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December 27, 2022

『柳川』チャン・リュル監督インタビュー

[ cinema , interview ]

【main】WechatIMG48.jpeg2014年に製作された『慶州 ヒョンとユニ』(日本公開は2019年)を除き、チャン・リュルのフィルムは国内の映画祭や一部の上映機会を通じた紹介に留まっていた。だが、短編から長編、あるいはドキュメンタリーに至るまで、2000年代初頭からコンスタントに新作を発表している映画作家であり、中国朝鮮族3世というバイカルチュラルな出自のもと、中国や韓国、また最近では日本を舞台に、各々のロケーションをタイトルに付した素晴らしいフィルムを次々と生み出している。言わずもがな『柳川』も、そのひとつに数えられる。
本作はその名の通り福岡・柳川を舞台にしたフィルムではあるものの、「日本のヴェニス」と呼ばれるほどの風光明媚な場所は存在しない。刮目すべきは緩やかに流れゆく時間のなか、幼馴染みのドン、チュン、そしてチュアンによって広がる人間模様、さらには彼らを優しく見守る柳川の人々のまなざしに、儚さの先に訪れる美しささえ見出すこととなるだろう。まるで映画を駆け抜けていくような歌の調べや言葉を通じて生まれる本作の魅力について、監督ご本人にお話を伺った。


ーー2016年に開催された「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」でお会いした際、すでに福岡の柳川で映画を撮りたいとおっしゃっていたことを覚えています。そこから映画化に至るまでの経緯を教えていただければと思います。
 
チャン・リュル(以下、ZL) 十数年前に福岡へ行った時に柳川を訪れ、その時非常に美しくて静かな場所だなと思いました。人に例えるならば「ここはきっと美しい女性の登場する場所だろうな」と。それから柳川という地名が中国人の名前を連想させるということ、さらにはそんな名前を持った女性が柳川を訪れると面白いんじゃないかということで、「柳川」(リウ・チュアン)という名前の女性を連想したことがはじまりです。長い間中国で映画を撮っていませんでしたし、中国人の俳優と一緒に仕事をしたいとは思っていたのですが、なかなか中国で撮影する機会もなかった。そこでこの柳川で映画を撮りたいという気持ちが強くなっていきました。
 
ーー『柳川』には『漫長的告白』という中国語のタイトルが存在します。日本語では「長々しい告白」という意味ですが、本作はさまざまな告白にまつわる映画とも言えるのではないでしょうか。チュアン(ニー・ニー)が突然失踪した理由を明らかにする告白の場面もあれば、ゲストハウスの主人の中山(池松壮亮)によるチュアンへの愛の告白、またドン(チャン・ルーイー)は自身の病状を最後まで兄のチュン(シン・バイチン)やチュアンにも伝えようとしません。つまり、隠されたままの告白がここには描かれています。
 
ZL 実はこの中国語のタイトルですが、私たちとしては全く想定していなかったものです。あくまで『柳川』だと考えていましたし、そこにこだわっていたんですが、配給会社との色々な相談の中で決まったタイトルなのです。決定権は彼らにあるので少し不本意ではあったんですけれども......。中国ではこのタイトルに変わったということですね。そういった経緯もあったので、日本で『柳川』というタイトルで上映してもらえることは非常にありがたく思っています。

ーータイトルに関連すると、これまで『慶州 ヒョンとユニ』(2014)[以下、『慶州』]、『群山』(2018)、『福岡』(2019)といったように、都市名の付いた「都市連作」とも呼べる作品を撮っていらっしゃいます。今回の『柳川』もそうですが、映画をつくるプロセスとしては街や空間を前提とした上で物語を生み出していくのか、それともあらかじめ語るべき物語があり、そこから連想された都市を作品の中へと位置付けていくのでしょうか。
 
ZL 監督によって発想はそれぞれ違うと思います。まず物語があって、それに似合う都市を探す人もいるかもしれませんし、ある意味ひとつのイメージとしての画や写真があって、そこから物語を生み出そうとする人もいるでしょう。私は都市空間そのものによって物語が生まれてくるタイプの人間です。空間を前提として見なければ、そもそも物語さえも生まれてこないのです。

ーー他方で過去の作品には、キムチの露天商をしながら幼い息子と暮らす韓国系中国人の女性の孤独を捉えた『キムチを売る女』(2005)、1977年に実際に起きた韓国のイリ(現在はイクサン)駅での列車爆発事故で心身に傷を負った者が登場する『イリ』(2008)、北朝鮮からの脱北者と彼らをかくまう中国側の村人たちを描いた『豆満江』(2011)などもあります。これらの作品では、比較的社会の底辺にいる庶民が悲惨な経験や暴力にさらされながらも生きていく姿を捉えていましたが、とくに『慶州』以降、旅や男女のラブストーリー、または男性の青春物語と、描かれる主題が変わったように感じます。ご自身の中で何か創作姿勢に変化があったのでしょうか。
 
