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November 4, 2018

『月の砂漠』青山真治
梅本健司

[ cinema ]

Could I ever find in you again
The things that made me love you so much then
Could we ever bring 'em back once they have gone
Oh, Caroline no

 「Caroline No」の調べとともに、東京の夜の街、20世紀末に起こった様々な出来事、そしてホームビデオの映像に混じって、1995年11月15日と日付が記された家族3人の写真が一瞬映る。その中に写っている永井(三上博史)、アキラ(とよた真帆)、カアイ(碇真貴子)。『月の砂漠』は彼ら3人の家族の物語であり、この写真の中のように同じフレームの中に3人で収まれることがあるのか、そうしたシンプルながら映画の、あるいは世界の根源的な問題とともにある作品である。

 「俺がいても同じだろ」と永井は仕事から抜け出し、帰って来た家で一人、ビデオカメラを手にする。カメラを手にする永井の指とともに、その小さなフレームの中には遊園地のアトラクションではしゃぐ妻アキラと娘カアイの映像が見える。「女房と娘探さないと」「離婚するにしても会ってからです」とその映像を撮影した友人・野々宮に永井は言うものの、自ら二人を探しに行く様子はない。永井は自宅や仕事場、車の中にアキラとカアイ二人が映る映像や写真を置くことで、擬似的に三人で一つのフレームに収まろうとしているかのようだ。 
 夫の元から去った妻アキラは東京のホテルの一室で永井が出演するテレビ番組を見ている。永井が妻子二人の映像を見ている時とは違い、アキラの見る永井が映るテレビのフレームは、スタンダードサイズに設定された映画のフレームと一体化しており、その映像とアキラが切り返しで映される。そのため、アキラとカアイが一時的に暮らしているホテルの部屋の空間から、永井の映像は切り離されているように見える。彼女はカアイとの空間に永井の映像を入れることはしない。彼女が手に取るのは夫の映像ではなく、彼女が生まれ育った木造の家の写真だ。その写真はかつて夫が実家に初めて訪れた時、「歳取ったらこんなとこ住みたい」と言って撮った写真だ。「家なんてただ建物だ」なんて、もしかしたら考えていなかったかもしれない頃の夫が、自分が生まれ育った家に向けた眼差し。しかし、そんな写真も、アキラはおそらくそれが撮影されたであろう橋にカアイと訪れると、クシャクシャにして捨ててしまう。その行為で何かを決意したかのようにアキラはカアイとたった二人だけの生活を開始する。
 永井はアキラが写真を捨てた橋に車でやってくる。しかし、アキラとカアイが暮らす家に先にあがるのは車に同乗していたキーチだ。「nobody8号」での結城秀勇の言葉を借りるなら、キーチは「永井の無意識であるかのように、抑圧された永井の欲望を『代行』してやる」存在だ。永井の代わりに、アキラとカアイを探し、アキラを抱き、永井邸の代わりに自分が住むダンボール製の家も永井に燃やさせた。部屋に上がったキーチは「娘さんは?」とアキラに聞く。「2階で寝てる」とアキラは答える。アキラがカアイ以外の人間と会う時、決まってカアイはフレーム外にいる。カアイが寝静まるホテルの部屋の外でキーチに出会い、カアイが学校に行った後、同じ部屋でキーチと交わった。そして、2階でカアイが眠る中、アキラはキーチを1階の居間にあげた。「僕と一緒にここで暮らしませんか?」と迫るキーチに対し、アキラは「カアイと二人きりじゃなきゃダメなの」と答える。カアイとのフレームの中に他人を侵入させることはできないのだ。夫が撮った写真ですら捨ててきたのだ。しかし、そんな中その写真を手に永井はアキラとキーチの元にやって来る。アキラとカアイの映像や写真をいくらそばに置いたとしても一緒にいることにはならない。永井は自分だけがその家に注いだ眼差しを見ることによってそれを悟ったのだ。
 自分がいても会社は倒産するし、いなくても、いるかどうかもわからない灰出川との商談は誰かが取り付ける。世の中にとって自分が代わりのきく存在だったとしても、誰かにとってそうだったとしても、自分にとっては代わりのきかない存在だ。将来住みたいと思える場所を橋から見たのは自分で、愛する人を見つめたのも自分で、殺したい人を睨んだのも自分で、「君は君でしかない」。「誰も誰かの代わりにはならない」。愛する人には自ら会いに行くしかない。永井とアキラは熱い抱擁を交わす。二人は同じフレームの中にいる。一人、別のショットにはじき出されたキーチはその場を去ることしかできない。永井はアキラと交わった後で、「みんな君に夢中なんだぜ」とアキラに告げる。アキラは永井に背を向けたまま、「私にはあなただけだった」と、永井が拾って来た写真を、この家に向けられた、たった一つの眼差しをもう一度手に取る。
 翌朝、カアイは居間で並んで眠る永井とアキラを目撃する。アキラがカアイとの二人だけのフレームを守ろうとしてきたように、カアイもまたアキラとの二人だけのフレームを守ろうとしてきた。家電屋に置いてあったテレビに父親が映った時、カアイはそのフレームから逃げるようにして出て行った。二人で住む家に鶏がいることも嫌がった。そんなカアイにとってアキラが永井と二人でフレームに収まるという裏切りが許せなかったのだ。フレームの中一人になったカアイは「二人ともいらない」と言って走り去る。
 キーチはそんなカアイを捕まえ家族三人を無理やり一つのフレーム中に集める。手には拳銃が握られている。「やんなさいよ」とアキラは言い放つ。永井は、父親の代わりに自分を殺せとキーチに言う。キーチは永井の脳天に銃口を向ける。「しっかり狙え」とキーチが拳銃を握る手を右手で固定する永井が映される。それをアキラは別のショットから見つめている。東京のホテルの一室で見た両親の亡霊を消した時のようにアキラはしっかりと瞬きをすると、「ねぇ、永井さん一緒にいたいんじゃない、ここに」と問う。銃口を向けられた永井は答えない。「だったら家族じゃない」アキラのその一言を聞くと、キーチは永井の手を振り払う。今度は永井、アキラ、カアイを同時に捉えたショットの中から、キーチは逃げ去る。
 その後、三人の会話は再び永井/アキラとカアイの別々のショットで展開される。しかし、その後で一瞬だけ3人を同時に捉えたショットが映される。鶏がうろつく庭から、縁側であぐらを組む永井と部屋の奥で眠るアキラとカアイがロングショットで捉えられる。しかし、そのショットが続くのはつかの間であり、再び3人は二つのショットに分けられる。永井は鶏と共に映される。11時の鐘を聞き、永井は庭に出て一羽の鶏を捕まえるがそれもすぐにフレームの外へ消えてしまう。永井はたった一人になってしまったフレームの中で、それでも笑みを浮かべる。
 他者と他者が同じフレームの中にいる。そこには困難さ、痛みが必ず伴う。そして同じフレームの中にいたくても、それができない人々もいれば、フレームから弾き飛ばされてしまう人もいる。アキラが語るようにそれは「適当」ではできず、カアイが言うように「めんどくさい」ことでさえある。青山真治は他者と他者がフレームの中でともにいることの困難さ、緊張感、その痛みを映画に刻印してきた。そして『月の砂漠』のラストはその奇跡を追い求めようとしては、すぐさまそれを指の間からとり逃し、それでも追い求め続ける男の姿とともに終わる。それでもともにいるために。
 
 
「特集/青山真治」渋谷ユーロスペースにて11/4まで。