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May 7, 2006

『フォーブール・サン=マルタン』ジャン=クロード・ギゲ
梅本洋一

[ cinema , sports ]

おそらく昨年の秋にギゲが亡くならなければ『フォーブール・サン=マルタン』を見ることなどなかったろう。今から28年前、私はジャン=クロード・ギゲの処女長編『美しい物腰』(良家のマナー)を見た。自室に戻ってラジオをつけると、ギゲのインタヴューを放送していた。おぼろげな記憶を辿ると、彼はこんなことを言っていた。「ぼくが育った場所では、原語での外国映画の上映などあり得なかった。だから今でもアメリカ映画をフランス語の吹き替えで見ている。言葉のニュアンスが声としてはっきり伝わらなければ、ぼくは映画にうまく乗っていけない」。パリのインテリ・シネフィルの間では、フランス語吹き替えでアメリカ映画を見るなどもってのほかのことだった。同じ放送でギゲが批評家でもある事実を知った私は、極めて「フランス的」なこの処女作を、そこにいくつかの素晴らしいシーンはあったもののどこかに置き忘れてしまった。彼のフィルムに再び触れたのは、それから14年後のことで、なぜかギゲという固有名を覚えていた私は、パリの名画座で長編第3作となる『蜃気楼』を見たのだった。出演者の中にファビエンヌ・バーブという女優の名前を見つけたからでもある。レマン湖のほとりの自然とクラシック音楽の中で、かなり年齢を重ねた女性がまるで少女のように青年に身を焦がす姿が俄には信じられなかった。けれども、決して大好きだというわけではないのだが、奇妙に記憶の奥底に彼の固有名と彼のフィルムが貯蔵されてしまう。
もちろん、その28年、あるいは『美しい物腰』と『蜃気楼』の間の14年と『蜃気楼』を見てから今日までの14年の間に、私はギゲとポール・ヴェキアリ、あるいはジャン=クロード・ビエットとの系譜的な関係性を学んではいたが、『美しい物腰』にも『蜃気楼』にも見られる若者と熟女の関係、そして外国語あるいは異郷性を廃した密室的な世界と大自然とのあり得べからざる、不似合いな共存をずっと不可解だと思い続けていた。だが、『フォーブール・サン=マルタン』(このフィルムは1986年に撮影され、同年のカンヌに出品されているが、古いカイエ・デュ・シネマを探ると、その年の12 月号にこのフィルムについての批評が掲載されているのが見つかった。表紙はシャヒーヌのフィルムで、ちなみにその前月はカラックスの『汚れた血』が、翌月はモレッティの『ミサは終わった』が表紙を飾っている)をその制作から20年後に見ると、ギゲの世界が、バザン的な表現を使えば「マヨネーズが固まったかたち」で実現している。ヴェキアリ、ビエット、そしてギゲという系譜が私の興味の中心に存在していなかった事実は、カイエの表紙──つまり、時代はモレッティであり、カラックスだった──が物語っているだろう。同時代と映画の関係ではなく、映画が関係を持つもっと別の何か、そこにこそギゲ的なものが存在しているからだ。すでに終わってしまった何か、すでに記憶の底に沈んでいて、忘れてしまった何か、古いシャンソンが突然、訳もなく口をついて出てくる瞬間に、それらが少しずつ思い出される。現在の狂おしい変化に立ち向かう映画ではなく、かつて存在はしたが、半分忘れかけている何か、それをおぼろげに思い出すための、あるいは、現在の困難を過去の美しさのために少しは忘れるためのフィルム。『フォーブール・サン=マルタン』を見ると、そんな気がしてくる。フィルムがほとんど終わりに近づいた頃、何の理由もなく、フォーブール・サン=マルタンにある三つ星ホテルに住まう老娼婦のフランソワーズ・ファビアン──神々しいくらいに美しい──の口からアラゴンの歌詞による古いシャンソンが聞こえてくるとき、私はギゲの世界に完全に呑み込まれていた。