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April 27, 2005

『伊丹十三の本』「考える人」編集部 編
梅本洋一

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itamijuzo.jpg私の世代にとってエッセイスト伊丹十三は決定的だ。この本は、伊丹十三が書物に収めなかったエッセーと伊丹を知る人たちや彼の文章を読んだ人たちのインタヴューと伊丹の写真で構成されている。最近、彼の本も相次いで文庫化されている。私たちの世代にとっての伊丹の重要さ加減は、本書に登場するどの人も『ヨーロッパ退屈日記』を高校時代に読んで衝撃を受けたと書いていることで証明される。そして、私もそのひとりだ。多感な青年になりかけの時分に、他者とちょっと異なる態度と生活を自らに導入したいと思うのは自然だが、『ヨーロッパ退屈日記』はその格好の参考書だった。他者と異なるものに憧れるのは皆に共通するにしても、その異なり方の参考になる対象として皆が同じものを選ぶというのは確かに矛盾している。しかし、その参考書を読んで、皆がその参考書の著者と同じになれるならよいのだが、ニコラス・レイやリチャード・ブルックスのフィルムに出演することは、ほとんど誰にもできないし、ギャラで「ジャグァ」を買うこともできない。憧れは憧れに留まり、それから皆、諦めていくものだ。伊丹の本の思い出を語る人のひとりとして、本書には建築家の中村好文が登場し、「十代の終わりから二十代の半ばの頃まで、私は本を買うと裏表紙をめくったところに、買った日の日付を書き付けるようにしていた」と書くが、私が持っている『ヨーロッパ退屈日記』(文春ポケット版)の裏表紙をめくったところにも、日付と買った本屋の名前が書き込んである。皆、そうだったんだ、と大笑いしてしまった。当時は母が買ってくる「ミセス」に連載されていた伊丹のエッセーをむさぼるように読んだものだ。彼の書物に収められなかったそうしたエッセーも本書に載っている。
でも、本当を言えば、高校大学時代の私ではなく、今の私に興味があるのは、この本に載っていない伊丹十三のことだ。彼を看取った宮本信子と伊丹十三との関係ではなく、伊丹十三の最初の妻である川喜多和子さんと伊丹十三の関係だ。私の知る限り、伊丹十三は和子さんにほとんど言及していない。きっと和子さんがいなければニコラス・レイもリチャード・ブルックスもなかったのではないだろうか。そして、エッセイストを開店休業してからの映画監督としての伊丹十三である。「商業映画監督」として、伊丹十三は大成功したが、そうした自らの地位を『お葬式』で手に入れるまで、つまり、準備期間の間、伊丹十三と蓮實重彦が短い間、何度も交流している。多くの人々は伊丹十三を映画監督としての成功者としているだろうが、伊丹十三自身は、「商業映画監督」としての成功をどう考えていたのだろう。彼が突然の自殺をした後、もう誰もそのことを語る人はいない。