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January 20, 2004

『マリーとジュリアンの物語』ジャック・リヴェット

[ cinema , cinema ]

時計職人であるジュリアンは巨大な柱時計の修理に取り掛かっている。時計の大きさは、構造の複雑さ、修理の難易度には関係しない。ただその古さだけをあらわす。常人には聞き取ることのできない2種類のリズムの間で、薄暗い空間を埋め尽くす針の音に包まれての作業は、彼の手が「肉屋の手」と形容されるにふさわしく肉感的である。そしてフレームの隅にうずくまるマリーにズームアップして、あるいはダウンして再びふたりを収める、滑らかなギア・チェンジによって、(ちょうど「ジュリアン」「ジュリアンとマリー」「マリーとジュリアン」「マリー」という章立ての形式と同じように)二人の物語は進行してゆく。
時計の解体と再構成というジュリアンの作業にも似て、すべての部品ははじめからそろっていて、部品の微調整と順序の組換えによって完成する。例えば冒頭とラストにおいてふたつの正反対の行為が同じく2度反復されるわけだが、出会いはジュリアンにとってだけ2度幻視されるが、別れはマリーによってのみ知覚されるだろう。始めはジュリアンの家の中の一部屋にあった騒音のもとは、のちには子供たちのそらぞらしいはしゃぎ声として家の外におかれる。どちらも玄関のドアという境界を越えることはなく、ただ訪れる順序が変わるのみだ。
時計仕掛けを下から上へ駆け上る猫、快感に身を垂直にそらすマリー、階段状の踏み台の上に腰を降ろすマリー、多くの物がマリーの宿命でもあるような宙吊りの反復を目指して上昇しようとする。宙吊りという極めて不安定な状態はジュリアンが共有できるものではなく、ここでもまたズームのアップ・ダウンに似た不可逆なギアが用意されており、彼が彼女の行為を反復することによって起こる決定的なねじれを避けるために、マリーは己とジュリアンとをつなぐ歯車自体を取り外す。ジュリアンは彼女を認識できなくなる。
もっともすべての部品はあるべき場所に返さねばならない。再びふたりをつなぐ歯車の出現をもたらすのは、マリーの目からあふれた涙の落下、そして底から連鎖されるかのような手首から流れ落ちる血によってである。このとんでもない「オチ」によって宙吊りへ向かっていた私たちは一気に突き落とされる。もちろんただの落下ではない。突き放され、どこまでいっても着地の気配がないこの落下に身をゆだねることは、恐ろしいほどの快楽である。

結城秀勇