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October 5, 2006

田中登追悼
梅本洋一

[ cinema , sports ]

 朝刊の死亡記事に田中登の名を見つけた。あれは、おそらく1976年のことだったと思う。「ぴあ」を片手に当時まだ存在していた綱島文化に出かけた。『四畳半襖の裏張り』『実録阿部定』『秘色情メス市場』の3本立てを上映していたからだ。どの作品も見ていたが、まだビデオもDVDもない時代のこと、再見するためには映画館に出かけなければならない。神代辰巳の秀作と田中登の傑作2本という組み合わせ。
 田中登はロマンポルノが終わってから大した作品を残していない作家だ。ロマンポルノという枠の中で、ときどき素晴らしい作品を発表した。『秘(まるひ)色情メス市場』が最大の傑作だと思う。田中自身によれば、もともとのタイトルは「受胎告知」だったそうだ。当時は会社の重役がタイトルまで勝手に決めていたのだ。彼の作品には『人妻集団暴行致死事件』という信じがたいタイトルの作品もあった。監督とは会社に雇われた人であり、会社の意向で映画を撮る。スタジオシステムだ。
 では、なぜ『秘色情メス市場』が傑作なのか。大阪の西成地区でのオールロケと、夏の蒸し暑さと、芹明香の存在によってである。大阪でロケされた映画は多いが、その土地の決定的な光景を撮ったのは大島渚の『太陽の墓場』とこの作品だ。街娼と知恵遅れの弟。弟の飼う鶏。鶏と犬のように引き回す弟。ほとんどがモノクロで撮影されているこのフィルムのラストだけがカラーになる。弟は通天閣に鶏を連れて行き、そのてっぺんから鶏を放すのだ。その瞬間、鶏の真っ赤な鶏冠が目に焼き付く。
 もちろん田中登という固有名が映画の何かを変えたわけではない。繰り返すが、彼は、ロマンポルノというプログラムピクチャーを連作したひとりの優秀な映画監督に過ぎない。スタジオシステムが崩壊すると共に、主なる活動の場をテレビに移し、2時間ドラマの演出をしていたようだ。だが、彼が活躍していた70年代の中期を思い出すと、その時期はロマンポルノしか見るべき映画がなかった。ぼくらは、タバコの煙の中で、ポケットの中に手を突っ込んで自慰行為をする男たちに囲まれて、「知られざる傑作」を探していた。そういう時代だった。神代も死んだ。田中登も死んだ。