど、チェホフの忠実な読者でなくても想像できるだろう。

 ぼくは、岩波文庫版、浦雅春訳の『かもめ』から目を上げる。前の前に広がるのは、夕刻が少しずつ迫ってくる広大な湖。安普請の土産物店が建ち並ぶ湖畔。そんななかにある湖に突きだした場所に大きくテラスが広がっているイタリア料理店にぼくはいる。少しだけカップの底に残ったエスプレッソはもう冷えてしまった。緩やかな風に雲がちぎれて流れていく。山々の稜線に、太陽が少しずつ近付いていく。いつかこの場所に、この戯曲にあるような仮設舞台が建てられ、名優たちが、このチェホフの傑作を上演し、その中にある、登場人物たちの微妙な変化を、豊かな言葉に乗せて語られる夕刻があれば、それに勝る快楽はないだろう。

 

山田五十鈴さんを思い出す

7月11日

 もう別れた方がいいんじゃないか、と菊田一夫に説得されて、頷いてはみたのだが、花柳章太郎は、結局、日比谷から愛人が待つ世田谷の郊外へと向かってしまう。戦後間もない東京。世田谷・赤堤。住宅がまだまばらにしかなく、畑がたくさん残っている。夜半まで着かないと暗い道を歩くことになる、と考えた花柳章太郎は早足で愛人宅へと向かう。花柳章太郎は、愛人宅で過ごすことはあっても、そこで一夜を過ごすことはなかった。妻の勝子を持つ身として、たとえ勝子との愛情が冷めてしまっているからと言って、家に帰ることだけが彼にとって唯一の矜持だったのかもしれない。菊田の説得は、的を射ていて正しかった。そして、愛人宅にたまたま妻・勝子の日記を置いていってしまい、それを愛人が読み、勝子の哀しみを深く理解してしまった現在、別れを切り出したのは、愛人の方からであり、決して花柳章太郎からではなかった。そこに菊田一夫からの説得が加わり、花柳章太郎が、愛人宅に向かったのも、これを最後にしようと思ったからかも知れない。

 愛人宅に到着したが、暗い。合い鍵を回して中に入る。薄明かりの中に、ガランとした部屋が見えてくる。家財道具はいっさいなくなっている。台所の真ん中に小さなテーブルと、そして椅子が2脚だけ残されている。ふたりで買った装飾品のすべても持ち去られている。花柳章太郎は、ことのすべてを悟る。もう彼女は戻ってこない。だが、それを悟ったにせよ花柳章太郎は簡単にその場から立ち去ることなどできはしない。台所に転がっていた空き缶をテーブルの上に乗せ、懐からタバコを取り出し、一服点ける。電球さえも持ち去られた室内は暗く、マッチの火が部屋の空白を強調する。寂寞感。ゆっくりと巻の中に灰を落としながら、何もない部屋に目をやると、愛人との生活のすべてがまぶたの向こう側に確かに映し出されている。父が同じ劇団に属したことがあるので、愛人のことを幼少時代からよく知る花柳章太郎。成瀬巳喜男の『歌行燈』で彼女と共演したのは、トップスターの彼女と共演することで、彼が所属する劇団新派の窮状を救うのが目的だった。あのころはまさか彼女と花柳章太郎がこんな関係に立ち至るなどと考えた者は周囲には誰もいなかった。だが、女形としての所作を彼女に教えるうちに、手と手が触れあい、身体と身体が近付き、ふたりはこんな関係になった。そして、そんな関係がいつかは終わることは、菊田一夫に言われなくとも、花柳章太郎には分かっていたはずだ。空き缶に落とすタバコの数が増えていき、部屋の暗さは次第に深まっていった。

