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June 3, 2023

『ヒトラーは死なない』ドン・シーゲル
千浦僚

[ cinema ]

 『ヒトラーは死なない』Hitler Lives は1945年12月29日から米国で公開された17分の短編ドキュメンタリー映画。
 その主題・主張は第二次世界大戦終戦後もドイツにナチズムやファシズム、19世紀から続く覇権主義が潜行してはいないか、それらを警戒すべし、というもの。既存の記録映像を編集することだけでつくられている。監督はドン・シーゲル。46年のアカデミー優秀ドキュメンタリー短編賞を受賞している。
 本作は構成として、ドイツの覇権主義を一冊の書に喩え、それが第一章「1870年代末の宰相オットー・フォン・ビスマルクによる鉄血政策」、第二章「ウィルヘルム二世(ドイツ皇帝在位1888~1918)による帝国主義推進」、第三章「1930年代から1945年の総統アドルフ・ヒトラーの時代」から成り、現在が第四章「????時代」だと語る。脚本はシーゲルのフィクション短編『ベツレヘムの星』(45年10月公開)のシナリオも手掛けたソール・エルキンスによる。
 ヒトラーとゲッベルスが退場した、ドイツの街角から掲揚されていた鉤十字が消えた、強制収容所の収容者もいなくなった、というのを同ポジションの背景を残しつつ被写体だけがスーッと消えていく編集で表現していたりして、非常に芸が細かい。シーゲルがその仕事にあたって膨大な量の映像を見、その意味と、提示することの効果を知悉していたことがわかる。ワーナーのモンタージュ部門での仕事をシーゲル自身は「シナリオの一行からモンタージュ用に5ページのシナリオを自ら書いて作業した」「それぞれの監督の作風に合うようなモンタージュをした」などと述懐しているが、その技量を長編映画の一部にとどめず、独立した短編として結実させたのがこの『ヒトラーは死なない』だ。もうここまでくれば、彼は映画の作り手として、あとは長編劇映画の監督をするしかない段階に来ていたのではないか。
 作中で言及される「マルメディの虐殺」とは、1944年12月ベルギーの都市マルメディにおいて、ドイツ軍が投降していた多数の米兵を殺した事件で、1945年当時は生存者の証言から事件が明らかになっていき、報道や調査がなされ、大きな注目を浴びていた。戦争犯罪として裁判がおこなわれたのは46年。1965年の戦争映画『バルジ大作戦』(監督ケン・アナキン、脚本フィリップ・ヨーダンほか)でも描かれている。
 『ヒトラーは死なない』の終盤部分はマイケル・カーティス監督作『モスクワへの密使』(43年)とかなりカブる。『モスクワ~』と同じフッテージや編集が使われ、ソ連が米国の友邦であるという姿勢が強調されている。円卓につくスターリンとトルーマンが映るカットはポツダム会議(1945年7月)の記録映像、45年10月の国際連合発足も踏まえられていて、本作は当時の世界情勢の最先端を捉えていたものだとわかる。
 しかしその後の世界史はどうなったか。47年3月にアメリカ合衆国大統領ハリー・トルーマンは特別教書演説にてのちに「トルーマン・ドクトリン」と呼ばれることになる共産主義封じ込め政策を宣し、ギリシャとトルコに軍事援助をおこなう。6月にはヨーロッパでの共産党拡大を阻む狙いの経済復興援助計画、マーシャル=プランが発表される。それに抗してソ連と東欧諸国は9月にはコミンフォルム(各国共産党の情報交換機関)を結成し、冷戦構造が確立されていく。48年にはチェコスロヴァキアでクーデターが起こり共産党が実権を握る。米国では50年ごろから共和党上院議員ジョセフ・マッカーシーが喧伝した反共政治運動「マッカーシズム」「赤狩り」が猖獗を極め......ドン・シーゲルは1952年にスターリニズム下の地獄のような密告社会プラハで展開するラブコメ『贅沢は素敵だ』No Time For Flowersを撮る。
 『贅沢は素敵だ』には、いろいろお話のうえでの仕掛けがあるのだが、ヒロイン(シーゲルの妻、ヴィヴェカ・リンドフォースが演じる)が体制への忠誠心を証明するため恋した男を密告するかどうか、しなけりゃシベリア送り、という展開を追っていくブラックな映画で、ここでは数年前までは「味方側の大物」的な扱いだったスターリンが、きっちりとヒトラーに準ずるくらいの悪になっているのであった......。
 シーゲルは時節にあわせて左にも右にも寄った、どちらにも通用するものを語った、とも思えるが、1945年の歴史観と政治意識を強く発する『ヒトラーは死なない』のなかで、後年のシーゲル映画にも共通する主題・志向として本稿の筆者が認識したのはこどもたちの姿であった。
 ヒトラーユーゲントの子どもたちの映像にその体制をつくった大人たちへの強い非難がかぶさる。ナチスに迫害されたユダヤ人や被占領国の被害は、親、兄弟の死を目の当たりにした子どもたちの心の傷として語られる。いまのアメリカ国内の子どもたちに優勢主義思想や人種差別を植えつけることなかれ、子らに膝を伸ばした行進などをさせるな、自由に遊ばせておけ、というところで、何の変哲もない公園の遊具で楽しく遊びまわるアメリカの子どもたちの映像が入る。それは『殺人者たち』(64年)の冒頭で撃ちあいごっこをしている子どもらの姿にそっくりだ。
 そして思い出す。
 『仮面の報酬』(49年)のラストのメキシコの子どもたち。
 『贅沢は素敵だ』のスターリン体制に順応しつつあるヒロインの弟と、アメリカ支配地区に達してから彼の尻を叩く父親。
 『殺し屋ネルソン』(57年)でネルソンが遭遇する幼い姉弟と、それが終幕の重要な要素となること。
 『殺人捜査線』(58年)で子どもへの土産の日本人形に麻薬が隠されていて強奪されるくだり。
 『白い肌の異常な夜』(71年)でイーストウッドを殺すのは少女であった。
 『ダーティハリー』(71年)の凶悪犯がジャックするスクールバス。
 『突破口!』(73年)のいくつもの場面で登場し、暴力にさらされ、その目撃者となる幾人もの子どもたち。
 主人公の息子が誘拐されることが発端の『ドラブル』(74)。
 『テレフォン』(77年)で主人公チャールズ・ブロンソン(やがてソ連軍人版007のような活躍をする)はまず少年ホッケーチームのコーチとして登場する......。
 ドン・シーゲルはしばしばその作品世界に、成熟した登場人物と同時に子どもを存在させた。子どもらを排除しない、忘れない映画作家であった。フィルムのなかにこどもたちがいるということは、その主観から見た世界がサブリミナルに暗示されることでもある。こどもらが見る世界はどれほど暴力的で、鮮やかで、得体のしれない大きなものであろうか。また、その感覚を持つ映画は、そうではないものよりも強く深いものとなるだろう。その萌芽を『ヒトラーは死なない』の映像に見た。

シネマヴェーラ渋谷「初期ドン・シーゲルと修行時代」にて上映

  • 『ベツレヘムの星』ドン・シーゲル 千浦僚
  • 『モスクワへの密使』マイケル・カーティス 千浦僚
  • 『暴力の街』ジョセフ・ロージー 千浦僚
  • 『殺し屋』マリカ・ベイク、アレクサンドル・ゴルドン、アンドレイ・タルコフスキー 千浦僚