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December 7, 2022

FIFAワールドカップ2022 日本対クロアチア 1−1(PK1-3)
梅本健司

[ sports ]

 エンバペが活躍できるのは、アンカーのチュアメニと左インサイドハーフのラビオが高低のバランスをうまく取り、彼への道を作っているからだし、なにより今大会はジルーが素晴らしい。36歳とヴェテランになり、もともと高くはなかった敏捷性がさらに落ちたものの、しかしいつどこに立てばいいかをほとんど間違うことがなく、気の利き方が異次元だ。エンバペやデンベレがスピードを上げた状態でボールを受けられるのはジルーのおかげである。ポーランド戦の2点目は、ジルーが右に、決してわざとらしくなく走ることによって、相手のDFの視線を集め、左のエンバペのためのスペースを空けている。爆発力を持った若手に、年齢を重ねた選手が培ってきた経験で応対するところを見るといつも唸らされる。だからブラジルのチアゴ・シルバも大好きだ。どんなスーパースターでも、たったひとりでゲームを変えられる人なんていない。ロナウド、レヴァンドフスキ、ネイマールも例外ではなく、メッシは稀にそれを成し遂げてしまうけれど、いつもではない。伊東純也も三苫薫も同様に、出場させれば、勝手に活躍してくれるなんてことはなく、活躍できる場とそこに行くまでの道筋をつくる必要がある。
 
 日本もクロアチアもこの試合でとくに新しいことは試していない。日本は5-4-1、クロアチアは4-3-3。ビルドアップ時のクロアチアの最終ラインとスペイン、ドイツ、ブラジルの最終ラインを見比べると、適度に絞っている他のチームに対し、クロアチアのバック4は横幅いっぱいに広がっている。日本も4バックの時は、そのようになるが、これはポジショナルプレーの原則が落とし込まれていないチームによく起きる現象である。相手のディフェンスは基本的に中を閉じるから、攻撃側がフリーでボールを受けやすいのは外に張ったウィングなのだが、サイドバックが開いているとウィングへのパスコースが斜めではなく縦になり、ウィングが後ろ向きでボールを受けるしかなくなる。ウィングはできれば半身で前を向かせておきたい。今や古い理論だが、サッカーではピッチを縦5レーンに分割し、一列の前の味方選手と同じレーンに立ってはいけないということが言われていた。つまり基本的にショートパスはボールを持っている選手の斜め前、後で受けなくてはならない。クロアチアは左右に揺さぶって相手を崩すという考え方がなく、無理矢理にでも中につけて攻め急いでくれるため、日本としては守りやすかったはずだ。日本と同じように試合の手綱を握る術をクロアチアは持っていない。クロアチアの同点弾がスペインのあの先制点と似ているという声もあるが、スペインが左右に何度も振り直して日本の陣形を乱れさせたのに対して、ペリシッチのゴールはほとんど点と点で合わせている。つまり、ふつうは決まらないスーパーゴールだった。
 日本のプランはずっと同じ、伊東と三苫の爆発に賭ける。ウィングが強力であるという点で、日本は少しフランスと似ているが、ジルーと特徴の近い大迫をメンバー外にしてから、同じような役割ができる選手を見つけられず、かといってやり方を変えたわけではない。裏に抜けるタイプの前田や浅野を中央に貼り付け、後ろ向きの状態でボールを受けさせ続けた。これでは攻撃があまり機能しない。
 後半の三苫投入が遅れたのは、自分たちから点を取りに行く方法を仕込めていない以上、納得できないものではないが、鎌田と酒井を代えたのはどうか。日本の5-4-1の撤退守備では、想像以上に堂安、鎌田の両シャドーの消耗が激しく、彼らを交代させるのは不思議なことではない。この点で、久保の不在はかなり大きかったと思われる。久保がいたなら、同ポジションの選手同士を代えることができただろう。だから、そもそも選択肢がなかったことを考えればこの交代そのものも必ずしも悪手だったわけではないだろう。問題は堂安を南野と代える87分まで伊東を左のシャドーにしてしまったことだ。伊東も三苫も、サイドの広いスペースにおいてこそスピードを生かしたドリブルができるのだが、シャドーはいわばトップ下に近いポジションであり、中寄りの密集地帯でボールを受けなくてはならない。伊東の守備タスクを軽減させる狙いもあったとはいえ、これによって伊東不在の右の攻撃が死んだ。また、三苫が脅威を与えられるのは、逆サイドに同じように怖い伊東がいるからであり、ひとつのサイドに2人を寄せたことで、相手にとって警戒すべき場所が絞られてしまった。それでも三苫は今回も活躍したが、大体はルーズボール後のこぼれ球のような形でボールを受けることが多く、いい状態でボールを味方から受けることができなかった。前半伊東が相手のサイドバックに仕掛ける場面が多かったのは、冨安の立ち位置、パスの出し方が素晴らしかったからだ。適度に高い位置を取り、中にも外にもパスを出せるように体の角度を調整し、多くの選択肢を相手に考慮させつつ伊東にボールを預けていた。一方で左の谷はパスの出し先を常に見ており、すでに警戒されている三苫をさらに警戒させてしまった。
 伊東の守備を多少免除しつつ右外に張らせること、三苫に前を向いて仕掛けられる状態でボールを預けること、それを実現する方法は少なくないし、難しいことでもない。しかし、森保は選手の特徴を把握せずにポジションを設定してしまい、ピッチで起きている問題を放置し続けた。これはワールドカップが始まってからわかった問題ではなく、この4年間言われ続けてきたことだ。そして、最終的に匙を投げた。スペイン戦は鎌田が提案した戦術が採用されたと言われている。ふつう選手が持ちかけた戦術を監督がそのまま使うことなんてあり得ないし、そもそも選手がそんな提案をする状況が他のチームでは想像できない。それで勝てたとしても、自主性を重視したなどという美談にするべきではなく、監督の責任放棄以外のなんでもない。たった3分にも満たないPK戦よりも、その前の120分、その前の4年間を考えるべきだ。日本の選手のレベルは格段に上った。冨安は世界でも五本指に入るDFだし、三笘を止められる選手は世界に10人もいないし、守田、田中、遠藤もヨーロッパのトップチームのボランチにまったく引けを取らない。しかし、監督だけは4年前のロストフから変わっていない。世界との差を感じたとクロアチア戦後何人かが口にした。だが、忘れてはいけないのはクロアチアも、コスタリカも、日本に勝ったチームは別に良いチームではないということだ。日本が世界との差を感じるべきなのは、たまたま勝てたドイツとスペインにほかならない。