 山田五十鈴はこうやっていつも彼女の方から男の許を去っていった。花柳章太郎の心情を共有する男たちは、嵯峨三智子の父親でもある月田一夫、二番目の夫である映画プロデューサー、そして、花柳章太郎の後に五十鈴の相手になる加藤嘉、下元勉……もっとたくさんいるだろう。「通り過ぎる男たちを芸の肥やしにする」という常套句は正に山田五十鈴に与えられたものだと言ってもいい。もちろん溝口健二の『浪速悲歌』、『祇園の姉妹』を見れば山田五十鈴の持つ信じがたい吸引力に誰でもが納得するだろうが、とりわけ『鶴八鶴次郎』と『流れる』の2本の成瀬巳喜男の映画での山田五十鈴、さらに小津安二郎の『東京暮色』での山田五十鈴を見ていると、それぞれの年代の山田五十鈴自身のドキュメンタリーを見ているような気持ちがしてくるのは、ぼくだけではないだろう。実生活での山田美津(本名)がいて、映画に主演する女優としての山田五十鈴がいるのではない。山田五十鈴にとっても、山田美津などデビューした12歳のときに捨ててしまったのではないか。山田五十鈴に魅了された数知れぬ男たちは、ぼくらが、『鶴八鶴次郎』の山田五十鈴に惚れ込むように、『流れる』の山田五十鈴の立ち居振る舞いに魅了されるように、実生活の山田五十鈴に魅了されていったのだろう。1本の映画は何度も繰り返して見ることができるが、映画に出演する主演女優にとっては、1本の映画の撮影が終わると、もう次の現場が待っていて、そこでは別の恋人がいるのだ。

   *

 神楽坂の登り口にある紀の善の「抹茶ババロア」も嫌いではないが、紀の善がビルになってからは、どうも風情がなくなってしまった。ビルになってからもう30年近く経つのではないか。紀の善で買い求めるのは、いつも「抹茶ババロア」ばかりではない。「クリームあんみつ」だってかなりおいしい。でも、神楽坂だと、紀の善よりももっとおいし生の和菓子が手に入るのではないか。神楽坂をかなり登って、少しだけ下りに差しかかる場所に和菓子司、五十鈴がある。昔は、紀の善と同じように、喫茶が併設されていたと思うが、建て変わってから、喫茶はなくなってしまった。甘納豆と始め、伝統的な和菓子が並んでいて、季節によっては「クリームあんみつ」もあったような気がする。そして、記憶を辿ると、紀の善で買わずに、神楽坂を登ってきたかいがあった、と思ったこともある。

 五十鈴を「いすず」と読めるようになったのは、もちろん山田五十鈴の読み方を知っていたからだ。その山田五十鈴さんも亡くなった。晩年は、おひとりで帝国ホテルにお住まいだったが──オペラ歌手の藤原良江も帝国ホテル住まいだった──、ホテル住まいの女優なんて山田五十鈴が最後の人だろう。きっともっと安いホテルを住まいにしている女優さんならいるかもしれないが、大女優だったら、やはりどうしてもライト以来の帝国ホテルだ。その山田五十鈴が脳梗塞で帝国ホテルを出てからもう10年が流れている。

 神楽坂の五十鈴の裏には、まだ芸者さんたちが済んでいる場所がある。その周囲を通りかかると、芸者さんたちが稽古をしているからだろうか、今でも三味線の音色が聞こえてくる。ぼくは、それを聞く度に『流れる』のラスト近くで、山田五十鈴が弾く三味線を思い出してしまう。

 

カンヌ国際映画祭報告2012 vol.08 5月24日(水)- 25日(木)

5月24日

朝からアパルトマンに泥棒が入った疑惑が持ち上がり、大捜索の末事なきをえたが、その結果午前中の上映には行けなかった……。
今日の1本目は、リー•ダニエル『The Paper boys』。酷い。今年のコンペティション、アメリカ勢の評判はすこぶる悪いけど、これは最低だった。
2本目は楽しみにしていたカルロス・レイガダス『Post Tenebras lux』。物語を追うことは恐らく不可能。カラックスも過激だったが、レイガダスの自由奔放さも凄い。カンヌのコンペティションでこんな作品見れるとは思っていなかったので多いに満足した。
3本目は、監督週間Yulene Olaizola『Fogo』。切り詰められた台詞と登場人物と風景の連続。最後まで何も起こらない。月並みな言い方をすれば、映画祭のための映画といえばよいのだろうか……。

批評家週間の閉幕上映で、ツァイ•ミンリャンとホアン•ペドロ•ロドリゲスの短編を見に行くはずだったが、シネマテーク・フランセーズのプログラムディレクターであるジャン=フランソワ・ロジェから「パリで見る機会あるんだから、メシ食べようぜ!」と言われ、誘惑に負ける…。ロカルノ映画祭のディレクター、オリヴィエ・ペール、イタリアの批評家マリオ、マッドムービーの編集委員、ジルも同席し、昨年と同じレストランで海の幸を満喫。みんな、あまり映画を見れていないと不満をもらしてはいたけれど、その中でもコンペ作品で彼らの一押しはMatteo Garrone『Reality』。アラン•レネはブルジョワ映画、ハネケは微妙だそう。

