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January 25, 2008

『新・都市論TOKYO』隈研吾 ・清野由美
梅本洋一

[ book , cinema ]

 あるサイトに建築家隈研吾とジャーナリスト清野由美が、汐留や六本木ヒルズを歩きながら、対話を重ねるページが連載されていた。とてもおもしろく読んでいた。東京改造に携わる側の建築家である隈研吾にジャーナリスト(決して素人ではない)清野由美が直裁的な質問をぶつけ、ときには明解に、ときには苦渋を込めて、そしてときには悔恨を表しながら、それでも正直に清野の質問に答えていく隈の言葉が興味深かったからだ。
 本書は、それが改稿され新書にまとめられたものだ。まず隈が「都市開発の手法を概観する」という文章で全体を見渡し、続いて汐留、丸の内、六本木ヒルズ、代官山、町田、そして北京で隈と清野は対話を続ける。この本の成功は、再開発について隈が所見を述べるというのではなく、その場で対話が行われていることにある。もちろん、その場について周到な知識と知見を持ってそこに赴くのだが、実際にそこに行ってみると新たな発見があって、対話は、その発見を契機に弁証的に行われていく。隈は六本木ヒルズには関わったので妙に点が甘い。森稔という個人企業が400もの地権者と交渉して、自力で再開発した事実は、丸の内が三菱地所だったり、代官山が朝倉不動産+槇文彦だったりするのとは異なり、森社長の執念みたいなものを感じはするが、六本木ヒルズによって得たものと失ったものを秤にかけると、ぼくは、どうしても失ったものの方が大きい気がする。
 隈によれば、現在の再開発はリスクマネジメントの方法で行われているから、マスターアーキテクトという形態よりもゼネコン型が多くなり、容積率という面から考えると、たとえば東京駅の保存と引き替えに、丸ビルが高層化されるということになる。実際に開発に携わっているが、ゼネコンでも大設計事務所でもなく、個人事務所の隅研吾の立ち位置から見た再開発がとてもよく理解できる。だが通読して――もちろん丸の内も代官山もその再開発について知らないことを教えてくれたので興味を持てたが――もっとも面白く読んだのは町田である。ふたつの鉄道が交わる東京のベッドタウンであり、しかも商業地域でもある町田のカオスのような風景。大規模な開発が行われている背後に、シャッターストリート化されないで賑わう路地がある。そういう風景を前に建築家は何を考えるのだろうか?
 この本を読む人の多くは、三浦展の書物や東+北田の書物をもう読んでいるだろう。三浦展のマーケティング的な統計を背景にした思考や、東+北田の社会学的哲学的な分析とは別の、再開発の最中にある建築家の風景を前にした多種多様な言葉を、この本では読むことができる。