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March 12, 2012

『ロング・グッドバイ パパ・タラフマラとその時代』パパ・タラフマラ、小池博史
増田景子

[ book , cinema ]

 2012年パパ・タラフマラが解散する、ということは知っていた。観劇するともらう分厚い折り込みチラシの束にたしか最終公演のフライヤーを目にしたからだ。でも、「パパ・タラフマラが解散する」ということが何を意味するかは知らなかった。さらに、パパ・タラフマラがどんな劇団で、どんな歴史を築いてきたかってことも知らなかった。そう、何も知らなかったのだ。

「パパ・タラフマラは1982年に小池博史を中心に結成された、パフォーミング・アーツ・カンパニーで、「ダンス」「演劇」「美術「音楽」等の様々なジャンルを巻き込みながら、舞台空間全体をひとつのアートに築き上げる手法で人々を魅了した。」(本書ブックカバーより)

ジャンルにとらわれずに、ということは今でこそ盛んに言われるようになってきたが、やはり演劇は演劇、ダンスはダンス、映画は映画というジャンルのなかで戦っているものがほとんどというのが日本の現状である。にもかかわらず、この団体は30年も前から今でさえなかなか実現されないことをやってきたというのだ。「あらゆる境界線に立つこと」という立ち上げ時の精神をつらぬいて。その証拠に、コメントをよせている誰もがその舞台を何と呼んでいいかわからないと口をそろえて言っている。また、目次からもそれがわかる。彼らがあらゆるジャンルの境界に立って活動してきたからこそ、彼らに対して言及する人々も、詩人の谷川俊太郎にはじまり、キュレーターの長谷川祐子、映画監督の是枝裕和、写真家の港千尋などジャンルは多岐にわたる。

 そんな色々な人の声が集まったこの本は、ただの解散記念の記念本ではない。むしろ過去作品がどんなものだったかについて詳細にふれた文章は少ない。この本が語りたいのは、パパ・タラフマラの過去ではなく、彼らの解散についてなのだ。なので、インタヴューでも思い出話もそこそこに、この解散にまつわる話へと切り込んでいく。
 ああ似たような感触の本を読んだことがあると思って思い出したのは、片岡義男の『ぼくはプレスリーが大好き』(角川文庫/1974)。エルビス・プレスリーについて書いた本なのに、全然プレスリーの名前が出てこない。プレスリーを語るということは、ロックンロールの歴史を語ることと同義なのだ。そのことをこの本から教えてもらった。きっと高い評価が得られる海外に拠点を移さずに、日本に拠点をおくことに執着しつづけ、日本に挑んできたパパ・タラフマラだからこそ、プレスリーとロックンロール同様に、パパ・タラフマラを語ることはここ30年の舞台芸術について語ることになるのだろう。

 これは彼らの解散についての本だと先にのべたが、そのことはあくまでも媒介にすぎない。堤清二は本書のなかでこうのべている。「私たちは、パパ・タラフマラの解散を、いまの文化状況への痛烈な批判として受けとめるべきだろう」と。この本はきっと「パパ・タラフマラの解散」という一事件を介した日本の舞台芸術界に対する申し文なのだ。

正直いって知らない劇団の解散である。しかし、舞台の一観客として、いや文化に関わるものとして、この事件を知らないで済ましてはいけないとこの本はしきりに訴えかけてくるのだ。