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June 7, 2022

『トップガン マーヴェリック』ジョセフ・コシンスキー
秦宗平

[ cinema ]

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 映画が生還した。冒頭、カリフォルニアの砂漠に赴任しているマーヴェリック(トム・クルーズ)は、マッハ10を記録するため、超音高速機に乗ってテスト飛行を行う。"グース"と、前作『トップガン』で失った盟友の名前を口にする直前、画面の右下に薄くまたがる右翼とともに、広い、大きな空が写し出される。私たちが経験したことのない速さと高さのなかで、見たことのない色の重なりをそなえた空が、一瞬、画面いっぱいに、均一に広がる。前作からアレンジすらされていないかに思えるオープニング曲「Danger Zone」に続いて、真っすぐに走り抜けたGPZ900Rとあわせて、『トップガン マーヴェリック』が、直線的で、力強く、透明な映画であることを確信する。

 トム=マーヴェリックとその仲間たちが、自らの身体を賭して、自らの行動のみによって、不屈の精神で完成させたこの続編は、たった一つの実現不可能なミッションに向かって突き進む、きわめて単純明快な映画である。ミッションの完遂(それは分かりきったことだ)までにあるのは、作戦と同じ航路をたどる「練習」と「再現」、人と人との衝突、疑念、愛情だけである。こんなシンプルな映画がどこかしこの劇場で公開され、世界中の観客を魅了していることによろこびを覚えずにはいられない。

 現代の高度な撮影技術に支えられたシーンであることはたしかにしても、見せ場である空中戦が垣間見せた、あるスペクタクルが心をとらえて離さない。実はこの空中戦、攻撃や飛行の軌道が見ていてよくわからないことがある。傾き、回り、揺れるコクピットとパイロットの顔のクロースアップ。握り、引き、たおす操縦桿。ことさらに爆撃の迫力や飛行の鮮やかさを強調せず、俳優たちの顔と操縦をシンプルに、キレよく構成しているのだ。そんなスペクタクルのもっとも魅力的な表情を見いだせるのは、弾道ミサイルの発射が始まったとき、マーヴェリックと教え子たちの「右だ!」「後ろだ!」「フレアをまけ!」というめくるめく声かけの応酬に合わせて、次々に移り変わるコクピットの顔である。彼らはお互いを信じている。彼らは絶対に生き延びなければならない。私たちに今、外で何が起こっているのかを知る時間はないのだ。

 論じるのも定義するのも難しい、俳優たちの「いい顔」がコクピットの中にあふれかえっている。冒頭でマーヴェリックのテスト飛行を退けようとした、無人飛行のプロジェクトではあり得ない光景だ。思えばおよそ百年前、同じパラマウントから公開された航空映画である、ウィリアム・A・ウェルマンの『つばさ』にも、コクピットで笑い、仲間に振り向き、血を吐く「いい顔」があふれていた。トムが撮影現場で繰り返したという、「時代を超える映画をつくろう」というスローガンの神髄は、「いい顔」にあると想像することはできないだろうか。

 けっして多くはない、直線的で力強く、人と人がぶつかり合い、いつくしみ合う、途方もなく透明で、美しい映画を思い浮かべてみる。そして『トップガン マーヴェリック』は、エンドクジレットで映画がその名前に捧げられるしかない、ある映画作家の作品群を何よりも喚起する。その作家の映画は時に残酷で、複雑さや困難さに苛まれはしても、常に直線的で、熱情にあふれていた。彼は、悲しくも高い橋の上から飛び降り、自ら命を絶ったとされている。いささかセンチメンタルが過ぎるけれど、マーヴェリックの「誰も死なせはしない」という至上命題は、グースとともに一人の映画作家の名前を刻みつけることで、この映画の単純で幸福な結末を、少しも曇らせはしないと思う。

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