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February 19, 2012

『なみのおと』酒井耕&濱口竜介
松井宏

[ cinema ]

 声による圧倒的な体験。
 酒井耕、濱口竜介という初めてドキュメンタリーを撮るふたりの監督によるこの作品は、声による圧倒的な体験と言い換えられる。ふたりは2011年3月11日の東日本大震災以後に宮城県に入り、各地の何人もの(何組もの)人々との接触を何度も重ね、やがて彼ら自身の体験をそれぞれ語ってもらい、そのなかの11人をこの作品に登場させている。昭和初期に同地域に発生した大地震を経験したおばあさんから始まり、まだ20代前半と思われる女性まで、その世代はグラデーションを持つ。


「いかにも」な被災地の風景はいっさいない。語る人々の姿と、紙芝居という根源的な伝承装置以外、カメラが見せるのは「いかにもな田舎」の風景だけだ。ではなぜ酒井&濱口は、ひたすら語りをカメラにおさめるという選択したのか? たとえばジャン・ユスターシュの『ナンバー・ゼロ』がそうだったように、想像的な歴史と現実的の歴史との混交から、ひとつの怪物的な物語=歴史をつくりだすため? そうとも言える。と同時に、その選択の土台にはまず、以下の事実を示す目的があったはずだ。宮城県内で震災と津波を体験した人々はみながみな同一の経験をしたわけではなく、それぞれに特異な経験があったという事実。つまり、彼らそれぞれにその特異性を与えて(返して)あげることが、何よりの目的なのだ。彼らは何よりもその声によって、自らの特異性を(ふたたび)輝かせる。わたしたちがこの1年、ときに胸を痛めながら、ときにワクワクしながら見てきたありとあらゆる「被災地の映像」が、いまや「被災者」という名のもとに彼らの特異性を奪い、そのイメージを均一化している事実は疑いようがない。酒井&濱口は、じゃあそうした均一化されたイメージを、天の光でも射すごとく破壊するような映像を求めるんだ!という、クソみたいな自己満足と履き違えられた誠実さとは無縁だった。
 
「なみのちから」から「なみのおと」へ、とでも言えるのか。すべてを均一化させ硬直化させる「なみのちから」を、個々の特異なざわめきを聴かせるしなやかな「なみのおと」へと変換すること。そこで酒井&濱口がとった戦略(=映画づくりの方法)は、これまたとても興味深いものだった。


『なみのおと』に登場する人々はみな対話形式で話す。姉妹、夫婦、地元の仲間たち。あるいはひとりで語るときですら、酒井監督か濱口監督が彼(女)の対話相手となり、監督たちもちゃんと自分の顔を画面にさらすことになる。その際、対話者は互いにカメラと正対し、つまりほぼカメラに向かって話しており、それらが、いわゆるショット/切り返しショットのかたちで繋げられる。だがここで当然ひとつ疑問が生じる。いったい、どうやって正面で向かい合うふたりを、何度も同じテイクをやらせるわけでもないのに、それぞれカメラに正対した姿でとらえることが可能なのか?(2台カメラを使っている、というのもありえない。なぜならそれだと、片方の人間が映る画面に、本来あるはずのもう1台のカメラが映らざるをえないからだ。もちろん、もう1台のカメラはここに映りこんでいない)
 こたえ。上映後のQ&Aで監督ふたりが十八番でもやるように身振り手振り答えてくれた。要するに、片方の対話者を1メートルほど横にスライドして座らせ、互いの前にそれぞれカメラを置いて、そして対話をしてもらったとのこと。つまり実際のところ対話者は、それぞれ別のカメラを正面に見つめながら、斜め前方に相手を視野に入れつつ、対話をしていた。それをショット/切り返しショットのかたちで編集して繋いだ、とのことだ。
 
 すでに濱口監督は『親密さ』(いちおう「フィクション」映画)で、同様の方法を試していた。実時間の対話の流れを保ちつつも、対話者それぞれがそれぞれのカメラとの「親密」な関係を持って自らの言葉を発する、というこの形式。これは少なくとも話者にとって「演劇的な」(あるいは「フィクションの」)とでも呼べるような、思いも寄らない自分の力を引き出される形式なのだろう。カメラとの間にミニマムで親密な演劇空間を構築できるとき、ひとは自分のうちに潜んでいた力を初めて認識し、発揮する。おそらくそういうことなのだろうか。フィクションかドキュメンタリーか、役者か非=役者か、そういった区別に関係なく。少なくとも『なみのおと』において、話者たちはそのようなカメラとの関係を結べたがゆえに、自分の発話の力に自分で驚きながら、自分でも知らないような大きな感情にとらえられているように思う。だからこそ、あれほど大量かつ充実した言葉を繰り出すことが可能となったのだろう。

