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April 30, 2022

『オルメイヤーの阿房宮』シャンタル・アケルマン
結城秀勇

[ cinema ]

 黒い夜の川の水面に、どこか向こうから来る光が反射して、波紋だけが白く浮かび上がる。それは動く船の後方に過ぎ去っていく水面のようにも見えるし、光源である船が到着するのを桟橋で待っているようにも見える。
 カメラはひとりの男の歩みを追いかけ、場末のクラブのような場所へと入っていき、ステージ上を見つめる男の顔をじっと映し出す。ステージでは、別の男が「Sway」を踊りながら歌っている。そこに先程の男が彼の背後から現れ、手に持ったナイフで心臓を一突きする。刺された男は崩れ落ちるが、「Sway」はまだしばらく鳴り続け、やがて止まる。それはディーン・マーティンの録音を流しただけの口パクだったのだ。バックダンサーの娘たちは恐れ慄き舞台袖へとはけるが、ただひとりの娘だけが、いまはもう鳴ってはいない「Sway」に合わせて波のように手を揺らしている。「ニナ、デインは死んだのよ!」という仲間の声が、彼女をステージ前方カメラの方へ移動させ、大写しになった彼女はモーツァルトの「Ave Verum Corpus」を歌う。やがて、画面は「以前、違う場所」という言葉とともに、また黒い水面を映し出す。だがなぜだろう、その言葉とは裏腹に、揺れ続ける水面は絶えず変化し続けるがゆえに、先ほどの水面と時間も場所もなにも変わらないのだという気がする。
 ニナとデインの若いカップルの道行に待ち受ける、デインの殺害という結末が描かれることで、この映画はフィルムノワールのように、変えることのできない結末に向かって過去を語るのだろうことが予測される。しかし、その一方で、このフィルムはこの結末にもう一度たどり着くことなど決してないのだろうという不思議な予感もまた同時に生じる。
 金を掘り当てるという夢を追い、オルメイヤー(スタニスラス・メラール)は白人たちの住む国を捨てて、この亜熱帯の国へとやって来た。だがこの物語が過去を語り始める時点で、すでに金を手にするという夢はもはや潰えたように見え、金鉱の採掘の権利と引き換えに娶った妻との間にできた一人娘ニナしか、彼が執着するものはない。それを彼は愛と呼ぶのだが、我々観客の目にはただそれがまだ失っていないなにかだと思い込んでいる唯一のものに過ぎないように見えるし、おそらく初めからただの一度も手にしたことのないもののようにも見える。
 オルメイヤーの義父であるリンガード船長がニナを西洋式の寄宿学校に預けて教育を施すことを決めるとき、オルメイヤーは誰もいない虚空に向かって「ニナ、ニナ!」と何度も叫び、そこに申し訳程度に愛してもいない妻の名を付け加える。そしてほとんど同じ場面が、ニナが家を出てデインの元へと向かう夜にも繰り返されるが、そのいずれにおいても、彼が叫ぶ名前が実態を伴って姿を現すことがないだろうことは、彼の半狂乱の叫びの内に確信となって響く。
 ニナは、父の彼女への思いを「あなたの愛は言葉だけで、行為がない」と評す。オルメイヤーは、失っていた金を掘り当てる夢が復活しそうになるたびに喜びを漲らせるが、同じようにニナとの再会を喜ぶシーンは一度たりともない。ニナとなんらかの、愛と呼ぶに足る経験を共有するシーンは一度たりともない。
 この映画のラストシーンで、オルメイヤーは永遠に失った娘を思い、「明日になれば忘れる」と呟く。そこでなぜか、カメラではなく椅子に座った彼が前方にゆっくりと移動するように見え、彼の顔に当たる光が変わる。「太陽は冷たく、海は黒い」と彼は呟く。しかし、直前のシーンで砂の白と水の青のツートーンに染まった画面を見た我々は、彼の顔を照らす陽光の中で新種の虫のように瞬く長いまつ毛を見る我々は、そんなことは嘘だと思う。「明日になれば忘れる」、再び彼がそう呟くことで、そんな明日など決してやってこないことを、我々は知る。すべての結末が用意された明日と、そんな明日が決して来ないとわかっている今日の間で、この映画は終わる。
 この映画の間中、カメラはパンしティルトしズームし、スウェイし続ける。ディーン・マーティンの声で歌われる「Sway」という曲は、こう歌っていた。

バイオリンの音が聞こえる
ずっと前に それは始まっていた


ヒューマントラストシネマ渋谷「シャンタル・アケルマン映画祭にて上映

  • 『東から』シャンタル・アケルマン 結城秀勇

  • 『囚われの女』シャンタル・アケルマン 池田百花