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October 12, 2021

「山形国際ドキュメンタリー映画祭2021 オンライン日記②」
荒井南

[ cinema ]

 逃亡犯条例改正反対運動で香港理工大に立てこもる学生らと香港当局が熾烈な衝突を繰り返した2019年11月に迫る『理大囲城』(香港ドキュメンタリー映画工作者)のカメラは、肉薄する、という言葉が陳腐なほど、危険な瞬間や応酬を幾度もさらけ出す。その一方で、クレジットされているとおり、この映画の撮り手は匿名だ。映される若者たちは一様に防毒マスクで顔を隠し、モザイクで加工もされるなどの保護もなされている。だからこそ、警察が学生を捕まえた際に素顔をむき出しにする瞬間に戦慄するのである。"伝える"という役割を誰もが手にした現代、名前を持たないドキュメンタリストたちは、刻々と移り変わる現状を残してきた。おそらくは撮り手が予期しないものも映り込んだにちがいなく、どこまで意図的であるかも不明だ。ここには囲まれた若者たちと、まさに彼らを囲い込んだ体制の姿だけが記録されている。しかし、そのようにアクチュアルに物事が映し出されたことで、最大の抵抗運動に結びついたように感じる。

 インドの緩和ケア団体キャンサポートの活動を追う『私を見守って』(ファリーダ・パチャ)は、緩和ケアスタッフの目線を正面からとらえない。常に少し外して撮影しているのだ。彼女たちがみつめるのはレンズではなく、患者たちだからである。
 淡々と仕事を受け、疲労の色を浮かべながら移動するスタッフたち(登場するのは全員女性なのだ)の表情を映すカットのなかに、群れる鳥や公園で戯れる子供たちといった何気ない日常が挿しこまれる。さりげない日々は病に冒された者にとってかけがえがないこと、人の生に終わりがあろうと緩和ケアという使命に終わりがないことを、こうした編集やおだやかな音楽設計も示している。キャンサポートは、自宅で最期を迎えることの重要性を強調するため、患者本人のみならず、その家族にとっても苦しみ、恐怖、苛立ちがつきまとい、そのたびにスタッフたちは人間の負の感情と向き合う。在宅医療は、時に患者も家族も消耗させる。しかし、本来CareはCure(治療)を包括し、病に関係する者に対するより総合的なアプローチだ。ケアとは想像し、分かち合う営みなのだという根幹に、彼女たちの一挙手一投足が立ち返らせてくれる。
 筆者は二年前、胃がんの母を緩和ケア病棟で葬った。私は最期までその痛みに寄り添い、見守れていただろうか。映画からの問いかけが、鉛のように心にのしかかる。