上映はすでにないため、批評家週間のパーティーへ。DJは、なんと、セリーヌ•シアマとベルトラン•ボネロ!ということで、カンヌでの最後の夜を楽しんだ。

 

5月25日

今朝は絶対に見たかったので早起きして、「監督週間」の閉幕上映作品、大好きなノエミ・ルヴォフスキ『Camille Redouble』

恋人と別れ、大晦日の夜のカウントダウンパーティーで泥酔してぶっ倒れたら、なんと10代にタイムスリップしてしまうという物語。過去も現在も主演を演じるのは、なんとノエミ自身。「そんなはずじゃなかったの!」とは話していたけれど、彼女の女優としての魅力が全開。特別出演しているジャン=ピエール・レオー、マチュー・アマルリックのキャラクターには大爆笑してしまった。

 最後は「ある視点」部門、若松孝二『11.25 自決の日、三島由紀夫と若者たち』。フランスではすぐに公開されないだろうしと思い、見にいったものの完全に失敗した。フィリップ•ガレルがインタビューで「低予算のデジタル映画は撮らない、撮るべきではない」と語っていたが、まさにその悪い見本のような映画だった。『キャタピラー』もそうだったが、歴史に対する距離感、誠実さに問題があるような気がしてならない。三島由紀夫が「切腹するんじゃなかった!」と空の上から叫んでいる声が聞こえる気がする……。

 今日公式上映のあるクローネンバーグ『コズモポリス』、明日は期待のジェフ•ニコルズ『Mud』の上映も……だが、ここでタイムアップ。夕方のTGVでパリに戻る。今週末はウェス•アンダーソン『Moonrise Kingdam』、ジャック•オーディアール『De rouille et d'os』、クローネンバーグ『コズモポリス』、ウォルター・サレス『Sur la route』を見て、受賞結果を待つことにしよう。

カンヌ国際映画祭報告2012 vol.07 5月23日(水)

今日は朝からアッバス・キアロスタミへの合同インタビューに参加するため、批評家週間の会場に近いミラマーレ手前のマンダラビーチへ直行。その後、コンペ作品であるアンドリュー・ドミニク『Killing them softry』を見にSalle soixantiemeに向かうも満員。評判の芳しくない作品にも関わらず、やはりカンヌ。どのセクションも上映がないので、12時からのレオス•カラックス『Holly motors』の公式上映にあわせてのプレスコンフェランスの列に並ぶ。パスが青いからたぶん無理だろうと諦め半分だったが何とか潜入できた。

ドゥニ•ラヴァンは最前列に座った彼の娘たちにおどけてるが、  カラックスは、サングラスを付けたまま、火の付いてない煙草を右手にちかつかせ、かなり気だるそうだ。微妙な緊張感の中で始まった質疑応答を最後まで聞くことは出来ず、急いでSalle soixantièmeへ。

ついにコンペ作品、ホン・サンス『In another country』を。こんなにも少女のように可愛らしくて、無防備なイザベル・ユベールを見たのははじめてかもしれない。歩くこと、話すこと、見つめること、微笑むこと……至極当たり前の振る舞いの一つ一つがどうしてこんなにも魅力的で愛らしいのだろう。彼女の主演が決まった時はどうなることやらと思っていたが、さすがホン・サンス。

「批評家週間」作品、Ilian Metev『Sofia's last ambulance』。救急車での搬送を生業とする3人の男女が主人公だ。ファーストショットから徹底して主観を排し、ラストショットに至るまでほとんど救急車の揺れと三人のバストショットだけで構成されている。私たちは救急車内で起こる出来事を体験することはできない。野心的な試みではあるが、スタイルに拘泥ししすぎているし、俳優の顔が見えない何かを代弁するほどの力を持っているようには思えない。
即座に「監督週間」に移動し、Jaime Rosales『The Dream and The silence』。この監督はすでに2003年「監督週間」、2010年「ある視点」部門で紹介されているそうだ。「モノクロによって、より美しく、感動的なイメージを捉えることができる」と監督は語っていたが、彼が捉える家族の日常と風景は、ただ美しいだけにとどまっていた。ガレルのモノクロからはほど遠い。35ミリ、スコープ、モノクロ、フォーマットだけでは映画は撮れない。

夜は、今年の批評家週間のディレクターであり、指導教官であるシャルル・テッソンの好意で、批評家週間のディナーに招待される。

 

