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April 21, 2015

ミケランジェロ・アントニオーニ展 ――アントニオーニ、ポップの起源
茂木恵介

[ cinema ]

夏時間が始まって早一週間。ようやく、コート無しで外を出歩けるようになった。街にはサングラスをかけた人たちが、カフェのテラスや公園で飲み物片手に楽しそうに話している。ようやく、パリにも春が訪れた。そんな誰もがウキウキしてしまう季節の中、映画の殿堂シネマテーク・フランセーズにてミケランジェロ・アントニオーニの展覧会がオープンした。
展覧会に合わせたレトロスペクティブのオープニングには新旧のシネマテーク・フランセーズ館長、セルジュ・トゥビアナとドミニク・パイーニが並んで、このイタリア人映画の巨匠について以下のような賛辞を送っていた。「アントニオーニは僕たちにとって、とても偉大な存在だった。僕たちが映画を見出したとき、映画について思考しはじめたとき。そして僕たちが映画との関係を育んでいくときには、いつも大きなものを僕たちにもたらしてくれていた存在だった。そして、彼は今でも僕たちに新しいものをもたらしている存在だ」と語っていた。オープニングの最後にはアントニオーニの妻であるエンリカ・アントニオーニがスピーチをしていた。彼女は、この展覧会会場の中央に配置されたテーブルのある会場を、「まるで彼の長回しのようね。テーブルをぐるっと回ると、彼が映画と共に歩んだ人生がわかるようね」と語っていた。
実際に展覧会会場の中に足を運ぶと、彼女の言葉通り、会場の中央にまっすぐに伸びた長いテーブルが配置されている。こうした配置方法により、セクションごとに仕切られたそれぞれの空間が独立しているという感覚はなく、会場全体がひと目で見渡せる構造の空間となっている。
ところで、今回のアントニオーニ展には「ポップの起源」という副題が付いている。確かに60年代のアントニオーニの『欲望』や『砂丘』には同時代のポップ・カルチャーが描かれてはいるが、それ以前や以後の作品群を見ると、副題が持つ「ポップ」とは意味が異なるものが映し出されているように見える。この企画展の発案者であるドミニク・パイーニによれば、この展覧における「ポップ」には現代芸術の「ポップ」としての意味があるという。近代芸術から現代芸術へと変わる50年代。アントニオーニもまた、40年代の習作期間を経てからの50年代に、映画作家として自身のスタイルを確立していった時期を有する。芸術の転換期とアントニオーニの映画作家としての変革期が共振していることから、パイーニはアントニオーニを「現代の映画作家の起源」として位置付けるのだ。
そのような現代芸術とアントニオーニの親近性は、作品に現れる抽象画や『砂丘』における爆発と共に飛び散る破片の色がゆっくりと拡散していく映像の中に見いだすことができるだろう。実際、会場では宙づりにされたスクリーンに『砂丘』の爆発シーンの抜粋が、大音量で流れるピンク・フロイドの音楽と共に投影され、スクリーンの向こう側の壁一面にはアントニオーニ自身が書いたいくつもの抽象画が飾られており、アントニオーニの現代芸術との親近性を、彼自身の映画と絵画両方の側面から見ることができる試みとなっている。

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一方で、忘れてはならないのはアントニオーニの同時代性だ。抽象的な映像表現と同時にアントニオーニは、それぞれの時代の彼のミューズたちと共に同時代の世界を描いてきた。戦後の復興過程にあるイタリアの街並やスウィンギング・ロンドンと呼ばれていた60年代のロンドン。あるいは、ヒッピー文化全盛のアメリカや毛沢東のいた頃の中国。そして、混沌極まる80年代のイタリア。変貌していく世界や時代の空気感を、当時の建築や風景、そして若者たちの姿を映し出すことでアントニオーニは描いてきた。とりわけ建築に関して言えば、19世紀から20世紀にかけての近代建築の世界的な潮流を、映画というメディアを用いて描いた希有な映画作家のひとりがアントニオーニである。石作りの家、コンクリートやガラスを使った近代建築の住居、産業の近代化を物語る工場の風景。そして『砂丘』における、一戸建ての家々が立ち並ぶニュータウンや、ハイウェイや高層階のオフィス群といった戦前・戦後をまたにかけて行われたロサンゼルスの都市計画の姿。変わりゆく時代とともに変容する建築や都市が、それぞれの作品の風景やデコールとして映し出されている。アントニオーニの映画作家としての生涯を通史的に見ることのできる本展覧会場の空間は、壁面に配置されている幾つかの建物の写真とともに、建築といった別の芸術分野の観点からアントニオーニの作品を、あるいは映画を考える機会を生み出す場となっているだろう。
また、ドミニク・パイーニは展覧会に先駆けて行われた「ル・モンド」紙のインタビューの中で、アントニオーニがイタリア人映画作家の中で唯一コスチューム・プレイの作品を撮らなかった映画作家であること、彼が若さや無秩序や新しさ、空虚さといった「若い」という言葉が意味するものへの探求を常に行っていたことを指摘している。事実、アントニオーニの作品における若者たちの多くは、秩序のある世界から切り離された世界、あるいは無秩序の中に生きる者たちだった。多くの作品において若者たちが赴く孤島、人のいない公園、砂漠、あるいは工場周辺の空き地といった、言わば空っぽの空間によってその無秩序は表象される。 アントニオーニはこうした空っぽの空間を長回しやスローモーション、あるいは『欲望』の写真のように引き伸ばすことで、空間のヴォリュームや抽象度を拡張、緩和、拡大していく。それは同時に映画作品自体の抽象度も高めていくこととなる。
こうしたアントニオーニの手法の数々は、ガス・ヴァン・サントやウォン・カーウァイ、ホン・サンス、諏訪敦彦といった現代の映画作家の作品のみならず、現在活動しているジュリアン・クレピューやルイージ・ベルトラムなどの若き映像作家たちの作品の中にも引き継がれている。こうした彼らの作品の中にあるアントニオーニの痕跡こそ、パイーニがアントニオーニを「現代の映画作家の起源」と呼ぶ理由のひとつなのだろう。パイーニは、こうしたアントニオーニの痕跡を僕たちに伝えることを怠ってはいない。今回の展覧会では、クレピューやベルトラム、あるいはペーター・ウェルズといった映像作家やアーティストたちの作品に、中央に置かれたテーブルを中心に一周すると出会えるように配置されている。このテーブルの配置方法がもたらす演出は、アントニオーニの人生をアントニオーニ的長回しのように体験させる装置としてだけではなく、彼の遺産を受け継いだ若者たちが生きている現在までの軌跡が断絶することなく繋がっていることを示唆している。そして、アントニオーニの残した遺産は、遺産を受け継いだ者たちの作品のように決して映画という枠組みだけにとどまるものではなかった。
会場の出口の前にある壁には、2004年に制作された『ミケランジェロのまなざし』という題名のドキュメンタリーが投影されている。常に同時代の世界を見てきたアントニオーニがミケランジェロにどのようなまなざしを向けていたかは定かではない。しかし、パイーニ、トゥビアナ両名のアントニオーニへの賛辞が示す通り、アントニオーニ自身の世界を見つめるまなざしもまた、同じ名前を持つミケランジェロ同様、深淵なものであったことはいうまでもない。

ミケランジェロ・アントニオーニ展〜アントニオーニ、ポップの起源〜
2015年4月9日から7月19日までシネマテーク・フランセーズにて開催中