ZL 「生活の変化」ということになるでしょうか。2010~2011年頃から韓国で生活をするようになり、韓国の延世大学で映画を教えているのですが、そこで接して目にしているものが最近の作品に出てくる人たちになってきています。『キムチを売る女』や『豆満江』のような中国の場所にいる人たちにまつわるストーリーを撮ることもできるのですが、当時はあのような作品を撮る状況にあったということです。そういった環境の変化が作風の変化に繋がっているのだと思います。


【sub4】WechatIMG21.jpegーー『柳川』は病に冒され余命のないドンが、好きだった女性に会うため兄チュンと共に旅に出るというストーリーです。感傷的でもあり、死というシリアスなテーマを貫いていますが、一方でオノ・ヨーコのそっくりさんが急に登場するなど、虚を突かれるようなユーモアさが笑いを誘います。こうした作風は過去の監督作においても一貫していて、『春の夢』(2016)ではイェリ(ハン・イェリ)が家庭に深刻な問題を抱えているなか、チンピラのイクチュン(ヤン・イクチュン)ら三人の間の抜けた姿が実に素晴らしいユーモアを醸し出していました。シリアスな中にふと笑いの瞬間をつくることにおいて、ご自身ではどのように考えていらっしゃいますか。
 
ZL 実生活において、人間の気持ちは単一なものではありません。怒りや喜び、悲しみ、そういったものが折り重なっているものです。人によって悲しみが多いのか、あるいは喜びが多いのかということはあると思いますが、悲しみですべてが埋め尽くされるような表現はしたくないんです。それではあまりに辛すぎる。やっぱり悲しい中にも楽しくて、嬉しいものや面白いものが混ざっていてほしい。『春の夢』であの三人がいなかったらイェリの生活はかなりきついものになってしまいますよね。おそらく現実を受け入れられなくなってしまうと思うんです。でも、悲しい中に彼らのような存在がいるからこそ、彼女は生きていけるのではないかと思います。

ーー『柳川』では古民家にあるチュアンの部屋に入ろうとするチュンの背中を引き画で捉えるショットや、ドンが柳川を去る日にチュアンの部屋をノックしようとして一度留まるなど、扉を前にした人物たちの場面が印象的です。それは『慶州』においても、寝室のドアを少しだけ開けて眠りに就くユニ(シン・ミナ)とドアを前にしたヒョン(パク・ヘイル)の場面を彷彿とさせます。映画において扉やドアを映す、あるいは見せることとは、どのようなものだとお考えでしょうか。
 
ZL 中国には古くから「扉は開けてお客さんを迎える」、あるいは「扉を閉じてお客さんを中に入れない」という言葉があります。つまり扉はその人を迎え入れるのか、あるいは拒否するのかを決めるものなのです。とくに男女の恋愛においては、ひとつの扉があってそれを開くのか閉じるのか、あるいはどれだけ開くのか、ノックをするのかしないのかということが多々起こります。同時にそのことは、ふたりの間の距離がどれくらいなのかによって決まってくることだと思います。

ーー『柳川』には劇伴が存在せず、登場人物たちが歌う劇中の歌がオフの音になり、やがて次の場面へと繋げられていくことがよく起こります。ここで歌われる楽曲は美空ひばりの「悲しき口笛」、テレサ・テンの「The Moon Represents My Heart」、ジョン・レノンの「Oh My Love」など時代も国もさまざまですが、歌の使い方や選曲に関してはどのように決められていったのでしょうか。
 
ZL 私の作品では『慶州』を除き、背景となる音楽は入れていません。現実の音、あるいは歌そのものを登場人物に歌わせることが好きで、色々な映画を見ている時にふと音楽が流れ始めると、どうしても気が散ってしまい、目の前の映画から気持ちが離れてしまう。これは私個人の問題でもありますが、そういった理由で映画の中ではあまり劇伴を使いたくないんです。単に音楽的な素養に欠けているだけなのかもしれないのですが、私にとって人間と歌というものはより近いものだと感じています。ジョン・レノンの「Oh My Love」にしてもそうですが、この曲は劇中に登場する彼らがたどった青春の記憶と結びついています。つまり彼らが生きたその時代と繋がっているんですね。中野良子さんが演じる居酒屋の女将が歌う「悲しき口笛」もそうですが、この曲も彼女の時代そのものを表している。その歌と事物とが繋がっている以上、彼らや彼女たちと密接な曲を選んで入れるようにしています。また劇中で韓国人旅行客が歌う場面がありますが、観光客が酒を飲みながらこの歌を歌っている光景を何度か見聞きしたことがあったんです。つまりここでの歌とは、実生活から反映された歌であり、人物の気持ちと一致している歌。そういったものを選んでいます。
 
