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March 17, 2019

『小さな声で囁いて』山本英監督インタヴュー

[ cinema , interview ]

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『小さな声で囁いて』.2.jpg

映画は幾度も旅を描いてきたし、いつも風景が問題になる。山本英もまた熱海という観光地に向き合うのだが、山本の描く旅にはそもそも目的がはっきりとせず、沙良(大場みなみ)と遼(飯田芳)の過去に何があったのかもほとんど分からない。ふたりは未来を見失った放浪者だろう。しかし、熱海の風景は観光地としての夢を見させる力を失っている。代わりにあるのはいくつもの過去で、自分たちの過去すらもが朧げなふたりは熱海で何を見ているのか。おそらく『小さな声で囁いて』は、いくつもの偶然から熱海という場所を新たに再発見しているのだろう。それは山本の言うように、今を映す鏡のようなものかもしれない。未来を描くことが困難なわたしたちの時代について、対話をかわしてみた。


──すでにいくつかのコメントが寄せられているように、『小さな声で囁いて』(2018)からは誰しもが『イタリア旅行』(1954)を彷彿するわけですが、監督は『イタリア旅行』を見ずにこの脚本を書いたと聞きました。

山本 実はそうなんです。お恥ずかしながら(笑)。ロッセリーニのことはもちろん知っているんですけど、『イタリア旅行』は当時見ていなくて。脚本が完成して、もう最終稿のものをプリントしてスタッフの人たちに配ったら、助監督からめちゃめちゃイタリア旅行だねってことを言われて話を聞くと、美術館にも行くし、夫婦がひたすら観光地の違う場所を彷徨うという設定で驚きました。そうなのかと思って、その日の夜に『イタリア旅行』を見たんですよね。すげぇって愕然としましたね。すごい良い映画でした。ラストカットのこととかも脚本に書いてあったんですけど、ラストの持っていき方とかは、すごい似てるなぁと思いましたね。撮り方とかも影響を受けているわけではないんですけど。

──面白い一致ですよね。でも映画としては当然、まったくの別物になっていると思います。そもそも熱海を選んだきっかけとはどういうものだったのでしょうか?

山本 もともと観光地ってのはちょっと気になってて。観光地って、来る人のニーズっていうのがあって、ニーズによって街はちょっとずつ変わっていくところがありますよね。30年前まではすごく人が賑わっていた施設をまた壊して、そのあと現代的なニーズにあったものを建てて、年代によって姿形が変わっていくんですよね。だから観光地って今の僕らを鏡のように照らし出しているようなイメージがあって。ちょうど僕が初めて熱海に行ったのが7年前とかだったんですけど、そのときが多分かなり熱海が衰退していたときで、まだ駅も改装されてなくて無人駅だったんですよ。昼間でも全然人がいないし、シャッターが閉まった店ばっかりだったし。でも、ヤシの木とか生えてるし、人工の砂浜もあるし、お城も見えるし、南国風の建物が並んでるのに人がいないのは不思議でしたね。それらのモチーフって、多くの人が訪れるためのモチーフじゃないですか。その多くの人が訪れるためのモチーフが並ぶ場所に人がいないってなると、こっちが死んでしまったような気持ちになるところがあったんですよ。

 久しぶりに行ってみても僕が初めて行ったときと感覚は変わってなかったんですけど、工事中の建物がたくさんあって、開発してる途中なんだろうな、いまのうちに撮っておかないと僕が初めて行ったときの感覚はもしかしたら次の年、次の年と変わっていっちゃうんじゃないかと思って熱海に決めたところがありました。

──今回特集上映される過去作を見ていると、そこの場所で生きている方を捉えるようなことに関心があるのかと思いました。ただし、だからといってドキュメンタリーを撮るっていう欲望ではないんですよね。

山本 そうですね。『イン・ダ・ホーム』(2016)でも、実際にある介護施設に入居してる方々に出てもらっているんですけど、そこにフィクションが挟まることで出てくるものを、期待していると思っています。僕らが撮影したのは認知症のレベルが高い方々が入居している階だったので、こういう段取りでやりますって言っても、それを聞き入れてやってくれるわけではないんですよ。フラダンスのシーンとかも、こういう光景が撮りたいと思ったら、そういう光景になるようにこっちがフィクションをドキュメントとしてアプローチしないとだめなんですよね。最後に踊ってくれているときは、本当に楽しそうに踊ってくれていますけど、僕らは本当にフラダンスをして楽しませなければいけないと思ってああいう風景を組み立てたんです。そうなると現実とフィクションが重なってくるように思えて、映画の外にあるものも少しは捉えられるんじゃないかなと思いましたね。

