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November 2, 2020

《フィルメックス・レポート》『逃げた女』ホン・サンス
梅本健司

[ cinema ]

ss10 逃げた女_main.jpg 3日間、それが連続した日々なのか、あるいはたった1日の3つのパターンなのかは曖昧である。約30のショットがその3日間にそれぞれほぼ均等に配分されている。『正しい日 間違えた日』の2つの1日が似ているようで違う時間だったとすれば、本作の3日間あるいは、3つの1日は、まったく違うようで似ている時間にも見える。
 主人公であるキム・ミニは、そんな日々のなか、3人の女性と再会する。目の前のものに時にたじろぎながらも、相変わらずいろいろな動きを見せてくれる稀有な女優である。なかでも際立つのは、「振り向く」、「振り返る」という動作である。カメラに背を向けて立っていたのが、こちらに顔を向ける。この180度の回転は本作のなかで何度も反復される。また、この半転はキム・ミニだけではなく、彼女が出会う人々も同様に見せる身振りである。冒頭、鶏の「ヘンテコズーム」を見た後に、続く2つのワンシーンワンショットでは、振り返るという動作からキム・ミニと1人目の女性との会話が同じく始められている。
 この身振りはたった1つの役割を担っているわけではない。まず、先述したようにある人物がもう1人を呼び、それに応じて振り向くということ。つまり、人と人が正対するための身振りとして用いられている。他方、見つめあった2人の人物のうち、1人がその関係をやめるための「振り向く」=目をそらすという動作でもある。前者は女性同士の関係において、後者は男女の関係において演じられる。後者の場合、それはどちらが目をそらし、その関係をやめてしまうのかといった対決のようにも見える。そのシチュエーションは男女の対立を煽っているわけでも、勝敗をつけたいわけでもない。けれど本作は、後者の振り返る行為を「逃げる」と呼んでいる。
 そんなわけで、本作のタイトルは『逃げた女』である。ではキム・ミニが「逃げた女」その人なのだろうか。彼女は「5年間1度も離れたことのない夫と、今回初めて離れた」というセリフを毎回口にする。このセリフによってそれが線的な時間なのか、あるいは3平行の1日を描いているのかというのがわからなくなる。そのようなセリフからひょっとするとキム・ミニは夫から「逃げた」のかもしれない。けれど、それよりもアクションにおいて明確に、彼女が逃げる瞬間がある。その瞬間も確かに、くだんの半転の身振りに近いのだが、背を向けた状態からではなく、顔を向けた状態から背を向けるという半転である。映画終盤のそのシーンは、昔の恋人と偶然再会、そして向かい合ってしまい、気まずさのあまりそこから去ってしまうというものである。彼女は確かにそこから「逃げた」と言えるかもしれない。
 しかし、『逃げた女』がその烙印をキム・ミニに押し付けることは失敗に終わる。感動的なのは、それを彼女はあらたなアクションによって自ら払拭するということである。言わずもがな、それも「振り向く」という動作によって。キム・ミニはその行為に導かれてはたして、なにを見つめに行くのだろうか。
 例年であれば、家で映画を見るよりも映画館で見る機会のほうが2倍近く多いのだが、今年はそうなってはいない。映画館が再開し、全席開放された後も、行くのが億劫になってしまい、なかなか足を運べていない。家で見ると、続けてすぐに2回目を見たり、特定のシーンを見直したりと当たり前のようにしているが、そうすると映画を見て書くという行為がまったく変わってしまうように感じる。それ以前は、映画館で初めて見る1回に賭け、見直したとしても、その1回目について書こうと努めていたけれど、簡単に見直せるようになってからは、自分が一体何回目に見たその映画について書いているのかよくわからない。数年前に、『ユリイカ』が東京国際映画祭でリバイバルされた際に、映画というのは1度しか見られない、環境、状態によってどう見えるのかが変わってしまうからと青山真治が語っていたが、家で映画を繰り返し見るという行為は、どこかその全てを同じに見ようと期待してしまっているような気がする。
 映画祭で映画を見るという行為は、しかしそんな感覚から、引き戻してくれる。この映画のたった1度を見ているのだと、緊張感とともに、そう確信させてくれる。なによりもキム・ミニとともに、ホン・サンスの新作でそれを取り戻せたことを幸福に思う。

第21回「東京フィルメックス」にて上映(10/31、11/2)

  • 『ヘウォンの恋愛日記』/『ソニはご機嫌ななめ』ホン・サンス 隈元博樹

  • 『3人のアンヌ』ホン・サンス 隈元博樹

  • 「ホン・サンス映画はどのように生まれるのか?」@東京藝術大学 横浜校地馬車道校舎

  • 『自由が丘で』ホン・サンス 隈元博樹

  • 『アバンチュールはパリで』ホン・サンス 梅本洋一