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September 23, 2022

『伴奏者』クロード・ミレール
結城秀勇

[ cinema ]

9月23日(金)よりの「生誕80周年記念 クロード・ミレール映画祭」に合わせ、『伴奏者』の日本盤初DVD化(2014年、発売:IVC)の際に封入リーフレットに寄せた文章を再掲する。一読してわかる通り、先立ってアップされた梅本洋一氏の文章「見えない距離を踏破する クロード・ミレールについて」に多くを依る文章なので、この機会に併せてお読みいただければ幸いだ。

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1942年から43年にかけての冬。配給制で肉もなく、死亡率は69%増加。レジスタンスの反撃は2週間で17回を数えた。そんなそっけないまでに簡潔な表現で、この作品の舞台がヴィシー政権下のフランスであることが告げられる。そのことは物語を大きく展開させる要因となるばかりではなく、この作品のフォルムに決定的な影響を与えてもいる。窓から差し込むわずかな光以外は闇に沈んでいきそうな、影のような人々が佇むホール。そこを通り抜けて開かれた扉の向こうにあるのは、煌々と焚かれたライトに照らし出された舞台上で楽団をバックに歌うひとりの女性の姿である。親独と見なされているイレーヌ(エレナ・サフォノヴァ)とシャルル(リシャール・ボーランジェ)の夫妻を取り巻く世界、そして指折りの歌手であるイレーヌの伴奏者として雇われたソフィー(ロマーヌ・ボーランジェ)の前に開ける新たな世界は、彼女たちが登ることになるステージのように、劇場の暗さ(そしてその外に広がる夜の暗さ)とは対照的に奇妙に明るい。その明るさが舞台の上できらびやかに輝く女性と、その脇に影のように佇む若い女性とをくっきりと浮かび上がらす。華々しいライトの外側に広がる、ヴィシー政権下のパリが抱えた深い闇は、新しい世界に飛び込んだソフィーの目には、そして彼女の目を通じて作品を見る観客の目には、ほとんど映らない。だが、それは確かにあり、その暗さによって彼女たちは輝いている。
 飢えに苦しむ人々や熾烈化するレジスタンス活動を見つめる代わりにソフィーが視線を注ぐのは、実のところたったひとりの女性に過ぎない。彼女の雇い主にして女主人たるイレーヌの姿だ。ソフィーの技量と才能を発見し、人柄を認めたイレーヌが彼女に様々な贈り物と共に与える唯一絶対の命令は、「私だけを見て欲しい」。その命令に忠実であろうとするソフィーは、イレーヌに認められ、彼女と行動を共にすることで、自分が見つめる対象と自分との距離を近づけていくかに見える。しかしその距離がなくなることは決してなく、しかもわずかなりと縮まることすらないことは、すぐに明らかになる。イレーヌはソフィーを見つめ返しはしない。鏡の中の自分を見つめるソフィーのあの視線の激しさは、イレーヌからソフィーに注がれる視線に宿ることはない。その事実をソフィーは知っている。だから彼女に愛を告げる青年に向かって、彼女はこう言うだろう。「"一緒"にいるってわからない。ずっとひとりだったから」。この映画の冒頭には、観客をこの時代へと導くかのように、走る列車から撮られたレールの映像が置かれていた。彼女にとって、伴い、付き従うこととは、ふたつの線が一組をなすこのレールのように絶対的な距離は不変のままどこまでもともに走り続けることなのだ。ふたつの線がいつか交わることなど、決してない。
 見ることを強いられるソフィーと、それを見つめ返すことなく他の場所へ視線を彷徨わせるイレーヌ。その関係と同様の関係がもうひとつあることが、『伴奏者』という作品にさらなる重みを与えている。妻であるイレーヌを見つめるシャルル、そして彼ではなく愛人の姿を追い求めるイレーヌ。ヴィシーへと向かう駅のホームで愛人の姿を探すイレーヌの視線を追って、ソフィーも同じ場所を見つめる。そして視線の先を追うではなく、ただイレーヌの顔を見つめるシャルル。同じ見つめる者であるソフィーとシャルルだが、その方法は同じものではない。実の父娘であるリシャール・ボーランジェとロマーヌ・ボーランジェによって演じられているふたりの見つめる者は、時に互いの視線を利用しつつも、完全に共闘することはない。見つめるとは手で触れることができぬことに甘んじることでもあるからだ。それに甘んじることが出来なくなる時とは、走り続ける一対のレールの間の距離が歪んでしまう時であり、それは致命的な脱線を意味する。シャルルが自らそうした破局を招きいれる時、彼はまったく無意識にソフィーをそこから救ったのだとも言えるのかもしれない。
 この映画のラストにソフィーが帰り着くパリは、活気に溢れ明るく輝いている。劇中で輝いていたステージの光が、外の世界へとこぼれ出て広がったかのようだ。と同時に、外の世界を覆っていた闇は反転して、彼女の黒い瞳の中にだけ閉じ込められてしまったかのようでもある。

「生誕80周年記念 クロード・ミレール映画祭」にて上映

  • 「見えない距離を踏破する クロード・ミレールについて」前編 梅本洋一