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November 20, 2020

『空に聞く』小森はるか監督インタビュー

[ cinema , interview ]

東日本大震災の後、約三年半にわたり陸前高田災害FMのパーソナリティをつとめた阿部裕美さん。『空に聞く』では、地域の人々の声を聞き、その声を届ける彼女の日々が映されている。かさ上げ工事が進み、新しいまちが作られていく中で、どのようにして暮らしていくのか。 小森はるか監督に、阿部裕美さんのことや「空」に込められた思い、また「あの時にしか撮れなかった」と監督自身が語るファーストシーンのことなどお話を伺った。

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©KOMORI HARUKA

――『空に聞く』は『息の跡』(2016)と同じ時期に撮影が始まっています。以前に『息の跡』についてお話を伺った時に、陸前高田に住む何人かの方を同時に撮られていることを話されていましたが、阿部裕美さんもその中のおひとりということですね。

小森 やっと自分が人を撮ろうと思えたのが陸前高田の隣町である岩手県住田町に引っ越して半年以上だった頃でした。最初に撮らせていただいたのが、「佐藤たね屋」の佐藤貞一さんと陸前高田災害FMでパーソナリティをしていた阿部裕美さんでした。その時は他にも何人かの方を撮らせていただいてひとつの映画にまとめられたらいいなと思っていたんですけど、結果そのふたりを撮り続けることができて、それぞれ『息の跡』、『空に聞く』という映画になりました。

――『空に聞く』は2013年頃から阿部さんの活動や生活を撮影した部分と後に2018年のインタビュー形式で阿部さんに話を聞く、ふたつの違う時期に撮影されたものによって構成されています。

小森 『息の跡』を作った後、阿部さんの映画に取り組みたいと思っていました。2015年にラジオのパーソナリティを辞められた後も、阿部さんがラジオから声を届けていた頃のことを何かしら残したいと思っていたんですが、どういう方向でこのあと撮影を続けたらいいのかがわからなくなっていました。そのまま2年半経って、2017年に阿部さんが和食のお店「味彩」をご夫婦で再開されて、女将さんとして働いている阿部さんを見たんですね。その時に、新しいまちでの日常を送るいまの阿部さんに、パーソナリティだった頃のことを聞きたいと思いました。
私自身、最初は和食やの女将さんである現実の方が夢のように感じられて、すぐに受け入れられないところがありました。震災前に和食やさんであったことはもちろん聞いていたんですけど、やっぱり私はパーソナリティとしての阿部さんしか知らなかったんです。まちの中で暮らしている姿を見て、こういう日常が当たり前であったはずの人がラジオの活動をされていたんだっていうことがわかった。陸前高田災害FMで働いていた阿部さんとしての時間の方が、阿部さんの人生で考えたらずっと短いわけなんですよね。私はその部分しか見てなかったんです。でもその2つの顔をずっとこれからも阿部さんが持ち続けながら暮らされていくんだってことも思えて、そのことが「空に聞く」を作る上で、私にとっては大きかったような気がします。

――挿入されているインタビューは別として、ほぼ撮影した順に並んでいるんでしょうか。ファーストカットが一番最初に撮られた映像なんですよね。

小森 ほぼ時系列です。自分にとっても思い入れのある映像だったのであのシーンから始めました。ああいうのはなかなか狙って撮れないですよね。阿部さんの姿やスタジオでどういう日常を過ごしているのか、すべてが凝縮して写り込んでいるように思いました。もちろん初めての撮影ってことで緊張感もあって、手元しか撮れない感じとか、音があらゆるところから聞こえてきて、どこにカメラを向けようか迷っている自分もいて、そういうのも含めてあの時にしか撮れなかったものだと思います。その後あのような瞬間が撮れたかというとたぶん撮れてなくて。それを冒頭に持ってくる以外できなかったっていうことなんだと思います。撮っている時から良い場面に立ち会っている感覚というのはすごく覚えてます。「ああもうこれは切っちゃダメだ」、「回し続けなきゃ」みたいなことは考えていました。

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©KOMORI HARUKA

――新たにインタビュー部分を撮影されたのは、2013年から2015年ぐらいにかけて撮影された素材だけではなく、もう一回インタビューが必要だったっていうことでしょうか。インタビューの聞き手は小森さんがつとめているんでしょうか。

