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September 26, 2020

『イサドラの子どもたち』ダミアン・マニヴェル監督インタビュー

[ cinema , interview ]

 神話的なダンサー、イサドラ・ダンカンはモダンダンスの祖である。1913年4月19日、4歳と6歳の彼女の子供ふたりを乗せた車がセーヌ川に転落。ふたりとも溺死した。彼女はその事実から立ち直ることができなかった。
 ダンカンというダンサーについてなにも知識を持たないままにこの映画を見始めた観客にまず知らされるのは、上記の事実だけだ。いわゆるイサドラ・ダンカンについてのドキュメンタリーでも、イサドラ・ダンカンの伝記映画でもない本作において、彼女の生涯についての伝記的な事実は、何人かの登場人物の言葉を借りて補足される以外にはほとんど取り上げられることはない。
 では『イサドラの子どもたち』で描かれているのは一体なんなのか?いくつかの言い方ができると思う。まずは、ダンススコアというかたちでしか記録に残されていない、彼女のソロ「母」を現代に甦らせようとする女性たちの姿。そしてそのダンスの動きが、まるで映画内の時間を通じて様々な人々に伝播するように拡散していく有様。さらに、「母」というダンスが生まれた源泉にある深い悲しみが、この踊りを踊る者たち自らの孤独や寂しさとしてそれぞれに浮かび上がっていくこと。
 だからタイトルにある「イサドラの子どもたち」が示すのは、交通事故で亡くなったふたりの幼い子どもばかりではなく、彼らの死によって生まれたダンスソロ「母」でもあり、その踊りとそれを生み出した感情とを受け継ぐようにして踊る4人の女性たちでもまたあるとも言えるかもしれない。


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 写真や映像というかたちでは一切記録に残っておらず、複雑な記号によって記載されたダンススコアと、ダンカンの弟子たちによる口承のみによってのみ現代に伝えられるダンスソロ「母」。『イサドラの子どもたち』の発想の根幹となったこのダンスと、ダミアン・マニヴェルはアガト・ボニゼールとダンスの即興の練習を行っていたときに偶然出会った。彼女が見せた動きが、コレオグラファーのオレリー・ベルランに「母」を思い起こさせ、彼女はダンカンとこのダンスにまつわる数奇な物語を教えてくれたのだという。

ダミアン・マニヴェル(DM) まさに、このダンスがスコアというかたちでしか残っていないことに非常に興味を惹かれたのです。とても謎めいていると思いました。
 しかも、実はこのスコアが書かれたのは1970年代です。ダンカンがソロを踊ったのは20年代なので、その間に50年のギャップがある。だからイサドラ・ダンカンが踊ったその通りに伝えられているかはわからず、ひょっとしたらそれを継承した人が少しずつ変えていったのかもしれません。謎は深まるばかりです。アガトはもちろん、僕自身もまったくダンススコアは読めませんしね。ですから、オレリーとアガトと共に解析をしていく中で、まったくの謎だったものが次第に甦っていく過程を、僕自身も経験しました。
 早い段階で気が付いたことは、イサドラ・ダンカンがどのように踊っていたか、その正確な振り付けそのものが僕にとって意味があるわけではないということです。僕が知りたかったのは、彼女のダンスによってどのような感動が呼び起こされるか、なのです。
 この試みは、まるでひとつの短篇を映画化するようなものでした。それは多くの場合、短篇小説をもとに、というかたちで行われるでしょうが、僕の場合は短いダンスだったのです。そのことにワクワクしました。

 3つのパートから構成される『イサドラの子どもたち』では、直接的な明確な関係があるわけではない3組の女性たちの姿が、ひとつのダンスを軸としてつなぎ合わされていく。ひとつの仕草が、まるでバトンが受け渡されるように別の人物へと引き継がれていく。

DM 僕にとって、この3つのパートの流れはとても自然なものに思えます。はじめに、古いダンスのジェスチャーを発見する女性がいる。第二部では、ふたりの女性の間で、それが継承されていく過程が映し出される。そして第三部で、その身振り手振りが現代の観客に送り届けられる、そうした流れです。

 極端に言えば、劇中では激しいドラマを引き起こすような強烈な出来事などなにも起こらない。だが、頻繁に差し込まれる日付が、観客に過ぎていく時間を体感させる。ひとつの踊り、ジェスチャーが人々の間を伝わっていく間に、秋の空気の中に冬の気配が混ざりはじめる。

DM 日付に関しては、個人の日記のような感覚を与えたかったんです。あるいは創作ノートとでも言いましょうか。僕自身、制作中はさまざまな事柄をメモのかたちで残します。そうした手触りを感じてほしかった。
 そしてもうひとつの理由として言えるのは、経過していく時間を感じさせることです。なぜなら時間は、人が誰かを失い、そこから立ち直る時の手助けをしてくれるものだからです。イサドラ・ダンカンの場合にも、起きてしまった悲劇を乗り越え受け入れていくための喪の時間が必要だったのですから。

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 登場人物はおりにふれ、ダンカンの言葉を引用する。そのひとつひとつが含蓄に溢れ、創作の真髄をつくような美しい言葉だが、それらはたんに彼女のダンスへの理解を深めるよう観客を導くだけではない。ダンスという芸術の枠内にとどまるものではなく、ときに映画について語られているもののようにも、人生そのものについても語られているようなものとして、聞く者の耳に響く。

DM 僕自身も彼女の言葉がダンスという限られた領域だけに当てはまるものだとは思っていません。すべてが映画にもまた言えることだと感じて、彼女の言葉を使っています。
 そもそも僕は、映画が誰か限られた人たちのためのもの、よく映画を知っている人たちやインテリの人たちの専売特許だとはまったく思いません。映画はみんなに属するものだと考えています。
 僕の作品にはなにか伝えたいメッセージがあるわけではありません。ですが、観客の方々にひとつだけお願いがあるとしたら、ただ見る(voir)だけではなく、ぜひじっくりと観て(regarde)ほしいですね。

取材・構成 結城秀勇

※当インタビューの全文は10月中旬発売のNOBODY issue 48に掲載予定

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ダミアン・マニヴェル Damien MANIVEL
1981年フランスのブレスト生まれ。コンテンポラリー・ダンサーとして活躍後、ル・フレノワ国立現代アートスタジオにて映画を学ぶ。短編『犬を連れた女』は2011年ジャン・ヴィゴ賞を受賞。初長編映画となる『若き詩人』はロカルノ映画祭特別大賞を受賞、長編2作目の『パーク』は2016年カンヌ国際映画祭に選出される。2017年には五十嵐耕平との共同監督作『泳ぎ過ぎた夜』を日本で撮影し、第74回ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門に出品された。

『イサドラの子どもたち』
監 督:ダミアン・マニヴェル
出 演:アガト・ボニゼール、マノン・カルパンティエ、マリカ・リッツィ、エルザ・ウォリアストン
84分/4:3/カラー/フランス・韓国/2019年

9月26日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開