 しかしなぜ酒井&濱口はこのような技法を使ったのか? 繰り返すが、まずは彼らに各々の特異性を返してやるためだ。この作品をあくまでも「バラバラ」から出発させるためだ。そしてもちろん、それだけじゃダメだ。バラバラ(=各対話者に別々のカメラを向ける)から出発し、そしてあくまでも、それらを再構成(=ショット/切り返しショットのかたちでの編集)せなばならないのだ。彼らに各々の特異性を返した後に——そう、それだけじゃダメなのだ——今度は、彼らがともに存在すべき共同体を再構成すること。

 
 つまりこれは、まさに彼らのうちの何人かが発した「てんでんこ」という言葉の映画化でもある。「てんでんこ」(ウィキペディアにも載っていた)とは、「津波のときは、家族だろうが誰だろうが他人にはかまわず、とにかく自分のことだけを考えてバラバラに高台へ逃げろ」という意味。ひとりの男性が語っていたように「てんでんこで逃げてこそ、あとで家族がちゃんと再び集まれる」わけだ。家族や共同体を再構成するために、とにかくいちどバラバラになる。酒井&濱口の方法論とは、まさしく「てんでんこ」のそれだ。『なみのおと』は「てんでんこ」につくられている。つまり『なみのおと』とは、実際には津波のずいぶん後につくられていながら、まさに津波がその地を襲ったあの時間帯を、そこに生きていた人々とともに生きなおしている作品なのだ。

 それぞれの人間の特異性を、そしてその力を存分に生きさせながら、それを損なうことなく、彼らがともに存在することのできる共同体とは、しかしいったいどんなものなのか? わからない。これはいまもっともアクチュアルな問いのひとつかもしれない。『なみのおと』もまたそれに答えは出せないし、監督ふたりはその問いを立てるために——そして探求するために——この作品をつくったはずだ。「てんでんこ」を語った男性は、「ふるさと」というものについても語っていた。彼の語りは非常に象徴的に「ふるさと」の危うさを意識的に暴露してもいた(監督である酒井と彼のやり取りは非常にスリリング)。だから問いはこうとも言える。政治や経済、あるいは資本主義の餌食とならない「ふるさと=共同体」とは、どのように可能なのか?と。あるいは『なみのおと』という1本の作品こそが、その共同体の姿なのだろうか……。


 だがとにもかくにも。圧倒的な語りを体験させる『なみのおと』は、観客にもまた語りを誘うだろう。観客は上映後、さまざまなことを考え、さまざまなことを互いに語るだろう(あんなに雰囲気の良いQ&Aはホントに珍しい。あれも作品の力だ)。『なみのおと』に登場する彼らを見て、ぼくもわたしも、彼らのように生きたい、と思ってしまうだろう。あの老姉妹のように年をとりたい、あの女性のように友人を大事にして生きたい、あの男性のようにたくましく生きたい、あの若い姉妹のような仲の良い姉妹になりたい、そしてあの夫婦のように、ケタケタ軽口をたたきながら互いの愛を確認できるような夫婦になりたい(最高の夫婦!この作品の白眉!)。彼らはみな、本当にかっこいいのだ。すべての人間が『なみのおと』のおかげで自らの特異性を取り返し、その大きな力を存分に輝かせている。そして『なみのおと』の大きなやさしさでもって、ともに存在している。
 
 酒井&濱口はいまも仙台県内に滞在し、現地の人々に会い、同じように語りをカメラに収める作業を続けているという。しかもそれらの映像は「せんだいメディアテーク」にアーカイブ化され、誰もがアクセスできるようになる、そんなプロジェクトが進んでいるとのこと。わたちたちの伝承装置としての『なみのおと』は、いまや「映画作品」に留まらない大きな力となりはじめている。だがまずは、ひとまず「作品」というかたちをとった『なみのおと』を体験し、それについて多くを語るのが先決だろう。まだまだ語るべきことはたくさんある。圧倒的な体験。自分でも気づかなかった何かが、感情が、自分のからだになだれ込んでくる感覚。そんなものめったに味わえるものではない。


2月23日(木)15:00、恵比寿映像祭にて上映!