言わずと知れたベルトラン•ボネロや、『水の中のつぼみ』『トムボーイ』のセリーヌ•シアマ、各国の批評家、学生審査員たちと、カンヌというロケーションで夕食をとるという貴重な体験をしたが、キアロスタミのインタビューの時以上に緊張してしまい、美味しい料理をいただいたはずなのにあまり覚えていない……。
 

カンヌ国際映画祭報告2012 vol.06 5月22日(火)

コンペ作品、アラン・レネ『Vous n'avez pas encore rien vu』からスタート。劇作家の訃報を知らせる電話が鳴る。彼の死を弔うため、南仏の邸宅に集めらた俳優たち--サビーヌ・アゼマ、アンヌ・コンシニ、ミシェル・ピコリ、マチュー・アマルリックは、それぞれに彼ら自身を演じている。広間のソファーに腰掛けた彼らの目の前には巨大なスクリーン。かつて上演した舞台のリハーサル映像を見つめる側にいた俳優たちは、台詞を呟きだし、現実でもう一度同じ舞台を演じはじめる。現実と虚構の間を行き来しているうちにその境界線が失われて行く。映画とは何かという自己言及に満ちた秀作。

次はダッシュしてプレス上映、Salle bunuelでベルナルド•ベルトルッチ『You and Me』。窓の外に広がる1968年5月革命の光景も、ヌーヴェルヴァーグの記憶も、もうベルトルッチには必要ない。閉ざされた部屋で過ごす数日間、『ドリーマーズ』に近い主題にありながら、タブーも三角関係もなしに、二人の若者のつかの間の時間がシンプルに描かれ、瑞々しい。

3本目はコンペ外上映でBenoit Delepine、Gustave Kervern『Le grand soir』の上映に行くものの、次のレオス・カラックスの上映が気になって集中出来ず、結局、途中退出してしまう。上映後に並んだ友人は一時間前にならび、結局入れなかったのでまぁ良かったのかな。

 ついにコンペティション部門、レオス・カラックス『Holy motors』。プレス上映にも関わらず、タイトルともに大歓声と拍手ではじまるという、今までにない盛り上がり!11.5人を演じるドゥニ・ラヴァンを巡るひとつひとつのエピソードに散りばめられた映画史へのレフェランスを見ているだけで心が踊るが、一方でこの作品の素晴しさを表現する言葉を私は持ち合わせていない。この作品に意味や説明を求めることがいかに不毛なことか……すでに『メルド』で宣戦布告されていたものの、ものすごい巨大な挑戦状を叩きつけられた気分。

カラックスの後に他の映画を見る気にはなれず、イタリア人の批評家に教えてもらった、イタリアンでディナー。その後は、カナダのフェスティバル、ファンタジア(ファンタスティック+アジア映画)のパーティーへ行き、一年ぶりにプログラムをしているシモン君に再会した。会場には、パリのシネマテーク・フランセーズでのCinema bisの常連たちが大集合! 話題は、ダリオ・アルジェント『ドラキュラ』と、『貞子3D』。私の知らぬ間に貞子が3Dになっていたとは……ちょっと見てみたい。
 

カンヌ国際映画祭報告2012 vol.05 5月21日(月)

数日雨が続いていたけれど、今日も引き続き雨模様。風も強くまさに最悪の天候だ。1本目は、Salle soixantiemeで、かなり評判のよいミヒャエル・ハネケ『L'amour』を。この劇場は、プレスのレベルに関係なくギリギリまで優先的に入場できるのでかなり効率よく作品を見れる。他の劇場はプレス上映だとしても、一時間は待たないといけない。入れても、スクリーンの端切れてて見えねーよ!という場所にしか座れないのだ……。

エマニュエル・リヴァ、ジャン=ルイ・トランティニヤンを迎えて、老介護問題をかなりシンプルに捉えた作品。淡々とした日常風景の中で変わっていく妻の姿が痛々しい。ハネケ作品は苦手だが、『L'amour』では、彼の作品の特徴である暴力性が目に見える形では現れない。エマニュエル・エヴァの演技には改めて脱帽したし、素晴らしい作品ではあるが、これがパルムドールを穫ってしまうのは少々つまらない気もする。