 『小さな声で』の最初のバスガイドのシーンもそうですね。あのバスガイドさんは、レイさんって言って、普段は熱海のスナックで働かれてる方なんですよ。今はバスガイドを辞めているんですけど、6年前までバスガイドをやっていたときに培った知識がすごくて、いろんな情報を僕らに教えてくれましたね。ピザーラが初島まで船に乗って届けられるとか、その情報って独特すぎて僕らには書けないことなんで、レイさんにバスガイドとして出てもらい、彼女の言葉で熱海を説明してもらいました。またそうやってフィクションの中でもう一度バスガイドをしてもらうことで、レイさんが過去にバスガイドをしていた現実とフィクションがちょっと繋がる気がします。レイさんの中でも映画のなかでバスガイドをすることについて思ったことはあるだろうし、そこの経験と映画が結びついて、何か彼女の中にも抱くものがあれば撮った意味があるかもと考えてました。バスの撮影は何周も出来るわけではなかったんで一周しか撮影してないんですけど、終わった後には拍手が起きて、みんな何かすごい経験をしたぞって感覚になったんですよ。

『小さな声で囁いて』4.jpgのサムネイル画像エチュードから映画を作る

──『小さな声で囁いて』はプロの役者さんを中心にして作っています。今回はどういった狙いがあったのですか?

山本 『小さな声で』の話もまだ全然考えていない段階で、まず熱海で撮るなら熱海の人が出た方がいいと思ってたんで、もし主人公になりそうな人とかいたらいいなぁと思ってロケハンをしたりしていたんです。そこの土地に生きている人を役者さんが演じるっていうのはなるべく避けたいなっていうのがあったんですよね。でも最終的に、その土地の人を主演にするんじゃなくて外部から来る観光客が主人公の物語になったので、だったら役者の方にお願いしたいなと思い、プロの方にお願いしました。主人公が熱海に住んでる人っていう設定だったら絶対に熱海に住んでる人になったと思います。やっぱり難しいところで自分たちも部外者ではありますよね。僕と脚本の山崎も熱海を外から見てる側の人間なので、そうなってくると、中のことを中心に書くというよりかは、外からの目線をメインにして中の人にも出てもらってそこを中和させて行こうかなっていう方向性に至りました。

──大場みなみさんと飯田芳さんは、それぞれどういった理由でキャスティングされたのでしょうか?

山本 『小さな声で』を撮る3か月前ぐらいに、ロロの「いつ高」シリーズを見に行ったんです。4本やっていたうちの3本に大場さんが出ていたんですけど、役者の人との距離の取り方が全部均一で、役者さんでもプライベートで仲良いとか悪いとかがあると思うんですけど、そういうのが全く見えてこないのがすごいなと思ったんですよね。普通、人間はそれをセーブして人との関係を均一に出来ないよなと。なので主人公のイメージに合っていたというよりも、ずっと気になってた役者さんだったので、今回お願いした感じです。

 飯田さんについても前からオファーをしたかった役者さんです。昔の話なんですけど、飯田さんの出演されている嶺豪一さんの『故郷の詩』(2012)を東京学生映画祭のときに見たときから、学生映画とか自主映画に興味がいくようになったんです。それまでは、せっかく東京造形大学の映画学科に入ったのに学部の2年生ぐらいまでは何もしてなかったんですけど、あの映画がきっかけで映画を撮り初めたんですよね。そのときから飯田さんが頭のなかにあって、どこかのタイミングでオファーしたいと思っていて、今回年齢的にも合っていたので、飯田さんにオファーさせてもらいました。

──『小さな声で』は、本当はもっと長い滞在制作をしたかった作品なのかなと思いました。どのように撮影を進めていったのでしょうか?

山本 そもそも旅をするように緩やかに映画を撮りたいと思っていたんです。この映画は東京藝術大学の修了制作にあたるわけですけど、芸大の決まりで12日間のなかで撮らなきゃいけなかったんですよね。なので、必然的にシステマチックな撮影を求められているんですけど、12日間のなかで、熱海に泊まり込んでのびのびとした作品を撮ろうと思いました。熱海でよかったのは、ぎゅっと街が詰まってるんですよね。最悪スタッフたちもタクシーを使ってワンメーターでどこにでも行けるような環境だったので。

