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February 20, 2020

『風の電話』諏訪敦彦
白浜哲

[ cinema ]

生き残った者たちは日常を生きていかなければならない。主人公ハル(モトーラ世理奈)が旅先で出会う人々はそれぞれの苦しみに向き合いながら、一人の少女に寄り添い、食事をともにし、いくつかの言葉を交わす。その言葉と言葉のあいだに深い沈黙が埋め込まれているかのような息づかいのリズムに諏訪敦彦の演出の特徴をみることもできるが、この『風の電話』という一本のフィルムが圧倒的な豊かさでわたしたちに提示するものは、絶望の果てになおも残る記憶と共にもう一度目の前の世界を信頼しようとする登場人物たちの身ぶりであり、様々な境遇を持つ他者に対するハルの自発的な「弱さ」であるように思う。

物語がこれから始まるかにみえたハルの彷徨いは突然、破滅的な「叫び」によって閉じられ、ハルの身体と共に崩れ落ちる。映画を見ている私たちを困惑させるこの「取り返しのつかなさ」は、その場所が広島を襲った洪水によって人々の生活が根こそぎ奪われた土地であることを認めるとき、より一層の深刻さを増す。もはやこの場所から立ち上がるものなど何もないのではないか。そこに映像が欲する「絵になる」廃墟さえなく、世界は耐えがたい「不在」として再び現れる。ハルはまたしても生き残ってしまった。しかし物語はこの「不在」を、「もはやない」過去を、「まだなお」残る現在へと引き伸ばし、旅で出会った「他者」の苦しみをも内包していく。

「弱者」として身を置くこと。おそらくハルが目的のない彷徨を続けながら傷ついた「他者」を通過することにおいて取り戻したこととは、この自発的な「弱さ」であったように思う。その描写は物語が「風の電話」に近づいていく段階で最も純粋なかたちで現れる。8年ぶりに残像のようにしてハルを迎える大槌の自宅跡で、ハルは、泥水の溜まった玄関から枯れ草の生えた食卓などを見てまわりながら自らの身体によって「家」を再生し始める。ついには誰の声も聞こえない沈黙の現実と向き合うことになるのだが、そこからハルは今までずっとそうしてきたように「ほとんどなにもない」荒れ果てた地面に横たわる。この過去と現在が同時に存在するハルの姿は、わたしたちに記憶の「忘却」に抗するpassiveな身体として映り、自分のとりまく環境をそのまま受けとる幼児のような「弱さ」を想起させる。

「弱さ」は他なるものを受け入れ、時間の諸相をもつなぐ契機となる。少年との出会いによってたどり着いた「風の電話」を通して家族に語りかけるハルの言葉にわたしたちはその輝きを見ることになるだろう。「生き残ったんだから食え...」「おまえが死んだら誰がお前の家族のことを思い出すんだ」という公平(三浦友和)や森尾の言葉を、ハルはまるで彼らの苦しみを受胎しているかのように話す。その顔と向かい合う私たちもまた、ハルの苦しみを想像し、経験していると同時に、吹きすさぶ風に翼を広げて彼方へと飛んで行きそうになるこの少女から目が離せないでいる。「この嵐が休みなく天使を背後の未来のほうへと吹きとばして行き、天使の眼前の瓦礫は天にまで達する。」(ベンヤミン) ハル=モトーラ世理奈というこの「新しい天使」の存在こそ、諏訪敦彦が『風の電話』において見出したひとつの方向(ディレクション)だったのかもしれない。

全国公開中

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