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March 23, 2023

《第18回大阪アジアン映画祭》『朝がくるとむなしくなる』石橋夕帆
養父緒里咲

[ cinema ]

ID08_When Morning Comes_main.jpeg 飯塚希(唐田えりか)に朝が来る。少し白味がかっていて冬の冷えた空気を湛えつつも、優しい手触りの画面が広がる。これが本当にむなしくなる朝なのだろうか、と思うくらいだ。しかし、彼女はすぐさま家のカーテンを開けることができない。つっかえたカーテンを引っ張ると、レールの金具が壊れ、カーテンは半開きのまま放置される。自ら朝を迎えるための最も典型的な身振りすらままならないのだ。バイト先のコンビニでは、のっけから客のおじさんに「ショッポ」を注文されるも、それが何か分からず怒られる。食事も、実家から送られてきた野菜が沢山あるのに、コンビニ弁当かカップ麺に手を伸ばしてしまう。バイト仲間のギャル(安倍乙)から付けられた「のぞのぞ」なるあだ名は、のそのそと動いている身振りに由来している。やはりその朝は、むなしくなる朝なのだ。
 そんな中、希はバイト先で、中学以来会っていなかった友人の加奈子(芋生悠)と偶然出会う。帰り道、希の自転車を間に挟み並んで歩く二人が、正面からウエストショットくらいのフレームで捉えられており、自転車のハンドルを持つ希の腕が、加奈子の体の前に少し重なるようにして映っている。その距離感は、久々の再会であったにもかかわらず、すごく親密な間柄のものに見えるなと思ったとき、それに呼応してくるように加奈子が「ソワソワする」と言う。希のぎこちない生活の中に突如現れたこのショットは、この映画の中でも特に際立っている。唐田えりかと芋生悠という、ナチュラルな佇まいによって固有の存在感を放つ俳優たちの映画的な出会いを果たした後のやり取りは、どれも微笑ましく、幻のようでもある。二人が二度目にばったり会ったとき、加奈子は「幻かと思った」と言い、「ソワソワする」というセリフと相俟って、二人が生み出すその空間は、物語の内部に留まることのない「出会うこと」の喜びを体現しているように思える。ともすれば、ありきたりなシーンになってしまいそうなところも、二人の繊細なバランス感覚と、存在感の強度こそがその瞬間を支えているとも言えるだろう。
 この映画では、露骨な苦しみが映されるわけではない。しかし、自己否定を強いられる労働環境によって、消耗してしまい、人生が滞ってしまった人が、麻痺した感覚や生活を取り戻す上での障害がさりげなく映されているように思う。というのも、希は加奈子と共に朝を迎え、作中で初めて手料理を食べ、希は朝のむなしさを超えることができたのか、と喜んだのも束の間、彼女は家に帰り、自分で料理を作ろうとするものの、材料を揃えることもできないままだ。やっぱり希は、レトルトカレーにしかありつけない。奇跡的な出会いがもたらしてくれたこの朝でさえも、全てを変えることはできないのである。
 ただ、加奈子と出会ってからというもの、希から発せられる節々の会話や行為には、何かしらの意志を感じられるようになる。バイト仲間(石橋和磨)に嫌味なことを言う奴には、おでんをぶち撒けたりもできるようになった。また自宅のカーテンレールもいつのまにか直っていて、彼女は気持ちよく朝のカーテンを開けることができるようにもなった。そしてカメラは、橋の向こう側へ歩いて行くその背中をラストシーンの中で捉える。まるで、新たな朝へと向けたその背中を見守る意志を示すかのように。言ってみれば、加奈子/芋生悠と希/唐田えりかをめぐるひとつの邂逅が、むなしさで朝が覆われる希の日々に対し、いつもとは異なる朝へと突き動かすための化学反応としてこの映画を浮かび上がらせているのである。

「大阪アジアン映画祭2023」インディ・フォーラム部門にて上映