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December 2, 2022

『In-Mates』飯山由貴
鈴木史

[ cinema , photo, theater, etc... ]

In-Matesスチル_b_キャプション付き.jpg 暗い画面が俄かに明るんでゆく。しかしその明るさは、あくまで仄暗いトンネルを照らすために点在する電灯によってもたらされたもので、延々と続くかに思える長い長いトンネルのなかを照らし出すには心許ない。遥か遠くで、警告のようなアナウンスがこだましているが、声が言葉としての像を結ぶ以前に、そのアナウンスはトンネルのなかの反響として消えてゆき、なにを語ろうとしているのか聞き取ることはできない。同じように、声を発している人物の後ろ姿が見える。英単語だろうか。なにやら言葉を話しているが、はっきりと聞き取れない。しかし徐々に、その黒いキャップとジャンパーのあいだから、中に着込んだ黄色いパーカーのフードだけを見せ、トンネルの暗がりを歩む人物が発しているのがコリア語(本稿では「韓国語」や「朝鮮語」ではなく、暫定的に「コリア語」と表記)だとわかる。苛立ちからもたらされる呟きに思えたコリア語は、ときに日本語へと変わり、またコリア語に戻り、その言葉の数々は、取るに足らない愚痴などではなく、その言葉を発する主体のアイデンティティを揺るがせる脅威として響いている。
 しばらくその人物の後ろ姿を追っていたカメラは、やがて弧を描いて前に回り込み、キャップを被ったその人物がカメラを見ながら明瞭な日本語を発する。

「岡本信吉です」

 その言葉を発したキャップの人物は、ラッパーであり詩人のFUNIその人なのだが、そこで彼がリリックとして放っていく言葉の数々は、1945年に空襲で焼失した精神科病院・王子脳病院のカルテに記し残されていたふたりの朝鮮人患者の言葉に着想を得たものだ。「岡本信吉」という名前もそのふたりのうちひとりの日本名である。FUNIはそのふたりの人物の残した言葉を、彼の言葉を借りればシャーマンやイタコのように乗り移られることによって、紡ぎ出していったと言う。
 本作の監督でありアーティストの飯山由貴はこれまで精神疾患を持つ当事者との対話に基づいた作品を制作しており、FUNIは朝鮮半島にルーツを持つラッパーだ。永遠に続くような暗いトンネルは、FUNIの育った川崎の港湾労働者がよく利用する海底トンネルでありながら、なんらかの社会的なスティグマを持つ人々が歩む長いトンネルであるかのようにも思われる。加えて、トンネルを歩みながら言葉を放つFUNIをとらえたこの長いカットは、FUNIと飯山が日本における精神疾患や民族の歴史について研究者に取材をするシーンやFUNIと友人との対話のシーンなどが挟まれることで、分節が加えられている。それはあたかも、FUNI自身がトンネルで紡ぎ出そうとする自己を自己たらしめようとするアイデンティティにまつわる「物語」が、精神疾患や民族性といった他のスティグマによって阻害され、ひとつづきの「物語」として一本の線を結ばないことを暗示しているかのようだ。
 途切れない長大なカットはときにエモーションを喚起する機能を持つが、ジャン=リュック・ゴダールは『ウイークエンド』で車の渋滞という停滞する時間を長大なワンカットの移動撮影として撮りながら、その合間合間に黒い画面とテクストを挟むことによって分節を加え、単純なエモーションに至るよりもさらに高次の停滞する時間をめぐる思弁を提示した。
 本作におけるトンネルのFUNIを映した長いカットも、先に示したように他のシーンによる分節がなされているが、むしろそのことにより、ニーナ・シモンの歌を高らかに歌い上げ、「俺だけに任せるな!」、「画面を超えてこい、越えてこい、飛び越えていくぜ俺も!」というダイレクトな言葉によって締めくくられるラストを際立たせる。そのラストシーンは、それが無数の社会的スティグマが交差した場に置かれ、自身がひとつづきの「物語」/アイデンティティを持つことを阻害されてきた者によってそれでもなお宿された行為であるということにより、逆説的になによりも強固な物語としてわたしたちの前に立ちあらわれるだろう。

 筆者は本作を、京都芸術センターで開催中の展覧会『DAZZLER』の関連イベントとして観賞した。アフタートークでFUNIが、ふたりの精神科病院の患者のカルテを読み込み、自身の経験や意識と照らし合わせた末に、自分自身すらも精神科病院の患者になったような気分になり、さまざまな怒りが湧いてきたと言いつつ、その時、自己のなかに立ちあらわれる男性性や暴力的な衝動がコントロール出来なくなるのを恐れていたと幾度も口にしていたことが印象的だった。故に、本作がFUNIの口からニーナ・シモンの歌が歌われることで締め括られることは必然的な帰結にも思え、長いトンネルを歩み歌うというエモーションを呼び込むシーンが、他のシーンによって分節されている本作の構造とも無関係ではないようにも感じた。

 なお、本作『In-Mates』は、国際交流基金主催のオンライン展覧会「距離をめぐる11の物語:日本の現代美術」に出品するため、飯山が2021年に制作したものだが、国際交流基金から上映の許可が降りず、また、今年に入ってからは、東京都人権プラザでの飯山の企画展「あなたの本当の家を探しにいく」(2022年8月30日〜11月30日)の附帯事業として上映とトークが行われる予定だったが、東京都人権部が上映中止とする判断を下した。飯山らは今回の都による検閲事案を受けて、署名活動や都知事・東京都⼈権部への要望書提出、東京都議会での議員向け上演会やトークを行っており、一般向けの上映も各所で継続されている。

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