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June 20, 2005

『帰郷』荻生田宏治
渡辺進也

[ cinema ]

 ちょっと早めに映画館に着いたので、ロビーに貼られた紹介記事を読んでいたらびっくりしてしまった。地方自治体が撮影に協力するフィルムコミッションによって作られた1本なのだが、その撮影されている場所が僕の実家の近くなのだった。しかも、何人かの俳優を除けば現地の人間が出演している映画であるということで、映画の中に知り合いが出てくるのではないかとひやひやしてしまった。
 春夫(西島秀俊)のところに母親から結婚すると書かれた1枚のハガキが送られてくる。そこで帰郷すると昔の恋人(片岡礼子)に偶然会う。彼女は離婚してひとり娘とともに田舎に戻ってきているのだが、その娘が春夫の子供なのだと言う。次の日、彼女の家を訪ねると彼女の姿はなく、娘がひとりいるだけだった。女の子と共に母親探しが始まる。
 東京と田舎は当然のように違う時間が流れている。かつて生活した場所であるはずなのに、すでに自分の庭のようにあそぶことはできないし、どうでもよいような建物がひとつなくなっていたり、新しく知らない建物ができているといった小さな変化があるだけでもはや自分が生活している場所ではないということが否応にも感じられてしまう。帰郷したところで周りからはゲスト扱いだし、そうでもないと言っても東京はいいところなんだろうとうらやましがられる。故郷は実は居心地が悪い。この映画では、そういうところがよくでている。主人公は自分の地元のはずなのに泊まる場所がなく駅で寝なくてはならず、自分の娘かもしれない子供との道中は初めて訪れる場所で右往左往しているみたいだ。自分の生まれた土地なのによそ者のように徘徊する。そのことがとても興味深い。しかも、僕には彼らがいる場所に吹いている風や気候、海の近くではどんな匂いがして、肌や髪がべたべたしてといったことがよく分かるのでつい引きこまれてしまった。
 いくつかの騒動のあと、片岡礼子演じる娘の母親は春夫に次のように言う。「春夫君、あまりに変わってなかったから、悔しくて……」。田舎にいる人間よりも東京に行った人間のほうが変わらないというのはこれまで映画とか小説とかで繰り返し言われてきたことと反対のことであるけれども、案外そういうことなのかもしれない。
 まさか、東京で『帰郷』という名の自分の故郷を舞台にした映画を見るとは思わなかった。でも、僕はこの映画がとても気に入ってしまった。自分のために作られた映画なんじゃないかと思ってしまったからだ。

『帰郷』
新宿武蔵野館にてやさしさあふれるロードショー中