 今回は事前に台詞のある脚本を書かなかったんです。こういうことをやりたいってことはキャストの方に説明して、僕がやりたいことを事前にエチュードみたいにしてやってもらって、それをメモしながら、さっきやってたやり取りのあれとあれで行きましょうみたいにして進めていきました。でも本当にカツカツになってしまって、撮影の前日の夜とかにも僕の部屋に集まってもらって、エチュードをしてもらってメモをして、そして次の日の朝、撮影に入る前に昨日やったこれとこれで行きます、みたいな感じになっていきました。そうすると今度は撮影時間がオーバーしちゃったりとか、ワンシーンが10分とかになってしまうとか尺的な問題が出てきたりして、どうしようかなと考えて調整しながら進めていました。

──そういったやり方で映画を撮りきる自信はあったのでしょうか?あらかじめ必要な場面というのは決まっていたんですよね。

山本 僕の場合は、12日間の撮影というのがあったので、誰がどこに行くかとか、そこで何が行われるかとかは決めてましたね。プールでナンパするシーンとかでは、大場さんがプールにいて山崎がやってくるということまでは書いてありました。山崎の背中の傷って本物で、実際に自転車で高校のときに事故を起こしたときの傷なんです。その傷の話でナンパするってことは決まっていて、じゃあ、どういう風に傷の話でナンパをするのかってことをエチュードでやってもらっていました。

──大場さんが飯田さんに、プールでナンパされたっていう話をするところも書いてあったんですか?

山本 そうですね。そこは任せられるというか、実際にナンパされるシーンを撮ると、そこで行われていたことは覚えているじゃないですか、それをどこまで正確に覚えているかは人によると思うんですけど、それも映画に映すことが出来る。映画のなかで経験したことを、脚本に書かれているものとしてではなく語ってもらうことはやりたかったことなんです。

──エチュードと言っても、こういうものを使おうというのは決まっていたってことですよね。他の要素はどれくらい決まっていたのですか?虫の判じ絵のシーンとか面白いですよね。

山本 あれは熱海城の中なんですけど、演じる人が実際に答えがわかんない状態でどういう会話が生まれるかってところで、演技を仕掛けられるものだよなと思って、判じ絵の場所で撮らしてもらったんですよね。他にも春画の階もあったんですけど、それだと感想を言い合うだけになっちゃうので、判じ絵の方がどうクイズを解くのかって、その人が出るんじゃないかと思って選びました。そういう些細なことが出てくる映画にしたかったんですよね。

──あの映画館はどうやって見つけたんですか?

山本 映画館ってありますかって、映画にも出演してもらってる熱海在住の小倉さんに聞いてみると、熱海には映画館はないけど、潰れちゃった映画館はあるよって。それで小倉さんが知り合いに連絡を取ってくれて中を見せてくれたんです。それで中を見て出したいって思っちゃったんですよね。あの映画館は普段お祭りの備品をしまう倉庫になっているんですけど、もともとあった場所の役割とは違う役割を果たしている場所ってのは面白いなと思って。そこのロマンス座という映画館でしか出てこない場所性みたいなものは出ているかなと思います。

『小さな声で囁いて』3jpg.jpg

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──美術館のシーンでは作品そのものというよりも、作品よりも展示されている空っぽの空間を撮っているような感覚があります。

山本 澤田政廣美術館はすごく大好きな場所なんですけど、中は全部木彫り彫刻で、木の臭いがすごくて、風化した木の匂いというか、視覚だけじゃないものがそこにあって、それを撮りたいなと思っていました。伝えられないものを撮ることがやってみたかったことです。美術館だけじゃないですけど、美術館には美術館で彫刻作品を見る時間っていうのがやっぱりあって。そういう何とも言えない人と共有することが難しい時間を撮りたいなと思いました。中のシーンだとたしかに寄ったりはせずに撮ってますね。だから長くもなってると思うんですけど。

──ただ、その見る時間というものが日常から切り離されて純粋に芸術作品と向き合うというものではなくて、『小さな声で』の場合は、見ている人の人生に跳ね返って、それが混ざり込む時間になっていると感じます。それと関係するかは分かりませんけど、今回特集上映される作品も含めて、あまり劇的な、物語的な解決をしないのはどういうことなのでしょうか?

山本 それは自分のおじいちゃんや介護施設の人とか実際にそこにいる人に出演してもらっていたというのが大きいです。実際にその場所にいる人に出てもらうと映画が終わってもその人たちは生きていく、ということが言いたくて、敢えて続きそうなところで映画をまとめるようになりました。『サイクリング』(2016)と『イン・ダ・ホーム』を立て続けに撮ってから、『グッド・アフタヌーン』(2017)は役者さんに出てもらっているけど、そこにも派生していて、『グッド・アフタヌーン』と『小さな声で』でも、この人たちの人生は映画が終わっても続くよっていう終わり方にしたかったんですよね。

──ただし今回の映画の場合はあの終わり方でよかったのか、意見が分かれそうですよね。男を二者択一で選ぶということではないですよね?

