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March 1, 2024

『すべての夜を思いだす』清原惟監督インタビュー「夜道をひとりで(どこかの誰かと)歩く」

[ interview ]

 3人の女性が、徒歩で、バスで、自転車で、多摩ニュータウンを移動する、たった一日のお話。その日は誰かの誕生日で、誰かの命日でもある。長い間会っていなかった友達に会いに行こうする日であり、いなくなった人を見つける日でもある。その日がありふれた毎日のようで実はいつもとは少しだけ違う日であるように、彼女たちもまた平凡なようでいてどこか不思議なものたちと出会う。鳥の声、蛙の声、電車の音、震えるラベンダー、風呂上がりの土偶、歌うマグカップ。
 彼女たちは互いに一言も言葉を交わさず、それぞれの悲しみや寂しさを分かち合う方法もない。でもふと出会った音楽に突き動かされて踊り出さずにはいられないように、つながりとも呼べないようなかすかなつながりに開かれてもいる。それは同時に、彼女たちが自分の孤独をないがしろにはしていないということでもある。


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©2022 PFF パートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活)/一般社団法人 PFF

ーーこの映画は夜明けの多摩ニュータウンに鳥の声が鳴る、短いいくつかのカットからはじまります。それ自体は驚くべきことではないかもしれませんが、すごいのはたった一日の出来事を描いたこの作品の最後まで、鳥や虫の声がこの空間で鳴り続けているということです。まずこの作品の音についてお聞かせください。

清原惟 音声に関しては、黄(永昌)さんの考えがほとんどすべてと言ってもいいと思います。撮影のふとした瞬間に、「黄さん、あれいない」ということがあって(笑)。その間にいろんな場所に行って、その場所で鳴っている音を拾ってくださいました。実際に緑も多い場所で、いろんな生き物の音が鳴っていることもあるんですが、それを再現できているのは黄さんの力だと思います。
 ロケ地である多摩ニュータウンでは、車道と歩道が街で分離されているので車の音があまりしないんです。この映画は基本的に歩道のシーンが中心ですが、普通の街よりも車の音が聞こえてこないのでよりいろんな音が耳に入ってくるということはあると思います。

ーー続く「ジョンのサン」の演奏シーン(?)もすごいと思います。黄さんの音響と飯岡幸子さんの撮影があいまって、ここにいる人々が撮られているというよりも、もっと曖昧なこの場全体が映されているような気がします。

清原 ここの撮り方に関しても、飯岡さんの仕事によるところが大きいですね。私が伝えたのは、なるべく被写体に寄りつつ、動きながらいろんな人を撮りたいということだけだったのですが、まさかああいうアンサーがくるとは想像もしていなくて。一度リハーサルで流れを撮ってみたときの映像が、これはすごいものが出てきた、と。ぜひこれでいきましょう、という感じで2、3テイクを重ねて一番いろんな動きが出ていたものを選びました。

ーーおそらくこのシーンでは人止めをしてないですよね?

清原 はい、してないです。

ーーでは後ろのあのベンチで手を開いたり閉じたりする運動の方もあの場にいた方なんですね。

清原 そうなんです。最初は普通に座ってらしたので、わざわざどいてもらうのも申し訳ないなとそのまま撮影をしていたら、2テイクか3テイク目にああなっていたという(笑)。
 ただ、この作品をつくるにあたって、予想もしなかったものを取り入れていくような方向にしたいということははじめから言っていました。といっても積極的になにかが起こるように仕組むというわけではないんですが。だからあのシーン以外でも、その場にいた人たちの動きを取り込んでいくというやり方だったと思います。人だけではなく、街自体に対してもそういう態度で臨んだというか。

ーーそのシーンの撮り方とも関係する気がするのですが、タイトル直後の知珠(兵藤公美)さんの家の台所の流しの上の窓を映したショットが印象的です。はじめて主要登場人物が観客に見せられるというよりも、観客が登場人物と同じ場所にいるという気がしてしまいます。