小森 何が必要なのはわかってなくて結果的にインタビューだったっていう感じです。インタビュー部分だけは私が聞き手で、録音をしてくれた福原悠介さんがカメラを回しています。何を聞くかはだいたい自分の中で決まっていて、以前に撮影した素材を見ていたのでこのシーンを映画の中で使いたいというのもやっぱりどこかにはちょっとあって、その時の状況や阿部さんの思いを聞きたくて、そのための質問を準備して聞いたと思います。基本的にはラジオのことと、いま阿部さん自身がかさ上げした上のまちで生活を始め、感じられていることを中心に聞いています。

――小森さんが撮影しているところは、小森さんがどう見たかということがすごく反映されてると思うんです。その一方でインタビューのところは小森さんはカメラの後ろにいない。そうしたのはなぜだったんですか。

小森 ひとつは阿部さんの横顔を撮りたかったというのがあるんですね。そうすると、私がカメラの後ろやカメラの横にいて聞くことができないので、聞き手とカメラマンは分けなきゃだめだなと思いました。誰かに聞いてもらうことも考えましたけどそれも無理だし、阿部さんにあっちに向かって喋ってくださいと言って横から撮ることも絶対できないなと思いました。やっぱり阿部さんにはまちの方を向く位置に座ってもらいたかったんです。陸前高田災害FMの時もまちの方を向いて語る阿部さんがいて、ずっとその横側を撮っていました。それぞれの向きは違いますけど、お店の中でも勝手口から見える風景が好きだと話されていたので、阿部さんが普段視線を向けている方向に座ってもらって話を聞いて、その時の横顔を撮ろうと思いました。

――インタビューで話している時の阿部さんの視線や声にブレがなくて、すごくサバサバしているし、すごく聞き入ってしまいます。ちなみに最初に阿部さんを知ったのは声だったんでしょうか。

小森 陸前高田災害FMはラジオだけでなくブログやTwitterでも情報を発信していたんです。まだ住んだばかりだった頃に高田のことを検索すると、必ず災害FMのTwitterの投稿が上がってきました。すごく熱心な人たちがやっているんだなと、まちのことに対して強い思いを持った人たちがいるんだろうなってのが伝わって、どんな人たちがやっているんだろうと気になっていました。それからラジオも聞くようになって。実際に会いに行って、阿部さんと出会いました。はじめてお会いして、阿部さんという人がいることと陸前高田災害FMの活動とが結びついたというか、すごく腑に落ちたんです。一般のラジオ局や災害の情報を発信しているFM局とは何か違っていて、まちの人たちの声を聞いてその声によって人をつないでる、そのことを目的としてるラジオ局なんだなってことがすごくわかりました。それでもう素敵な人だな、この方を撮りたいなと思ったんです。

――阿部さんはまずは聞く人なんですね。映画の中でもまちの人たちに楽しそうに話を聞く姿がありました。聞く人なんだといま聞いてすごく腑に落ちました。

小森 阿部さんがいなかったら聞かれなかった話というのがいっぱいあるんです。ご高齢の方がそれまでご家族にも誰にも話したことがないような話が、阿部さんが聞き手となることでいっぱい出てくるんですよ。それが本当に阿部さんにとって宝物なんです。形に残されてきた、まちのこれまでの歴史や個人の歴史はやっぱり多くが震災で失われてしまったんですよね。だからこそ人の記憶の中に残ってるものを阿部さんはとにかく聞いていて。陸前高田の方たちは、被災者としてその被災体験をメディアから取材されることはたくさんあったと思うんですけど、いままでどんな人生だったんですかとか、昔のあのまちが本当に懐かしいというただそれだけの思い出話を話せる場所がなかったんですよね。それで自分だけで聞くのはもったいないからまちの人たちにも聞いてもらいたいと、ラジオからその声を届けているんです。聞き手としてすごい人だなと思いました。そういう聞く仕事って、聞き書きや研究とか、ドキュメンタリーを作る人もそうかもしれないですけど、外の人がやって来て残す仕事はたくさんありますけど、住んでいながらその貴重さに気付いて伝えようとする人ってなかなか少ないんじゃないかなと思います。専門家でもなくて、震災によってたくさんのものを失われた中で、阿部さんという人がラジオのパーソナリティになって気付く。そのことが本当にすごいなって思うんです。

