« previous | メイン | next »

November 30, 2005

「吉村順三 建築展」
梅本洋一

[ architecture , book ]

 中庭に設置された実物大の「軽井沢の別荘」のパネルに導かれて「吉村順三展」に入る。展示の仕方はごく普通で、彼の残した設計図、竣工時の写真、家具、そして、有名な吉村障子……。小さなホールでは「軽井沢の別荘」の四季を巡るドキュメンタリーが上映されている。必要最低限を求めながらも、その最低限に最高度の趣味を加味にして吉村建築は成立している。その趣味の良さは、論理的な言葉で語ることがなかった吉村自身のように、なかなか言葉にすることが難しい。「たゆやかな光」が「吉村障子」を通じて差し込み、大きな窓からは「自然をめいっぱい感じるような空気」が流れ込み、闘争よりは静寂を、速度よりはゆるやかな移り変わりを、白と黒に分割することよりは、その間に大きく広がるグレイのグラデーションを選択すること。吉村建築は、そんなことを目指しているようだ。
 和室と庭の間に必ず設えられている小さな縁側も、大きな窓も、そしてもちろん「吉村障子」もそうしたグラデーションの一部を成していることは述べるまでもない。「軽井沢の別荘」の居間の窓際に置いてあるソファに長いこと腰掛けていたものだ、と順三の想い出を語る吉村夫人の言葉に深く頷くだけだ。「ここ」と「そこ」の境界を決然と引くのが建築家の役割だとしたら、吉村は、その境界を曖昧に引くことを選び、その曖昧さを考察することが建築家の作業の大部分を占めていたはずだ。
 70年代になると、北山恒が述べるように、吉村の世界と現実の世界とが奇妙なミスマッチが始まる。居間には必ず暖炉があり、庭を見下ろす居間からは自然が眺められるという、吉村が自らの空間の中に召還したライフスタイルが現実と合致しなくなったからだ。彼が残したオフィスビルの内部に、やや時代遅れのモダニズムを感じ、彼が建てた都市の住宅にそれほど大きな魅力を感じられないのはそうした理由によるかもしれない。「軽井沢の別荘」が今なお大きな魅力でぼくらに迫るのは、何よりも、そこが「軽井沢」であり、「別荘」の周囲に広がる自然は、都市の変貌よりもずっと遅い速度を生きているからだろう。

東京藝術大学大学美術館にて開催中