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February 21, 2005

アク−スモニウム・サウンド・プロジェクションによるライブ公演
16チャンネル・スピーカー・オーケストラ(2月18日@エスパス・イマージュ)

[ music ]

アク−スマティック音楽がもたらす感覚は、映画の創生期に多くの観客が体験した感覚—海の映像を見た後スクリーンが濡れていないか確認し、迫りくる列車から逃げだそうとした—に近いのかもしれない。

照明が落とされ、聴衆の周りだけでなくその直中にも設置された16のスピーカーから発信されたジョナタン・プランジェによる演奏、F・ベル「Vibration compos_es」は、音がそこに出現する空間と時間の濃度、質、その体積までをも自在に変化させうるのだという、いわば当たり前の現象(しかし驚くべき現象)を、より突き詰め精度を高めたかたちでここに圧倒的な体験として証明した。
「ミキサーによるマルチチャンネルの定位操作によって」奥へ手前へ後ろへ左右へと動き回り配置されるおのおのの音の質感とタイミングから、音のゴムボールがある密閉された空間のなかで跳ね回る印象をもつこの楽曲において、ゴムボールがバウンドする見えない壁は、ある時はコンクリートのような質感に、ある時は壁一面にチューインガムを貼り付けたような粘着性を帯びたものに、ある時はガラスのように今にも割れてしまいそうなものの音をたてる。壁自体もその面積を刻々と変化させ、空間の容積も形状も変化していくようだ。さらに音のゴムボールが空間を横切る速度や、その塊の大きさ、それが軟らかいのか硬いのかまで、その場に出現するあらゆる事象がただ音のみでリアライズされている。

この未知数の音楽との遭遇に、驚きと興奮と、そしてどこか覚える恐ろしさを禁じえない。それは、現実ではないイマジネーションの世界を出現させるということにおいて、人が映像を目にすること以上に、人の聴覚があまりにも無防備であることに気づくからだ。この音楽が人の身体感覚にもたらすものは単に「聞くことの喜び」だけではない。無防備な聴覚は驚くほどリアルで変幻自在な幻の空間をいともたやすく信じ込んでしまう上にそこで得た身体感覚の記憶は容易に消し去る事ができないから。もしそこに「聞く」ことの倫理が存在しないのならば、それは手放しの喜びだけでは迎えられないはずである。
「音楽」の終ったあと、沈黙の中にあふれる音・ノイズのオーケストラを今までにないほどの敏感さで身体の体験として体中で反応したくなるように、この音楽がそれまで馴れ合っていた意識へ揺さぶりをかけるものであることは間違いない。願わくばこのあらゆる方向に発展する可能性を持ったアク−スマティック音楽が、現実の世界にとって真の恵みをもたらすものになるといい。

藤井陽子