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June 8, 2019

『宝島』『七月の物語』ギヨーム・ブラック
結城秀勇

[ cinema ]

 ギヨーム・ブラックのこの二本の作品を(とはいえ『七月の物語』はさらに二本の短編からなるのだが)並べて語りたいと思ったのは、『七月の物語』の前半をなす「日曜日の友だち」と『宝島』が同じセルジー=ポントワーズのレジャーセンターというロケーションを共有しているから、ということももちろんあるのだが、それ以上の理由もある。アンスティチュ・フランセ東京での『宝島』上映後のトークでブラックは、『宝島』に登場する人々はみな「自由」となんらかのかたちで関わっていると語り、(坂本安美の質問に答えるかたちで)『七月の物語』は「欲望」についての映画だと語った。私にとってその両者はほとんど同義である。というか、「自由」を語るためには「欲望」について語ることを避けられないし、「欲望」がなぜ我々にとって語るべき問題なのかといえばそれが「自由」に直結するからに他ならない、と思っている。
 湖や川(?)からなり、様々なウォーターアクティビティが楽しめる施設の一夏を追ったドキュメンタリーである『宝島』の冒頭で、保護者がいないと入れない水浴場にやってきた子供たちのグループが映し出される。受付で、子供だけじゃ入場できない、と門前払いを受けた彼らは、裏の川を泳ぎ渡って非正規に侵入しようと試みる。......まあカメラが追いついてるんだから、そりゃ警備員も追いつくわ、という感じであっさり捕まる彼らの姿には微笑みを禁じ得ないのだが、その場で微笑みを浮かべることを我々に許すのはただ少年たちの滑稽さだけではなく、彼らに相対する警備員によってでもある、とは言えないだろうか。警備員たちはこの「宝島」で運用される法に基づいて雇用され、その行使を職務としている。だが、その行使がどのような強さで、どのような厳格さであるべきかについては、彼らに一定の裁量があるように見えるのだ。同じことは、飛び込み禁止の橋から人々が飛び込みを行うとき、若い職員たちが無断で閉園後の施設内で遊ぶときなどにも感じられる。あるいはその逆も言えるのかもしれなくて、的確に運用されたりされなかったりする法の内側で自由を謳歌しているようなお客さんたちも、ここでは見えないだけでもっと大きな世界の不自由に拘束されているのかもしれない。前述の門前払いを受けた際に少年たちのうちのひとりは「レイシスト!」と叫び、仲間たちに「いや人種じゃねえだろ」「違うだろ」と次々にツッコミを受けるのだが、彼の的外れな暴力批判の叫び声は作品の間ずっと鳴り響いていて、実際に極度の暴力にさらされた経験を持つ人々の声とともに前景化する。そもそもーーこれは監督がそう言ったことでもないしそんなバカンス事情に通じているわけでもないから、ただの勘違いかもしれないがーー、バカンスの時期にパリ郊外の日帰りレジャー施設を楽しむ彼らは、いわゆるバカンスという自由のある意味圏外にいる人々なのではないだろうか?
 「日曜日の友だち」「ハンネと革命記念日」の二部からなる『七月の物語』は、どちらもついつい「ロメール風の」バカンスの短編と言ってすませてしまいたくなるような若い数人の男女の恋物語である。そのどちらにおいても主人公の女性は、ほとんど暴力的なと言っていい男性の欲望に直接的にさらされる場面がある。レジャーランドのスタッフに着いて行ったら無理矢理押し倒されそうになったり、前日同じ部屋で隣に布団を敷いて寝た男が翌朝自分の寝姿をネタにマスターベーションしていたりする。しかしこの作品が巧妙かつ厳密であるのは、たんにクソみたいな男たちの欲望を引き合いに出してそれとは異なった価値観を持ち出すのではなく、かといって「誘った方も悪い」的な腐りきった議論に陥ることもなしに、男たちの醜い欲望とどこかひとつながりの欲望の中で彼女たちがこの夏を過ごすことだ。「夏だから、いいでしょ」的な男たちの態度とは距離をおきながらも、バカンスの魔力というのかなんというか、そういうものへの期待や信仰を捨て去ることもできない彼女たちは、時に自分へ向けられた歪んだ欲望に似たものを周囲の人へぶちまけもする。この作品における欲望の問題とは、男が〜〜とか、女が〜〜とかいったことではない。欲望は、まるで重力のように遍在する。たとえ彼ら彼女らが存在していなかったとしても、世の中を満たしている。主人公たち、というか登場人物たち全員が向き合わなければならないのは、重力の喩えで言えば自らの体重のようなもの、遍在する欲望が自らの身体を貫く部分を、どうコントロールしどう研ぎ澄ますのかということなのだ。
 そこで再び自由と欲望の話になる。また重力の喩えを持ち出すなら、重力から自由になるための解決法が無重力状態を作り出すことだ、なんて言うのは馬鹿げているし日常的な実践からは程遠い。我々が直面する自由とは、なにをどうやっても存在する重力の負荷の直中で、自らの身体を貫く部分をいかに把握しいかに自分にとって制御可能なものに変えていくかというプロセスだ。同様に、欲望それ自体を悪しきものとして取り除こうなんで馬鹿げているとしか言えないし、かといって、いい欲望と悪い欲望があるなんていう二分化もくだらない。『七月の物語』の登場人物たちは、暴力的にもなりうる欲望ーーそしてもしかすると実際に人体を直接的に損傷し、生命を奪う行為ともつながっているのかもしれない欲望ーーを自らのうちに育て、歌を歌わせ、踊りを踊らせる。その試みが結果として成功するかどうかはまったく問題ではない。その試みがなければ、我々は自分たちの欲望からーーあるいは、欲望とともにーー自由であることなどできないのだ。


『宝島』はアンスティチュ・フランセ「ヴァカンス映画特集」にて上映
『七月の物語』は渋谷ユーロスペースにて公開中。併映『勇者たちの休息』


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