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August 8, 2021

『オキナワサントス』松林要樹
結城秀勇

[ cinema ]

 黒地に白抜きの文字、縦書きでふたつ隣り合って並んだ「オキナワ」と「サントス」。タイトルにあるふたつの地名の間にある関係性を、上映中ずっと考えていた。
 1943年7月8日にサントスで起こった「日系移民強制退去事件」。ドイツ軍によるサントス港付近での商船への攻撃を受け、枢軸国系の住人が市外へと24時間以内に退去させられた。ドイツ人の数百家族、日系移民が6500人、そのうちの約6割ほどが沖縄県出身者の家族だったという。だからこのタイトルは、「サントス」に住んでいた「オキナワ」人、「オキナワ」にルーツを持つ「サントス」市民というような意味でとらえるのが自然である。西洋の住所表記のように(『パリ、テキサス』みたいに)、「サントス」という区域内にある、より小さな区域としての「オキナワ」の集団。
 そんな言い方はこの映画の要約としては決して間違ってはいないのだが、しかし映画を見ている間の実感としてはなんだかひどくひっかかりを覚える。だって、この映画は導入部において、別に「オキナワ」を撮ろうとして始まるわけではないからだ。順を追って話せば、「日系移民強制退去事件」に関心を持った監督は事件の当事者への取材を始める(この時点では沖縄県系移民に限定して取材しているわけではない)。取材を続けるうちに監督は強制退去にあった人物のリストを見つける。そのリストの人名から、沖縄県系の苗字が多いことに気づき、サントスの沖縄県人会と協力して取材を続けていく。そしてある日、それまで取材していた非沖縄県系のある家族から連絡がくる。これ以上取材に協力はできないし、これまで撮った素材は使わないでほしい、オキナワさんのことを熱心に取材しておられるようですから、それを中心にしたほうがおもしろくなるでしょう、と。そんなふうにして、結果的に、この映画は『オキナワサントス』になる
 思い返せばこの映画は、「私はこれまで様々な場所に行ったり住んだりしてきたが、この映画の製作途中から沖縄に住み始めた」というような監督の言葉で始まっていた(それもまた黒地に白抜きで縦書きだった)。特に映画の内容との因果関係が明らかになるわけではないこの情報は、それでもやはりこの映画には必要だったのだと思う。『オキナワサントス』と同じように、監督もまた事後的に「オキナワ」になるのだ。「この映画の途中で沖縄に住み始めた」という文字に続く、モノレールからプロペラ機、そして国際線のジェット機から見た風景へと、あまり見たことがないくらいにゆっくりとしたオーバーラップで変化していく景色のように、時間をかけて「オキナワ」になる。そのことは松林要樹の作品に共通する要素なのだとも思う。『花と兵隊』の、そこにとどまることで「兵隊」ではなくなるはずなのに「ヘイタイさん」と呼ばれ続けた男。『祭の馬』の、競走馬であり続けることも祭の馬になることもできないミラーズクエスト。そうして松林要樹の映画の登場人物たちは、というか映画自体が、地図上のどこにもない区分であり、あらゆる場所に潜在的に潜む区分である「オキナワ」になっていく。
 もうひとつ気になった監督の言葉のインポーズがある。「沖縄県系移民は他県出身者より多くの足跡を記録として残していることに気づいた」。これもまた特に映画内で具体的な例証が挙げられるというわけでもないのだが、この映画の重要な部分を説明してくれている。「歴史は勝者の記録」とは手垢のついた言い回しだが、敗者であるがゆえに、踏みつけられ無視された者であるがゆえに、残しておかねばならない記録がある。
 つまり「オキナワ」になるとは、80年近い過去に起きた出来事を現在につなぐための倫理的な姿勢なのだ。もはや証言者は当時子供だった年頃の人しかいない時代の事件を、「悲しい夢のような」遠い昔の出来事を、現在につなぐための。疫病の蔓延という災厄の中で、国際的なスポーツの祭典を楽しむことを強いられるという意味不明な状況にある私たちの目にも、そこらここらに「オキナワ」が見えているような気がするし、こんなトチ狂った状況下にこの映画を見に行くということは、「オキナワ」になるための第一歩だという気もする。

7/31より沖縄桜坂劇場にて先行上映。8/7より東京シアター・イメージーフォーラム、大阪第七藝術劇場にて上映中。ほか全国順次公開

  • 『祭の馬』松林要樹 結城秀勇