清原 あれも飯岡さんのアイディアですね。脚本上では「キッチンでお湯を沸かしている」と書かれていただけだったので、もっと普通に具体的な動作を撮ろうと思えば撮れるし、最初はそういうつもりで準備もしていました。でもあの場所が撮影用に飾ったりつくりこんだりしていることもあって、実際のリアルな生活空間とは違うのでなかなか難しかったんです。それに、窓から見える景色がおもしろいというのも、あの場所に行ってはじめて気づいたことでした。あんな風景を見ながら暮らしているっていいなあと思って、そうしたら飯岡さんがああいう撮り方を考えてくれて。

ーー知珠さんのセリフで、図書館は「いつでも入れていつでも出ていける」そして「無料」なところがいい、とありますが、それはこの映画で描かれる多摩ニュータウンという街の特徴の一端に触れている気がします。

清原 日常的に、公共空間のありかたのようなことを考えたりすることがあるんですが、東京の都心部にいると、街の中に自分たちの居場所がないという感覚になります。ちょっと座って休めるような場所もなかなかない。でも多摩に行くと、ほんとにどこでも休み放題です。いたるところに椅子やベンチがあるし、椅子がなくても芝生とか階段みたいなとこにちょっと座っていても、人がそれほど多くはないから、そんなに邪魔にならない。余白的なスペースが多いというか。多摩の公共空間の在り方ってすごくおもしろいし素敵だなと思いました。

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©2022 PFF パートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活)/一般社団法人 PFF

ーーそのどこかのんびりした雰囲気の一方で、だからといってなにも嫌なことが起きないかというと違いますよね。とりわけ知珠さんが登場するシーンに顕著かと思いますが、実際とは違う「主婦」というカテゴリーを当てはめられたり、バスで注意されたりします。

清原 知珠さんが一番年上の女性ということもあって、女性が生きていく上で受ける具体的な影響についてのセリフを言わせたいなと思っていました。それはもしかしたら、夏(見上愛)さんの場合には目立たないことなのかもしれなくて。ほんとに小さい取るに足りない出来事ではあるんだけど、すごく心がぎゅっとしてしまうことが日常でも多々あると思います。それは別に女の人だからというわけではなく、自分の置かれた状況によって誰しもあることだと思います。 

ーーいいことばかりなわけではない。

清原 そうなんですよね。風通しがいいぶんだけ、逆にすべてが見通されてるという息苦しさのようなものもある。街自体がきれいに計画されてつくられているので、それを公共的ととらえることもできる一方で、その枠組みから逸脱するのが難しいし、そこから一歩外れてしまうことで苦しい思いをしている人たちもいるんじゃないかと。
 今回の撮影のために、多摩ニュータウンができた頃にこの辺りに移り住んで来た人たちに、聞き取りをしたんです。はじめに話を聞いたのが、コミュニティができつつある中で、これが問題じゃないか、これを変えよう、こうしよう、と率先して状況と関わり合ってきた、ある意味ヒーローみたいな人だったんです。で、その方に紹介してもらった別の方に話を聞きに行くと、その人もやっぱりヒーローみたいだったりして(笑)。その話に感銘を受ける一方で、でも誰もがそんなにアクティブになれたわけではないよなとも思ったんです。たとえばサラリーマンの夫がいて専業主婦の妻がいて子供がいて、という理想的とされる家族を持ち得た人たちには幸せだったかもしれない環境も、そうじゃない人たちにとってはどう映ったのか。実際にそういう人たちの言葉を私は聞くことができなかったんですが、そうしたことは考えました。

ーー早苗(大場みなみ)さんにみかんをくれる方も、どこか当時からこの街で暮らしてきた人々の存在を感じさせます。

清原 あの方は俳優さんなんですが、実際に多摩に暮らしていて、あの方自身の話があの役柄に影響を与えています。私が話をうかがった他の方とは違って、セリフにもあるように、働きながら子育てをされていたんですね。しかも多摩から銀座のお店に出勤していたという、なかなかハードな働き方をされていたらしく。それで仕事を辞めざるを得なくなったりしたとか、そういう話を聞いているうちに、同じ母親でも働きに出ていた人たちはまた違った経験をしているんだと気づかされて、ああいう役を演じてもらうことになりました。

