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October 20, 2004

『シルヴィア』クリスティン・ジェフズ

[ cinema , sports ]

『シルヴィア』クリスティン・ジェフズ

「人生は1本の木だ」というグウィネス・パルトロウの声が『シルヴィア』の幕を開ける。「私の人生は1本の木のようだ。枝のひとつは私の夫で、葉の1枚1枚は私の子供たち。もうひとつの枝は、詩人としての人生であり、もうひとつは教師としての私だ。私の人生は1本の木のようだ」。
 詩人シルヴィア・プラスの伝記映画である『シルヴィア』は、夫である桂冠詩人テッド・ヒューズとのふたりの物語を語るよりも、シルヴィア・プラスひとりに焦点を絞り、彼女の物語を語る。テッド・ヒューズとの出会いから始まり、結婚、出産とつねに彼の影がつきまとってはいるが、それはシルヴィア・プラスが創作意欲に目覚めるという『シルヴィア』のクライマックスを準備するためのものにすぎない。夫との不和が彼女を創作へと向かわせ、彼女は作品を残し、自殺する。
 オープニングで人生を1本の木に喩えるように、『シルヴィア』は1本の映画を1年という時間に喩え、彼女の人生を語る。何年もの時間の経過が、たった1年の季節の移り変わり、それも春の訪れとともに新しい葉を芽吹き、青々と繁り、紅葉を経て、冬の寒さを纏って葉を落としていく1本の木の変化へと還元されて語られている。『シルヴィア』はそのようなメタファーによって構築された作品である。ふたりは蜜月を陽光の降り注ぐ夏の海辺で過ごし、陽が翳り、寒さが増すのにまるで歩調を合わせているかのようにふたりの関係も冷えていく。雪が積もり真っ白になった路上をシルヴィア・プラスの遺体は運ばれる。
 構築されたものの外にあるものに対する関心が欠けているというのが正直な感想だった。生まれてきた子を腕に抱いて、窓辺に立つテッド・ヒューズは「これが世界だ」と言う。しかしその時、窓外に広がる風景が映されることがないように、『シルヴィア』は外側にある何かへの関心が希薄なのだ。
 「私にとって映画とはそれだけで完全なもの、それだけで成立する芸術作品なんです」とプロデューサーのアリソン・オーウェンは言うが、メタファーで構築される映画に「芸術」を見るほど現代はナイーヴではない。
 人生は確かに1本の木かもしれない。しかし、あえて喩えるならば、人生は森だ。どれか1本の木にひとつの人生をなぞらえることなど誰にもできないはずだ。森の中で方向感覚を失い、道に迷う。人生は確かに1本1本枝分かれしていくだろう。しかし、人生の渦中ではそんな明確に分岐点を判断することなどできない。

須藤健太郎


2004年12月 シネスイッチ銀座、ル・シネマにて公開