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May 22, 2009

『レイチェルの結婚』ジョナサン・デミ
茂木恵介

[ cinema , cinema ]

 右ストレート一閃。よろけながら、反撃の左フック。リングサイドからリングを見上げ、反撃する選手の背中を興奮しながら見つめるセコンド。もちろんそんな「シーン」なんてないのだが、そんな「パンチ」はこのフィルムにはある。しかし問題は右目を腫らせる程のパンチが出てくることではなく、そのパンチが打たれる瞬間を見上げる形で見てしまったことだ。そして、それは誰が見ているのか。もちろん、それは観客であるわけだが、どうやらそれだけではない。
 このフィルムはタイトルが示す通り、レイチェルの結婚式までの話である。準備から当日までのプロセスを僕たちは見ることになる。舞台はコネチカット州にある閑静な住宅街。広い庭で当日は盛大なパーティーが行われ、テラスでは本番で演奏する曲の練習をしている。そこに更生施設から帰って来た妹(アン・ハサウェイ)が戻ってくる。放蕩娘と彼女を見守る家族の絆の再確認と新たな家族の加入、そして家族それぞれの新しい出発。これがこのフィルムのすべてだ。 ぐらぐら揺れるカメラはレンズに映る人物の会話とともにその場にいる誰かが会話をする人物へ向けられる視線へと切り替わり続け、離散したある家族、新しい家族の三日間に並走する。しかし、物語が進むに連れてカメラは結婚式当日へとつながる時間軸を外れ、止まってしまった時間の方へと向かってしまう。冒頭からまずある空間を、あるいはその空間にいる人物を捉えてから次の視線の持ち主へと切り替わることを頑迷に続けていたカメラはそこで脱線する。代わりにカメラは人ではなく、ある写真を捉える。数年前に死んだ弟の写真だ。そして、カメラはその止まってしまった時間から動けずにいる人物の視線に同化するようにそれまでカメラが捉えた空間にいる人物に乗り移るのではなく、ある時の瞬間の中に保存されている弟のあるはずのない身体へと乗り移る。カメラポジションは徐々に下がり始め、僕たちはデブラ・ウインガーとアン・ハサウェイが殴り合う瞬間を見上げることになる。そして、その場でなされた会話だけは言うまでもなく今はもうない存在が殴り合う家族とともに過ごした時間でもあった。
 それ以後、彼女達は彼の話をすることはなく、それぞれのこれからの話を始めるわけだが一度脱線したカメラは再び流れる時間へと舞い戻る。その時カメラは冒頭からの揺れは止まり、フィックスで家を離れる彼女達の出発を見送る。それはどこか感動的な瞬間だった。

Bunkamuraル・シネマ他 全国順次公開