ーー同じ場面で、すごく気になることがあります。みかんをもらった後、室内からベランダで洗濯物を干す姿を映したカットに続きますよね?カメラ、ここにいるんだ、と驚きます。

清原 あそこでは、家の中からの視点を入れたいと話していました。脚本には書かれていない部分なんですが、書かれていること以外にも余白みたいな時間を持てたらいいなと。みかんをあげて見送った後、見送られた早苗さんの側であのシーンが終わってしまったら、あのおばあさんはなんというか風景のようなものになってしまう気がして。そうじゃなくてあの人が生活していて、しかも早苗さんを同じ街の人として見ていることがわかる、そういう時間が欲しいということであのようにしたんです。 

ーーもっと後に出てくる、知珠さんが道を尋ねた後で、教えてくれた人が振り返るカットにも、いま言われた余白を感じます。もしかしたら知珠さんは気づかなかったかもしれないあの人の姿を観客は見ている。

清原 そうですね。そういうことってありますよね?自分が人を見送っていて、「あ、あの人一回も振り返らないな」って思うこと(笑)。

ーーこの映画では主要登場人物の3人が出会うとき、というか出会うと言っていいかのもわからないようなすれ違い方をしますが、そのとき必ずと言っていいほど、画面奥と手前のような縦構図の位置関係ですよね。それが彼女たちは同じ体験を共有したのだと安易に言っていいのかもわからない、絶妙な距離感をもたらしている気がします。

清原 ああなるほど。横じゃないってことですよね......。言われて改めて思いましたが、横は考えたことがなかったです。
 この映画はそれほど人の視点が強い映画ではないと思いますが、とはいえ見ている人と見られている人とか、見られているときに気づいていない人を描こうと思ったときに、自然とああいう選択になったんだと思います。

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©2022 PFF パートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活)/一般社団法人 PFF

ーーそのことでこの街がより広く感じるというか、都合よく狭い舞台に集められた人々ではない気がする。それは先ほどおっしゃっていた公共性のようなことにも通じるのかもしれません。
 見る見られるの関係で言うと、この映画のいわゆる見た目カットとして印象的だったのが、早苗さんが玄関横のラベンダーを見るところですね。

清原 しかも動いてるんですよね。やばい動き方をしている(笑)。

ーー見た目じゃなくて音で、これは観客にだけ聞こえているのか?と思っちゃったシーンがあるのですが。早苗さんがリサイクルショップでマグカップを見つけるとき、あの音はマグカップから鳴っているんですよね?

清原 そうですそうです。ああいうマグカップが昔あったんです。

ーーあったんですか(笑)。

清原 昔持ってたんです、ポケモンのマグカップ。下にセンサーがついていて、持ち上げると音楽が鳴る。それがすごく好きで、そのマグカップのことを思いだして、登場させてます。
 ああいうチープな電子音の音楽が不意に鳴ったときにすごく感動してしまうことがなぜかあって。洗濯機の終わるときのクラシックのワンフレーズとか、お風呂が沸いた瞬間に鳴るメロディだったりとか、すごくいいなと思ってしまう。機械も、生きているわけじゃないけど、息づかいのようなものがある感じというか。だからあのメロディも、早苗さんを励ましてくれるんじゃないかと思うんです。

ーーこの映画では3人の主要登場人物にそれぞれなにかしらのかたちで喪失のようなものを思わせる背景があるのですが、セリフとして書かれてはいない部分についても俳優の方たちと話し合われたりしたのでしょうか?

清原 役のバックグラウンドに関しては、めちゃくちゃ細かく話したり書いたりというのはなかったです。というのも事前に会える時間が限られていたり、脚本の執筆も時間が全然なかったこともあり、登場人物の設定を共有する文章も書いていなかったと思うので。ただ、話せる時にはそういう話を俳優さんたちとディスカッションしたりはしていました。

ーーたとえばセリフとしては言語化されていない過去を、動作などの演出で見せるなどということは意識されたでしょうか。

清原 動きの演出に関しては、あまり過去に意識は向いていなかったような気がします。あの一日の、現在を生きている3人の、いまこの瞬間の実感みたいなものを手がかりにつくっていた感覚がつよいかもしれないです。

