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February 26, 2024

『ジェーン・バーキンのサーカス・ストーリー』ジャック・リヴェット
結城秀勇

[ cinema ]

 この作品の舞台であり、原題の一部ともなっているピク・サン・ルーという山には伝説があるのだという。三兄弟がひとりの女を愛し、しかし彼女が愛しているのが三人のうち誰なのかを聞くことがないまま、兄弟たちは十字軍に従軍することになる。やがて戦場から戻った彼らを待っていたのは、最愛の女性の死の知らせだった。三兄弟は隠者となり、それぞれモン・サン・ギラル、モン・サン・クレール、ピク・サン・ルーと後に呼ばれることになる三つの山に別れて住むことになった。三兄弟で一番長生きしたルーは、兄弟の死後も彼らが愛した女性を弔い続けたのだという。
 この映画の原題は直訳すれば「ピク・サン・ルー三十六景」とでも言うべきなのだろうか、しかし明らかにネーミング元になったであろう葛飾北斎の「富嶽三十六景」と決定的に違うのは、どっからでも見えるから三十六箇所から描いてやれという富士山ほどには、ピク・サン・ルーは大きな山ではないということだ(だからインターナショナルタイトル「小さな山のまわりで」に「小さな」という形容詞がわざわざついているのだろう)。
 でもこの「小さな」こと、その「小さな」ものにも36の眺めを与えるということが、この映画のありようを語っている。サーカスの前座の寸劇で爆笑していた(しかもまだ笑うとこまでいってないのに)ヴィットリオ(セルジオ・カステリット)に興味を持ったアレクサンドル(アンドレ・マルコン)は、彼にこう問う。「なんで笑ったんだ?おれたちが長年続けてきたのは、ほとんどなにもないと言っていいくらいの、ほんとうにちっぽけなことなんだ。なにがそんなに可笑しかったんだ?」。困ったようにヴィットリオは答える。「うーん、全部かな?」。
 しかし「全部」なんて観客は目にすることがないのだ。ヴィットリオの爆笑で中断された寸劇も、その後、断片的に映し出される様子でやっとああこういう笑いだったのね、とわかるくらいだし、器械体操的なやつやファイヤージャグリングやワイヤーアクション的なやつといった演目があることはわかるのだが、なにがこの劇団の目玉演目なのかもわからなければ、そもそもいま見ている舞台=リングの様子が、本番なのかリハーサルなのかすらよくわからないのだ。それはヴィットリオの爆笑以外に、サーカスの観客のリアクションが驚くほど描かれないからでもある。
 しかしたった一度、ケイト(ジェーン・バーキン)がこの「世界一危険な場所」であると同時に「そこではなんでもできる」リングに上がった瞬間だけは、まぎれもない本番の公演であったことがわかる。観客が拍手を送るからだ。だがそれすらも、目を見張るスペクタクル、これぞ生の舞台といった観客も一体となった熱狂、などと呼べるようなものではない。もっと密やかな、どこか儀式的でもある、だが誠実であることは疑いようのない拍手。たぶんこの映画にとってはそれがいいのだ。かつて愛した死んだ男の身代わりとなることで、その男の亡霊と決別する女。それはもしかすると、先立った兄弟の代わりに弔いを続けた聖ルーの逸話と通じるのかもしれない。きっとその頃にはルーにとって、愛した女が三兄弟の誰を愛していたのかなんて、もうどうでもよくなっていただろう。
 この作品を初見で見たとき、「世界一危険な場所」だが「そこではなんでもできる」リングが出てくるだけで感動したのだが、でも正直腑に落ちない部分もあった。それはなぜ、この物語の大部分がケイトの父親がつくったサーカス団の物語として描かれるのか、という点だったのかもしれない。ケイトがサーカスを捨ててからの15年、まさに彼女が新たな自己として形成したはずの染色職人としての部分をそれほど描かないのはなんなんだろう、と。彼女が南仏で見つけた素敵な色は、パリでは違う色になってしまっていて、ほとんどジョークでしかないような嘘で、また彼女はサーカスに連れ戻される。
 しかし2/23に行われた映画のアトリエ「ジェーン・バーキン、笑いと涙の間で」で坂本安美が、「まるでジャック・リヴェットは、もう他の誰かの欲望から自由になっていいんだよ、とジェーンに言うように」この映画をつくったと語るのを聞いて、憑き物が落ちたように納得がいった。男の側からも女の側からも欲望に晒されるジェーン・バーキン。ふたつの勢力の欲望の狭間で、ときにはファム・ファタルのように、ときには調停者のように振る舞うジェーン・バーキン。一見、他人の欲望を思うがままにできそうな立場にいながら、それとは別の自分の中にある獣のような欲望と向き合わねばならなくなるジェーン・バーキン。そんなかつての彼女の姿を思い出すなら、この映画のケイトにとって、(愛した男や父、家族の)サーカス団と(自分の道としての)染色という二項対立がほとんど意味をなさないことこそが重要なのかもしれない。熱狂的というよりも厳かな拍手に包まれて、「手術でも受けたかのように」過去から自由になることが。そしてケイトだけではなく、ヴィットリオも、バラバラになっていくサーカスの団員たちも全員が、ピク・サン・ルーのように小さくささやかなたったひとつの欲望に等しく貫かれて終わるようなラストが。Keep moving。


東京日仏学院「ジェーン・バーキン追悼上映特集」にて上映

  • 《第3回 映画批評月間:フランス映画の現在をめぐって》『ジャック・リヴェット、夜警』クレール・ドゥニ | 池田百花
  • 『斧に触るな』(『ランジェ公爵夫人』)ジャック・リヴェット | 梅本洋一
  • 『マリーとジュリアンの物語』(『Mの物語』)ジャック・リヴェット | 結城秀勇