山本 そうですね。見てくれた人のなかでも意見は分かれるところで、ああいうラストだけど絶対に別れたよねとか、よかったよねとしっかり分かれているのは、結構不思議でした。ああいうラストで、僕はいわゆるハッピーエンドとして作ったわけじゃないんですけど、そう捉えることのできるものと思っていたのに、絶対に別れたって思う人もいるんだなってことが驚きでした。

──でも、たとえ別れたとしても彼らの間には前に進む変化がありますよね。台詞の中に「なんで付き合っているのか、どこが好きだったのか、忘れちゃった。でも忘れちゃったってことは、ちゃんと好きだったってことなんだと思う」ってあるじゃないですか。何が失われたかすら覚えていないけど、だからこそ感じるものがあるというのは、ふたりの関係だけでなく、観光地という場所で様々なものを見て感じ取っていくこの映画のことを言い表しているのかなと思いました。

山本 観光って光を見るって書くじゃないですか、だから光を見るってことも意識しながら撮っていたんですけど、映画館のときとか、ずっと光を見るじゃないですか。でも暗闇の森の中では、それが見えなくなってしまうことで観光じゃなくなるというか。でも正確には、旅の本質は光そのものではなくて、旅に行くことで、光の隙間に現実がチラつくという感じだと思うんです。熱海を選んだ理由のなかで、現実がちらついてくるというか、見えている熱海のいろんな観光地の要素の中に統一感はなくて、要素が多すぎてその世界観には浸れないと思うんですよ。日常から抜け出して行くんだけど、すごく自分の日常が逆にチラついてくる。観光って光を見ることによって自分の周り、現実を霞ませるということなのかなと。所々光じゃない暗闇の部分があるのではないかと思うんですよね。暗闇の部分ってのは、沙良と遼のふたりの関係性とか自分のやりたいことを辞めて整備士になったこととかで、それがまばらな光の中で見える暗闇の部分なのかなと。それを最後に映像として暗闇の森の中でやっていたのかなと思いますね。

──次の映画では、どういったことをやりたいと考えていますか?

山本 小さな声でのすべてが良かったわけではないと思うんです。方法論のレベルで、どこまで自分や脚本家が脚本に書いて、どこまでその場で出てもらう人に任せるかっていう、脚本やその人の台詞との結びつきについては悩んでいるところなんです。そこを考えていきたいんですよね。ひとつ前の『グッド・アフタヌーン』のときはきちんと全部脚本に書いてあるんですよ。あれはあれで面白かったところがたくさんあって、ある台詞をどうやって役者さんの中に浸透させられるかという面白さがあったんですよね。そこで、テストをやってもらって、どうしても悪かったら僕らの書いた台詞が悪かったんだろうし、そうなってくると台詞を考え直すとか、そういう楽しさもあったんで、次はそういうことをもっと探っていきたいです。今回はエチュードで組み上げていったので、今度は脚本に書かれる言葉をどう立ち上げて行くかということに比重を掛けて頑張ってみたいですね。無い物ねだりの連続です。

取材・構成 三浦翔


yamamotoakira.png山本英(やまもと・あきら)

1991年、広島生まれ。東京造形大学で映画を学ぶ。大学卒業後、映像制作会社で働く傍ら広島に住む祖父を 撮影した『回転(サイクリング)』がぴあフィルムフェスティバルに入選し、香港で 上映される。その後、東京藝術大学大学院映像研究科監督領域に進学し、映画監督の 諏訪敦彦、黒沢清に師事する。修了制作の『小さな声で囁いて』はマルセイユ国際映 画祭に正式出品される。





『小さな声で囁いて』メイン1.jpg『小さな声で囁いて』(2018年/日本/110分)

<キャスト>

大場みなみ 飯田芳 山崎陽平 中野目理恵 小倉一郎 レイ・アルフォンソ正田 熱海釜山レイ 正木凪碧 正木碧

<スタッフ>

監督・脚本 山本英 脚本 山崎陽平

プロデューサー 佐野大 撮影 李子瑶 照明 薛白 サウンドデザイン 織笠想真 美術 加藤瑶子 衣装 栗田珠似

音楽 村貫誠 編集 丹羽真結子 タイトルデザイン 太田佳吾

※2019年3月16日よりポレポレ東中野にて連日レイトショー上映

山本英公式ホームページ