2本目もコンペ。トマス・ウィンターベア『The Hunt』。小児性愛者の冤罪をかけられた男の日常が破綻していくという筋書き。コンペティション作品をすべて見たわけではないが、今年は、全体的に小さな共同体における亀裂、混乱を描いた作品が多い。その閉塞感に留まってしまい、そこからなかなか外に開かれていかない。降りかかる数々の災難はほぼ予測可能なものだけれど、冒頭から漂う異様な不穏さと主演俳優Mads Mikkelsenの演技には説得力があった。

上映後、吉武美智子さんのご好意で、コンペ、アッバス・キアロスタミ『Like someone in love』の公式上映、カクテルの招待状を頂く。夜の公式上映のため、ホテルに戻ってドレスアップし、カクテルの会場へ。上映三十分前には、俳優たちとともに、キアロスタミ、プロデューサー堀越さんが到着!残念ながらすでに会場時刻を過ぎていたため、写真を撮ったあとに急いで上映会場、グラン・リュミエールに向かう。

タクシーのフロントガラスにくっきりと浮かぶ東京の夜景が魅力的で一気に引き込まれてしまった。地理的な距離感の消失−−東京→静岡→横浜−−はさほど気にならない。ガラス越しに反射するイメージは、心象風景というよりむしろ、登場人物の視線の先を、もうひとつのスクリーンのように私たちに見せてくれる。風俗嬢アキコと元大学教授の老紳士との不可思議な出会いもまた現実的な物語の整合性を超えて、おとぎ話のよう。限られた登場人物の何気ない会話と時折見られる感情の表出、どうやって異境の地でこんなにも素晴らしい演出ができるのか……まさにキアロスタミ・マジック!主題の重さがある種の評価基準であるかのようなカンヌでは、『Like someone in love』のような作品こそ評価されて欲しい。

カンヌ国際映画祭報告2012 vol.04 5月20日(日)

1本目は、コンペティション部門でジョン•ヒルコート『Lowless』。アメリカ映画なだけあって、1時間前で恐ろしいほど長蛇の列。作品は、禁酒法時代に密造酒で荒稼ぎする兄弟の話。実話に基づいているそうだが、何とも薄っぺらい登場人物と分かりやすい展開…また外した。

続けてsalle bazinに、ホン・サンスのプレス上映に向かう。

 

なぜか尺が一時間半なのに、公式上映は一度のみで、プレス上映は、小さな劇場Bazanでの上映だ。嫌な予感がしたので一時間以上前に並んだにも関わらず、五分前まで白、ピンクのパスのジャーナリストを優先的が入場し、結局それだけで満員。相変わらずムカつく!もうバザンでのプレス上映には行かない。しかも、通常ある公式上映当日の朝のプレス上映もホン・サンスはない。ある視点部門のロウ・イエもそうだったけれど、アジア映画は、フランス映画、アメリカ映画と比較すると上映回数が少なく、プレス上映の劇場の規模も小さい。ありえない……。

2本目は入れる上映を探して、どうにかsalle soixantièmeに駆け込む。コンペ外上映でドキュメンタリー作品、Sébastien Lifshitz『Les invisibles』

セクシュアリティの歴史を、ニュース映像と2つの世界大戦の時代に生まれた人々にインタヴューで綴っていく。非常に誠実に撮られた印象はあるものの、美しい映像と老人たちの甘い思い出話に終始していまっていて、彼らの歴史がもうすでに終わってしまったものとしか感じられない。

3本目は、昨日入れなかった、ブラントン•クローネンバーグ『Antiviral』。近未来を舞台にしたサスペンス? 最低!並んだ甲斐なし。ユスターシュの息子も、ジャック•ベッケルの息子の映画もダメだけど、やっぱりクローネンバーグもダメだった……。たぶんフランスでは公開されないだろうし、レアものを見たと思って何とか気を落ち着かせる。

4本目は、カンヌクラシックでGregg Barson『Method to The madness Of jerry lewis』をSalle Bunuelで。今年のカンヌクラシック部門には、セルジオ•レオーネ『Once upon a time in america』、木下恵介『楢山節考』、ロマン•ポランスキー『テス』、ヒッチコック『The ring』などなど大スクリーンで見直したい作品はあるが、どうしても優先順位が下がってしまう。
ジェリー・ルイス出演作品の抜粋が満載だったのでゲラゲラ笑ったが作品としては普通の出来だった。今日も負けたような気がする……。

夜はKofic(韓国版ユニジャパン)のパーティーに行く。ホン・サンスに会えるのを楽しみにしていたけれど、到着当日のためさすがの彼もダウンして早々にホテルに帰ってしまったようだった。残念……。