ーーその居酒屋の女将さんが「悲しき口笛」を歌う場面ですが、彼女の口元は全く動いておらず、別に録音した歌声がどこからともなく聴こえてくることが分かります。それは歌でシーンを繋いでいくことだけでなく、この場面のように歌声の所在をはっきりさせない演出なのではないかと思いました。

ZL 女将さんは実際に歌っていなかったのですが、その場にいたドンにとってはその歌が聞こえてきた。これは言わば、彼にとっての精神世界なわけです。ドンが「歌がうまいですね」って言うと、彼女からは「歌なんて歌ってました?」と言われますが、そこで初めて彼は口笛を鳴らし、女将さんもそれに合わせて同じ歌を歌い出します。これは彼女の気持ちをあらかじめ彼が聞き取ったかのような奇妙な連帯が、時として起こってしまうものであることを表しています。

ーー居酒屋の店名は「堀留」ですが、この店名がどういう意味なのかチュアンが中山に訊ねたとき、彼は「Curve Your Body」(=運河の終わり)と説明しながら自身の身体を折り曲げてみせます。ここで中山が取った姿勢というのは、その後ドンやチュンがベンチで眠るシーンにおいても見られますが、本作を象徴するポーズのようにも感じます。
 
ZL ある生活の中でどこか孤独や痛みを持った人、病を持った人というのは、あのような姿勢を取ることがあると思います。自信がある人、孤独を感じない人というのはうずくまったりしないですよね。ただ、生まれる前に母親の胎内にいる時は、あのようにうずくまっているはずなんです。その後お腹から出てきて成長し、強くなったと自信を持つ人々というのはああいう姿勢は取りません。うずくまるというのは、孤独な状態を表しているものだと思っています。

ーー長編デビュー作である『唐詩』(2003)、『春の夢』に続き、本作では登場人物による踊りの場面が存在します。踊ることに関してもご自身の映画の中で重要な要素だと思うのですが、どのような行為として位置付けられていらっしゃるのでしょうか。
 
ZL 人の気持ちを表す行為として、歌や言葉、踊りというものがあると思うのですが、それが互いの交流になっていくわけですよね。ただその中で、言語は簡単に他者へ嘘を付くことが可能です。ところが踊りは身体表現として嘘の付きようがありません。映画の中で踊りを使うことは好きで、「言葉では伝えられないことをどうやって伝えようか」「身体でどうやって表現しようか」ということになると、やはり踊りが一番良いんじゃないかなと思い、よくそういった演出を行います。
 
ーーちなみにこれらの踊りは監督から俳優に対して指示があるのでしょうか。それとも即興なのでしょうか。
 
ZL どういったジャンルの踊りなのかということに関しては、こちら側から要求をしています。チュアンを演じた主演女優のニー・ニーさんに関しては、出演が決まった段階で私も色々と調べたところ、彼女は子どもの頃に劇中で見せたようなダンスを習っていて、出身地である江蘇省の大会では優勝した経験もある方なんですね。俳優というのは身体表現を得意とするので、子どもの頃に培ったものは今でも必ず覚えています。そのことが過去の記憶とも繋がってくるので、彼女にはそういう踊りを踊らせたいということでお願いしました。 


【sub3】IMG_9043.JPGーーニー・ニーさんのお話が出ましたが、ご自身の映画に出演される主演女優の方々は、共通してどこか独特な透明感を放たれているように感じます。キャスティングの際の基準や決め手などはあるのでしょうか。
 
ZL 決まった基準はとくにありませんが、私の映画は空間から立ち現れてくるものなので人と空間とが持つ質感が一致しているかどうかが非常に重要になってきます。目の前の人物がここにいることで果たして合うのか合わないのか。人によってはそこに存在することにどうしても違和感を覚えてしまう人もいます。ですから、場所と人の持つ感覚が一致しているかということが最終的な判断材料になります。

ーー母国語が異なる登場人物たちの会話を演出する際、さまざまな工夫が必要になるかと思います。ただ、日本と中国、あるいは日本と韓国など、二つの国を舞台にした映画を撮られている監督は、そうした問題をシームレスに展開されていらっしゃるように感じます。例えば『柳川』では居酒屋の女将さんがチュアンに対して「あなたが何を話しているか分からないけれど、何か伝わってくる」と話しかける場面がありますが、言葉が通じていないにもかかわらず、そこに何ら不自然さを感じることがありません。それは『福岡』においても感じたのですが、言葉が通じ合わない者同士のコミュニケーションを描くことに関してはどのようにお考えでしょうか。
 