ーーこの作品は、この映像や音を見たり聞いたりしているのは誰なんだろう、この記憶は誰のものなんだろう、そんなことを端々で感じる映画です。それを一番強く感じるのが、終盤のダンスシーンです。物語上では、後ろでダンスをしているグループがいて、彼らが鳴らしている音楽に合わせて夏さんが踊りだすってことなんだと思いますが、あの音楽が後ろのグループに属しているもので、夏さんがそれを借りる、というふうには見えなくて。どちらかというと、あの音楽は誰かが所有しているものというより、多摩ニュータウンというジャングルに棲息する野生の音楽で、彼女はそれとたまたま出会い、その衝撃に貫かれたことがあのダンスとしてあるような気がして、好きなんです。

清原 すごく素敵な感想でうれしいです。

ーー夏さんのダンスはジャンルとしては何になるんでしょうか?

清原 あれはヒップホップがベースにあるけどちょっとコンテンポラリー味もあるダンスですね。曲もヒップホップ的な曲で、拍の取り方もヒップホップです。

ーーあの最後の手の動きは土偶ですよね?

清原 そうです。でもどちらかというと埴輪っぽいですけど(笑)。

ーーあの日友人と一緒に縄文時代の展示を見たことも、ダンスの中に宿っている。友達は夏さんがダンスをはじめたことを知らなかったけど、でも一緒に踊る。

清原 真似をすることって、すごくポジティブなことだと思うんです。もちろんからかったり揶揄したりというネガティブな場合もあると思うんですけど、でも根源的には真似をすることには、その人を肯定するような感じ、その人がいるということを讃える感じがあるんじゃないかという気がします。知珠さんが夏さんの踊りを真似するところもそうですが、それによって知らなかったことを知ったり、違う見方を学んだりできる。

ーー写真店で働く男性が、「でもその猫と暮らした早苗さんもどこかにいると思うんだよな」と言いますよね。そういう意味で、この映画では「○○しなかったこと」が描かれていたとしても、そうじゃなかった彼らもこの街に住んでいるのかもしれないと思えるんです。もしそうなら少し寂しくない気がするというか。彼と夜ご飯を食べた早苗さんもどこかにいるのかもしれないし、友達に会うことができた知珠さんもどこかにいるのかもしれない。

清原 昔友達が言っていた言葉で、すごくいいなと思ってずっと覚えている言葉があるんです。「夜道をひとりで歩いていると、寂しい気持ちになる時があるんだけど、でも自分と同じようにひとりで夜道を歩いている人がこの世界にはいるって考えると、心強さが生まれる」と。その言葉がこの映画の中にもあるのかなと、いまのお話を聞いて思いました。

2024年2月6日、渋谷 取材・構成:浅井美咲、結城秀勇


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『すべての夜を思いだす』
第26回PFFスカラシップ作品
監督・脚本:清原惟
撮影:飯岡幸子 
照明:秋山恵二郎 
音響:黄永昌 
美術:井上心平 
編集:山崎梓
キャスト:兵藤公美、大場みなみ、見上愛、遊屋慎太郎、能島瑞穂、内田紅甘、奥野匡
2022年/日本/1:1.66/116分
配給:一般社団法人PFF
©2022 PFF パートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活)/一般社団法人 PFF
2024年3月2日(土)より 渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
【公式サイト】 https://subete-no-yoru.com/
【X】 https://x.com/subete_no_yoru
【Instagram】 https://www.instagram.com/subete_no_yoru/

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清原 惟(きよはら・ゆい)1992年生まれ。東京都出身。映画監督、映像作家。東京藝術大学大学院の修了制作作品である初長編作品『わたしたちの家』(17)が2018年・第68回ベルリン映画祭のフォーラム部門で上映され、上海国際映画祭で最優秀新人監督賞を受賞する。新作『すべての夜を思いだす』(22)も2023年・第73回ベルリン国際映画祭フォーラム部門をはじめとする国内外世界各国の映画祭で上映される。、昨年秋には北米で劇場公開された。最新作として愛知芸術文化センターオリジナル映像作品として制作した『A Window of Memories』がある。
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