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February 24, 2009

『ベルサイユの子』ピエール・ショレール
結城秀勇

[ architecture , cinema ]

 とある事情から、作品全体について云々できるほど集中できる環境でこの映画を見ていないのだが、それでもこうしてなにか書き付けずにいられないのはひとえに俳優ギヨーム・ドパルデューのためである。彼が先日急逝したということを思い出す、というような感傷的な気持ちとはまったく無縁に、彼がスクリーンに映し出されると反射的に目を奪われてしまう。ジャック・リヴェット『ランジェ公爵夫人』では暴力的なまでに即物的な肉体によって画面を振動させていた彼だが、『ベルサイユの子』においてはもっとアレゴリカルな位相で作品の骨格になっている。
 彼はベルサイユ宮殿近くの森の中で生活する浮浪者のひとりとして登場する。そこで出会い、その後の生活をともにすることになる少年に、彼は王侯とその近侍のエピソードを語る。現実に無数の観光客が訪れる壮麗な宮殿のすぐ近くで、家も職もない人々が暮らすこの地域を主題としているこの作品がギョーム・ドパルデューという俳優を必要としたのはまさに、このエピソードを語る彼に観客は「王侯」と「浮浪者」両方の姿を同時に見ることができるからだろう。それは「独裁者」と「抵抗者」などの言葉にも置き換えが可能だったのかもしれない。そうした寓意と俳優ギヨーム・ドパルデューが持ちえた(持ってしまった)「現代性」とはただ偶然に結びついたわけではない。
 セルジュ・ボゾン『フランス』で、楽器を持った軍隊が旅の果てに見つけ出すのは、足を引きずりながら遠くから近づいてくる彼の姿だった。ギヨーム・ドパルデューがいくつかの映画でこうした「戦傷者」を演じたのは、彼自身の身体的な障害にのみよるものでは決してないはずだ。

5月シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
フランス映画祭2009にて先行上映