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December 28, 2021

『セールスマン』アルバート&デヴィッド・メイズルス
品川悠

[ cinema ]

salesmanstill2-640x360.jpg「聖書は世界で最も売れている書物なのです」。訪問販売員のポール・ブレナンはそう口にする。ロッキングチェアに座る女性は、そのセールストークに耳を傾けながら、なんとか断る方便を探しているようだ。ポールが売ろうとしている聖書は、ただの聖書ではない。特注仕様の装幀にサイズは広辞苑並のヴォリューム感、そしてなによりも高額なのである。さらにカトリック大事典とのセット購入を選択すれば、値はより張るだろう。そのため支払い方法は三通り用意されている。信仰心か、生活か。彼女はためらいつつ、おそらく家計を案じてか、買うのを断る。そのとき彼女の子どもがおもむろにピアノを弾き始める。その悲劇的な調子の中、残念そうにうつむくポールの表情を捉えて最初のシーンは終わる。
 周知のように、1969年にメイズルス兄弟―兄アルバートと弟デイヴィッド―によって製作された『セールスマン』は今日「ダイレクト・シネマ」の代表作の一本に数えられている。これもまたよく知られているように、「ダイレクト・シネマ」とは1960年代に米国で興った「観察」を旨とするドキュメンタリー映画における新たな潮流を指す。その作り手たちは、ナレーションやインタビューを排し、観察対象を直接的に提示するためカメラの存在を消すよう努めた。メイズルス兄弟がその「観察」の対象として選んだのが聖書を訪問販売するセールスマンたちである。
 撮影を担当したアルバートがお気に入りだと語る上述した冒頭のシーンは、観る者をいきなり聖書を訪問販売している現場に解説も説明もなく立ち合わせる。その際、ポールと女性とその子どもがカメラの存在を意識していない。いや意識はしているはずなのだけど、たとえばカメラ目線になることは劇中通してほとんどない(ただ例外的に、ポールが明らかにカメラの背後にいる人物に向けて他の販売員たちの特徴について語る場面がある)。このようにカメラが透明に振る舞うことによって、私たちはセールスの現場を観察することができるのだ。
 ただいわゆる劇映画に用いられる編集の工夫がなされていることにも注意したい。この場合、聖書を購入してもらえるように言葉を尽くすポールとそれを聞く女性がカットバックでつながれている。他にも、後にポールの回想と解釈できるドキュメンタリーらしからぬつなぎもある。これは本作の編集を担当したシャーロット・ズワーリンによって、4人の販売員の中でポールを作劇の中心に据えられた結果だろう。
 そのため、『セールスマン』は「ダイレクト・シネマ」として期待されるようなジャンルの枠組みを逸脱している。ただそれでもあえてダイレクト・シネマという呼称にこだわるならば、やはり『セールスマン』は、この方法論によってなにがしかの真実を捉えることに成功していると思われるからだ。実際、印象として『セールスマン』は今日においてもまったく古びていない。なぜか。
 その一端はやはりポール・ブレナンの所作のうちに見出せるだろう。たとえばポールの営業が途端に振るわなくなる。それは、セールス行脚の舞台を雪が降りしきるボストンから陽光降り注ぐフロリダに移し、主な移動手段である車のタイヤがパンクする象徴的なカットの後だ。パンクの翌日、午前のうちに門前払いに遭ったり長いセールストークも功を奏さず、彼は午後の仕事をすっぽかしてしまう。カフェかダイナーで、ポールが教会から受け取った顧客メモをパラパラと見直し途方に暮れて外を見やる印象的なショットの後、彼が再び画面に現れるのは、体力に自慢のあるセールスマンのひとり通称ブルがモーテルに夜遅く戻ったときだ。セールスマンたちは毎晩モーテルでその日の営業について報告し合う。そこでブルがいつものノリでポールに話しかけるが、彼の様子がどうやらおかしい。ポールは気分を変えるためか、髪を切りに行ったらしい。彼はブルに向かって、その地区や住民に対する不平不満を真剣な面持ちでぶちまける。そうして醸成された気まずい空気の中、ブルはあくびをしながら―このときさりげなく腕時計を見る―話を聞く。ポールが愚痴を言い続ける中、ブルは訪問予定の住所が記されたメモを確認する。このように細やかな所作によって演出された空気感のギャップが素晴らしいと思う。アルバートは、ポールとブルの間におさまるベッドの傍にポジションを取り、ふたりを鮮やかに対比させてみせる。つまり、一方でポールの不満を印象づけるために彼の表情をクローズアップで捉え、他方でブルのメモをめくる身振りをやや引き目で捉えている。要するに、文句を言う顔と仕事をする手として演出されているのだ。さらに言えば、物思いにふけるポールの表情を捉えたこの場面の最後のショットが、翌日にブルと一緒に訪問販売をしている最中の表情にそのままつながれる編集も見事だ。
 ただ誤解してもらいたくないのは、ポールが決して怠惰な人間などではないということだ。彼はむしろ勤勉である。メイズルス兄弟は、セールスマンの営業に同行した結果、彼の空回りを近くで一緒に体験した。その視線は、ともすれば科学的な冷徹さを想起させる「観察」というあり方とは違い、共感を寄せるような温かみがある。倫理とも言えそうな兄弟のこの視線のあり方こそが、彼らを「ダイレクト・シネマの旗手」に位置づけている。
 ちなみに、冒頭とはまた異なる悲壮感を漂わせるポール・ブレナンの姿を捉え、セールスマンとしてのキャリアを終えるかのように予期させるかたちで本作は幕を閉じる。彼は『セールスマン』公開後まもなく俳優業に挑戦したようだ。

12/11(土)〜12/24(金)グッチーズ・フリースクール 企画、下高井戸シネマにて2週間限定上映
現代アートハウス入門Vol.2にて12/14(火)に上映

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