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©KOMORI HARUKA

――みんなそういうことがあるのは知っていても、わざわざ記録にしたりとかはしようしないかもしれません。阿部さんはそのことを大事なものとして思えるということなんですね。

小森 やっぱり亡くなられた人に対しての思いというのがすごくあったからそこに向かってるんですよね。その人たちのことを忘れてしまわないために、その人たちと一緒に生きていくためにかつてのことを聞こうとする、なかったことにしないようにする。そういう聞き手・伝え手としての仕事を自ら見つけられていったのだろうなと思います。『息の跡』の佐藤さんもそうなんですけど、その方たちの伝えることの切実さには、本当にかなわないと思います。

――映画の中でも、空から亡くなった人が見ているという風に阿部さんはよく空の話をしています。

小森 弔う先は人それぞれだと思いますが、かさ上げがされるまで、亡くなられた人の存在はやっぱり地面にあったのではないかと私は感じています。みなさんが花を手向けたりするのも地面だったりする。みんなで暮らしていたまちが、形はなくてもそこにあったからだと思います。それが埋められていった時に、亡くなられた人も一緒に埋めてしまわないようにじゃないですけど、自分たちがかさ上げしたその上に行けば空にいる人に近づけるかもしれないという発想の方に持っていく。阿部さんはそういうことを言える人なんですよね。たしかにそれまでも阿部さんはずっと空に対して思いを馳せていらして、急にその発想が生まれたわけではないんですけど。「空に近づける」という言葉に、私はすごくびっくりしました。自分には言えないことだなと思います。
私は震災の後に残った元の道路やその風景の中を歩いていると、亡くなった人たちはきっとここにいるのだろうなって感じがしていたんです。でも、空に亡くなられた人たちを感じられるかと言うとそれはわからなくて。だから、阿部さんや陸前高田の人たちと同じように空に対して思うことってできないですけど、かさ上げされて元の地面が失われても、そこで止まってしまわないまちの人たちの姿勢に、こうやって新しいまちが未来に繋がっていくのだと教えられるんですよね。

――僕は小森さんの映画の持つユーモアが結構好きなんです。どの作品も必ず笑っちゃうところがあります。『空に聞く』で言うと、青年会の人がFM局で楽しそうに話している感じがすごく好きなんです。

小森 あそこはグッときちゃうんですよね。自分でユーモアを狙って残してるわけじゃないんですけど、どうしても残しちゃうんです。絶対に切れないなって。青年会の人たちが話しているあの収録日は3月11日でした。皆さんそれぞれに大事な方を亡くされていて、でも3月11日の夜にああやって笑って話してるってこと自体がすごいですよね。テレビをつければ震災の特集番組を一日中放映しているような、陸前高田にも取材がたくさん来ている日に、当たり前のように自分たちの昔話をして笑い合ってる人たちが本当にいとおしいと思いました。もちろん「今日が3月11日である」という背景をもっとわかりやすく伝えることもできるかもしれないですけど、そうしちゃうとあの笑いが良い意味を持たない気がしました。あの夜の時間が現実にあっただけで私は十分というか、だからそのシーンだけを切り取っちゃうんですよね。

――彼らが話している「ど根性ガエル」のことを知らなくても聞いていて面白いんですよね。

小森 私も知らなかったけど笑っちゃうし。陸前高田災害FM自体がそういう固有名詞がいっぱい登場するし、時には何の話しをしているかわからないけど笑っちゃうみたいな番組がたくさんあったなと思います。

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――『空に聞く』は何度か見させていただいているんですが、その度に自分の中でも印象が変わっています。最初はラジオパーソナリティの阿部さんと和食屋さん女将である阿部さん、その2つの時間が流れているんだと思いながら見ていました。今回、改めて見て思ったのは、映画の中で阿部さんが話されている、陸前高田の10年後20年後という未来に向かっても開かれている感じがしました。

