« previous | メイン | next »

December 24, 2022

『メルヴィンとハワード』ジョナサン・デミ
結城秀勇

[ cinema ]

 メルヴィン「と」ハワード。そんなふうに結びつけられるふたつの名は、片方は世界に名を轟かす大富豪を、もう片方はそんな大物の名とつがいにされることがなければ誰の気も引くことのないような凡庸な人間を指している。でもこの映画のこのタイトルは、そんな極端な対照性によって成り立つというよりも、ふたりの名を結びつける「と」の力が極めて弱いことによって成り立っているのだと思う。実際、このタイトル通りのふたつの名を持つ人間たちが同じ空間を共有するのは映画全体の中でほんのわずかな時間でしかなく、「と」という接続詞のかすかな吸引力が失われたが最後、ふたりはもう出会うことはない。
 その後映画は、メルヴィン「と」彼の妻リンダというカップルの出来事にシフトするのだが、そこでもやはり「と」の吸着力は極めて弱い。メルヴィンがトレーラーハウスへ帰宅した後すぐ、リンダは娘を連れて出ていく。だがこの場面で興味深いのは、リンダがそもそもメルヴィンへの愛情などすでに失っている冷え切った関係だったからカップルが壊れるというよりも、早朝帰宅したメルヴィンの愛撫に応えてルーティンかもしれないがそれなりの睦事が行われた直後に、彼女が出て行くことである。もし外部からなんの力もかからなければメルヴィンとリンダはおそらくそのまま結びついていられるのだろう。しかしリンダは物音に気づいて目を覚まし、庭からなにか(オートバイ?)が差し押さえで持ち去られていくのを目にして、突然慌てて出ていくための荷造りをはじめる。そんなふうにリンダとメルヴィンの生活はつねに外部からの引力にさらされていて、それはたいていの場合、メルヴィン「と」リンダの間の引力よりも強い。
 それでもなお、メルヴィンとリンダは繰り返し再会と別れを繰り返す。まるで3〜4本のメロドラマを圧縮して結合させたような、たった95分の映画とは思えないほどの濃度で、メルヴィンとリンダは追い求め、衝突し、結びつき、引き離され、そしてそれぞれの人生を歩み続ける。その都度都度の展開のきっかけとなるのは、冒頭の(本物だか偽物だかもよくわからない)億万長者との偶然の出会いだったり、突然の電話での求婚だったり、視聴者参加型番組で豪華な懸賞を当てることだったり、死んだ叔母からユタのガソリンスタンドの経営権をもらった女性と結婚することだったり、億万長者の遺書が謎めいたかたちで届けられることだったりする。そんなありえないはずの量のありえないはずの出来事を繰り返しながら、最後まで彼らはありえないほど普通の人間であり続ける。
 あの視聴者隠し芸大会のような番組に出演するとき、結果として彼らカップルの勝負の切り札となるのは、メルヴィンの謎の「あの番組の当たりを絶対当てる」能力ではなくて、リンダの別にうまくはないけど彼女がかつて憧れたなにかの残骸ではあるのだろう凡庸なタップダンスである。「(I Can't Get No) Satisfaction」と1mmも噛み合っていない客席ドン引きのテンションではじまるそのダンスは、しかしカメラがひとたびステージ後方に回り込んで客席をバックにリンダがタタタ、タタタ、タタタタというリズムで靴を打ち鳴らしながら舞台を滑るように横切るとき、なにを見せられているんだいったいという戸惑いを木っ端微塵に打ち砕くような感動を生み出しもする。依然「(I Can't Get No) Satisfaction」とダンスは噛み合ってなどいないし、メルヴィンとリンダの意見は絶対に食い違う。でもあの瞬間、まるで宇宙空間のように孤独なステージの上で、リンダはかすかな「と」の力に支えられて軽やかに舞い踊るのであって、それは彼らのような普通の人間がささやかな幸運を手にするのに値する出来事なのだと思う。
 すでに繰り返し書いたように、とても弱い「と」の力は、メルヴィンとハワードを結びつけ続けることはできないし、メルヴィンとリンダを結びつけ続けることもできない。それでもメルヴィンの裁判の後で、彼に子供を預けた別れ際にリンダとメルヴィンが抱き合いキスを交わすとき、こんなことを思う。彼らを結びつけた「と」の力は、この世に存在するあらゆる力の中でもっとも弱いが、斥力を持たないがゆえに打ち消しあうことがなく、遠く離れた空間ではまるで世界に存在する唯一の力のように振る舞う重力のようなものではないのかと。たった一晩のわずか数時間の出来事でしかない冒頭の出会いを、この映画の最後に思い出すのもそうした理由なのだろう。ネバダの砂漠の片隅にできた水溜まりとグレートソルトレイクは、規模は違えどどこか似ている。雨上がりの砂漠にアカザとセージの匂いが香る。押しつけがましいスーパーデューパーなサンタのソリの歌が、老人の「バイバイ、ブラックバード」の呼び水となる。そうした些細な組み合わせは、どれほど遠くの距離まで離れ、どれだけ多くの時間が流れたとしても、決して消えない。

下高井戸シネマ「70-80年代"ほぼ"アメリカ映画傑作選」にて上映。12/27 17:50〜上映あり

  • 『ニール・ヤング/ジャーニーズ』ジョナサン・デミ@LAST BAUS 田中竜輔

  • 『レイチェルの結婚』ジョナサン・デミ 茂木恵介