ZL 今の世界というのは多言語に溢れた環境にありますよね。どこにいても韓国語や中国語が聞こえてきて、柳川のような小さな場所でさえ、そこにいれば色々な外国語が聴こえてくる。そういった場所でどのように人と人とが交流していくのかを考えます。例えばドンのように流暢ではないけれど多少日本語が話せたり、チュアンのように子どもの頃北京語が話せなくて周囲との間に距離を感じたりと、言語というものは相手や自分を喜ばせることもあれば、苦しませることもあります。言語が共通であれば意思の疎通を図る上で大変便利なのですが、時として同一の言語を持っていることが互いの障害の原因になったりもするわけです。言葉そのものは通じるものの、そこから問題が生じたり、交流の妨げになってしまうということがある。逆に言えば、全く言語が通じ合わない時であっても、すごく気持ちが通じることもあると思います。これは現実の中で私も経験しました。ある二人が酒を飲んでいるのですが、互いの言葉は全然分からない。ただそれでも非常に楽しく酒が飲めている。全く気持ちに負担がかからず、ちゃんと相手に気持ちも伝わっている。そういうこともあり得るわけです。だからあの居酒屋の場面は、私がその場で書いた脚本を元にしています。ドンとチュンの兄弟が中国に帰り、元々いた何人かの男女が会話を繰り広げていて、最終的に女性二人が残ったという場面です。彼女たちの存在と二人の会話がこんなにも美しいものかと考えた結果、あの場面が生まれました。
 
ーーご自身の映画には、そういった多言語や先ほどの扉、または私たちが生きる現世と死の世界を強調させる「境界」という概念が存在します。さらに言えば、ご自身が韓国系中国人というバイカルチュラルなアイデンティティを持つ文化や民族の境界を理解されている方でもあり、『境界』(邦題:『風と砂の女』)というタイトルの作品も撮られています。境界という概念は作家性のひとつとして意識されていらっしゃるのでしょうか。
 
ZL 境界は見えるものと見えないものを含めて、実際の世の中にはたくさんあります。私たちの生きる社会において他者への想像力がより大きくなっていけば、こうした境界は消えていくものだと思っています。しかし傲慢さや暴力が増幅してくると、境界線がはっきりしてくることになります。生活の中でより多くのものを受け入れられるようになっていけば、境界は減っていくと思うのですが、私を含めた芸術家はこうしたものに敏感なので、正面からぶつかっていくことのほうが多いのかもしれません。少なくなっていけば良いと思いながら創作活動をしていますが、そうなかなかうまくもいかないですね。

取材・構成:荒井南、隈元博樹
2022年11月9日、オンライン


Director Photo.jpegチャン・リュル(張律) Zhang Lu
中国・延辺朝鮮族自治州生まれの中国朝鮮族3世。初長編『唐詩』(2003)以降、『キムチを売る女』(2005)、『風と砂の女』(2007)、『豆満江』(2010)、『慶州 ヒョンとユニ』(2014)、『春の夢』(2016)、『群山』(映画祭題「群山:鵞鳥を咏う」/2018)『福岡』(2019)などを発表し、ベルリン、ヴェネツィア、ロカルノなどの国際映画祭に招待されている。
<フィルモグラフィ>
2001『11歳』[短編]
2003『唐詩』
2005『キムチを売る女』
2007『風と砂の女』
2008『重慶』、『イリ』
2011『豆満江』
2013『風景』(ドキュメンタリー)
2014『慶州』
2015『同行』[短編]、『フィルム時代愛』
2016『春の夢』
2018『群山』
2019『福岡』
2021『柳川』
【sub10】_DSC9499.jpg柳川
2021年/中国/112分
監督・脚本:チャン・リュル
出演:ニー・ニー(倪妮)、チャン・ルーイー(張魯一)、シン・バイチン(辛柏青)、池松壮亮、中野良子、新音 ほか
配給:Foggy/イハフィルムズ


<あらすじ>
中年になり自分が不治の病であることを知ったドンは、長年疎遠になっていた兄・チュンを柳川(福岡県)への旅に誘う。柳川は北京語で「リウチュアン」と読み、2人が青春時代に愛した女性「柳川(リウ・チュアン)」と同じだった。20年ほど前、チュンの恋人だったチュアンは、ある日突然、姿を消してしまったが、今は柳川で暮らしているという。誰にも理由を告げずに消えた彼女の存在は、兄弟の中で解けない謎になっていた。2人は、柳川でついにチュアンと再会する。

公式Twitter:https://twitter.com/yanagawa_movie
公式Instagram:https://www.instagram.com/foggyjapan/
*2022年12月30日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
*12月16日(金)よりKBCシネマにて福岡先行公開
*<福岡三部作>『群山』(2018)『福岡』(2019)同時期公開予定
『福岡』公式HP:https://www.instagram.com/foggyjapan/
『群山』公式HP:https://movie.foggycinema.com/gunsan/