小森 私自身未来に向かうという発想自体をそれまで持てなかったのが、この映画をつくっていく中でちょっと変わっていったんだと思います。かさ上げされていく地面を撮ってる時って土の塊にしか見えなくて、正直とても嫌で、何でこんなことするんだって思いながら撮ってた時期がありました。でも、その上にできた新しいまちで子供が走っていたり、味彩があって高校生が歩いていたりする風景を撮っている時とでは同じ場所を撮っているのに自分の向かっている方向が全然違うんですよね。そういう意味ではもちろん阿部さんの言葉を通してなんですけど、そういう風に自分自身が風景を受けられるようになった。ここで暮らしていく人たちの日常、いま動き出している風景がこの先も続いていって欲しい、託すような思いみたいなものも、撮る時に感じるようになりました。そういった意味で未来に向かえるようになってきたんだと思います。

――かさ上げされてなくなってしまうからその前に撮っておこうということと同じように、このまちがこれから10年後20年を発展するその最初を撮っておこうというところもありますか。

小森 それもあるかもしれないです。でも、悪い言い方をすると、もしかしたらいまが一番いい時かもしれないという現実も一方である。まちができて、賑わいがあって、ずっと仮設だった暮らしがやっと本物になった瞬間はやっぱり誰だって嬉しい気持ちの方が強いと思います。でもこれから過疎化も進んでいくでしょうし、津波だってまた来ないとは言えない。土砂災害で崩れることもあるかもしれないし、いろんな未来があると思うんです。きっと良いまちになっていくんだろうなというのと、この先どうなるのだろうと、どっちの気持ちもあるので撮っていてもやっぱり未来を想像するのは難しいですね。いまはこの新しいまちの始まりを記録しておきたいという気持ちですね。

――『息の跡』、『空に聞く』どちらの作品にも無音状態があります。『空に聞く』だと、味彩の前のところで数秒無音になっています。『息の跡』だったらお祭りの時に無音になっています。

小森 『息の跡』の、あのお祭りの夜に人々が集まっている風景をパンしながら撮ったシーンは、自分の頭の中でもう祭りの音が鳴らないんですよ。撮影してる時にも音が聞こえなかったっていうか、亡くなられた人たちも同じ場にいるような気がしたというか。その人たちの目線で撮る、じゃないですけど、ここにいない人たちがいるのを感じたことと、無音にしたことは関係しています。『空に聞く』に関しては、阿部さんがラジオの仕事を離れてから味彩ができるまでに約2年半の時間が空いているんですが、そのくらいの時間が経ったことを何かしら感じられるような表現にしたかったんです。味彩が建ったばかりの風景がすごくきれいだったので、パーソナリティとしての最後の日の映像から、その風景ショットに繋ぎたいというのがありました。つなぎ目に字幕を入れたりもしたんですけどなんか違うなと思って、風景ショットを無音から始めて音を少しずつ上げていくという風にしたんですね。自分の中でしっくり来たのがその編集でした。

――撮影している時の感覚が編集する時に結構関係してきてるんですね。

小森 関係してきています。でも、それはいいのかわからないですよね。撮影時の思いが強すぎると作品にならなくなってしまうので。だから最近は客観的に見てくれる人と一緒に編集をするっていうのを心がけています。

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取材・構成 渡辺進也

小森はるか(こもり・はるか)

1989年静岡県生まれ。映像作家。東京藝術大学美術学部先端芸術表現学科卒業、同大学大学院修士課程修了。2011年4月に、ボランティアとして東北沿岸地域を訪れたことをきっかけに、画家で作家の瀬尾夏美と共にアートユニット「小森はるか+瀬尾夏美」での活動を開始。翌2012年、岩手県陸前高田市に拠点を移し、人々の語り、暮らし、風景の記録をテーマに制作を続ける。2015年、仙台に拠点を移し、東北で活動する仲間とともに記録を受け渡すための表現を作る組織「一般社団法人NOOK」を設立。主な映像作品に、『波のした、土のうえ』(2014、制作:小森はるか+瀬尾夏美)、『息の跡』(2016)、『二重のまち/交代地のうたを編む』(2019、制作:小森はるか+瀬尾夏美)などがある。

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『空に聞く』
2018年/日本/73分/DCP
監督・撮影・編集:小森はるか
撮影・編集・録音・整音:福原悠介
特別協力:瀬尾夏美
企画:愛知芸術文化センター
制作:愛知県美術館
エグゼクティブ・プロデューサー:越後谷卓司
配給:東風
11月21日(土)、ポレポレ東中野にてロードショー、ほか全国順次公開

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