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January 20, 2004

『ミスティック・リバー』クリント・イーストウッド

[ cinema , cinema ]

復讐のための帰還、それは『荒野のストレンジャー』の亡霊としての回帰や、『アイガー・サンクション』の殺人家業への復帰など枚挙に暇がない。『ミスティック・リバー』において、復讐のために帰還するのは、まず「ただのレイ」と呼ばれる男だ。冒頭の少年時代のくだりと現在の間に広がる数十年の空白の時間、この決してフィルムに収められはしない暗黒の時間の中で、ショーン・ペン扮するジェミーに殺されて、河に沈められた男である。ジェミーの娘ケイティーは、レイ・ジュニアが持っていた父親である「ただのレイ」の拳銃の暴発によって殺害される。もちろん、それが暴発であったなどとは信じない。この一言も言葉を発しないレイという少年が、ジェミーへの復讐のために帰還した「ただのレイ」であり、より正確には、彼が復讐を遂行するために使う媒体だからだ。ある晩レイは、兄、ブレンダンの元へ、母親からのメッセージだとして彼女のことは忘れるようにと伝える。そのシーンが不吉なのは、そのメッセージは母からのものなどではなく、父親からのものだからだ。「ただのレイ」は、言葉を発しないこのレイの身体を使って復讐を遂行する。
しかしながら、「ただのレイ」の復讐譚はこのフィルムのひとつの傍流でしかない。彼は決してフィルムに登場することもなく、ジェミーや酒屋の店主、当時事件を担当した刑事らの証言によって、空白の時間のなかから浮かび上がる存在でしかない。もうひとりの、復讐のために帰還する者がいる。娘ケイティを殺害された恨みから、再び殺人家業へ復帰する、ジェミーそのひとである。ところで、ケイティが殺害されたあの日、彼女と友人たちが、デイヴも居合わせたあのバーへ入ってくる前に、河を横切る空撮のショットがあったのを覚えているだろうか。もちろんそれは、復讐のために帰還する「ただのレイ」の亡霊のまなざしに他ならない。そして、ケイティが殺害された後、ベランダで佇むジェミーが夜の街の風景を眺める下りに続いて、同様に、河を横切る空撮が挿入されていたはずだ。そこで、彼は復讐のための帰還を決意する。そして彼は、死体安置室に横たえられたケイティにその決意を告げる。ガラスブロックに覆われたのっぺり明るいその安置室へと向う、彼の顔は、それほど強い逆光でもないのに、影のように黒く塗りつぶされていた。そこでは、彼はもはや影そのものであり、復讐のために悪魔へと魂を売った亡霊なのだ。しかしながら、彼の復讐は成功しない。彼は、真犯人であるレイと友人ではなくて、デイヴを犯人だと思い込んで、ナイフで刺し、銃弾を打ち込み、河に沈めてしまう。彼の復讐を妨げたのは、もう一人の復讐者の意図であったのかもしれないが、ともあれ、『ミスティック・リバー』においては、帰還者が復讐するという単純な公式は二重化され錯綜したものとなっていて、些か戸惑ってしまう。
しかしながら、実のところこの錯綜もまたどうでもいいことなのだ。恐ろしいことに、このフィルムでは何も起こらなかったのだ。復讐のため悪魔に心を売ったジェミーも、妻によって「あなたには四つのハートがある」のだと言われて、一つを失ったがまだ三つあるという話になってしまうし、誤って殺害されたデイヴも、数十年前車で連れ去られた時に死んでいたのだという話になる。刑事であるショーンもそれと知りつつ逮捕もしないし、このフィルムに付きまとうもうひとりの唖である彼の妻も亡霊かと思っていたら、謝罪の言葉一つであっけなく言葉を発し彼の元へ帰ってくる。終わってみれば、何も起こらなかったのだ。あまりに空虚なパレードをやり過ごして、コンクリートに刻まれた三人の名前が映し出されたとき、ふとそれが墓碑に見えて、死者はジェミーとショーンの方で、ようやくデイヴも成仏したかと思ったりもするのだけれど、それさえよくわからなくなってしまい、ラストの河の流れとエンド・クレジットを見つめながら、今見たものが、空白の数十年という見えないものであったこに気づいて愕然としながら映画館を後にする。背中を詰めたいものが流れる。私たちは何も起こらず、何も見えないものを見てしまったのだった。

角井誠