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May 21, 2014

『吉祥寺バウスシアター 映画から船出した映画館』@LAST BAUS
渡辺進也

[ book , cinema ]

 この本の後ろの方に「バウスシアター年間上映年表1984〜2014」という80頁の資料があって、バウシアターのオープンしてからのすべての上映作品が掲載されている。ぼんやりとこの資料を見ていると、僕が最初にバウスに行ったのは2001年5月の〈「降霊」劇場初公開記念・黒沢清監督特集〉が最初らしい。『地獄の警備員』とか『ワタナベ』とか見たなあと思う。
 吉祥寺の近くに住んだことなどないから、僕がバウスシアターに行くときはそんなふうに特集上映に行くことが多く、もっぱらあの50席あるかないかのシアター2がほとんど。シアター1に初めて入ったのはかなり後の2004年12月の「グリーンデイル」だったし、シアター3にはいまだ一度も入ったことがない。
 ロードショー作品だったら近くの映画館で見るし、吉祥寺に行くこともそれほどないし。近くに住んでいない者とすると、気になるときだけ行くというような軟派なつきあい方しかできず。だからなのか余計にこの本を読んでいて思うのは、バウスシアターというのが吉祥寺ということと切り離せないことだ。吉祥寺にあるのだから当然と思われるかもしれないが、それは自明なことではない。自分の映画館のある街のことを考えている映画館などほとんどないものだ。
 表3の頁にDADAというバウスシアターが出していたミニコミ誌の一部があって、そこに「吉祥寺は生きていられる処になるはずだった。つまらねえ吉祥寺さよならだ。おもしろくいこうぜ。かっこ悪くビバカッペ吉祥寺としゃれるわけである」というアジテーションみたいな文がある。また、本田拓夫現社長のインタビューの中でも吉祥寺の文化性のような話は頻繁に出てくる。前身の武蔵野映画劇場の最後の頃に近辺にライブをやる場所がないからと劇場を貸したり(で、案の定近隣住民から苦情を受ける)、前社長が演劇好きだったから劇団の公演が行われたり(で、公演が終わっても劇団がお金を払わないから取り立てに行くことになる)していて、音楽の街、演劇の街そうした土壌が模索できないものかと考えている。バウスの特殊性みたいなのはシアター1の形状が普通の映画館とはちょっと違うけれども、映画じゃなくて多ジャンル含めたカルチャーそのものを飲み込んでいることにあるのかもしれないとこの本を読んで思う。それはそのインタビューの中の「シアター志向」という言葉に表れている。
 これで最後だからなのか、映画館の裏側が語られているのは実は貴重なのではないかと思う。どうやって番組をブッキングするのかとか、爆音上映をどう調整するのかとかあまり知らずに興味をもって読んだ。また、四六時中映画館にいると映画で起きていることよりもすごいことが起きることがあって、例えばこの中で語られている「大インド映画祭」の舞台挨拶が終わって上映が始まってすぐ映写機のランプが爆発したというエピソードがかなり面白くて、復旧まで客を2時間待たせる間、スタッフが謝罪に回り、その周辺をイベントで来てたサリー着た日本人のお姉ちゃんがうろうろしているという図を想像すると相当。もちろんあってはいけないことなんでしょうけど、えてしてたまに上映している映画より全然面白いことがおきちゃうところなんだなって。
 現在、吉祥寺バウスシアターではLAST BAUSが行われている。久しぶりに近所まで行ってみたら新たにマンションが工事中だったみたいな王子シネマみたいな例は本当に腹立たしく、別れの機会を作ってくれるのはありがたく。もう何度か映画を見にいきたいと思っている。

吉祥寺バウスシアター