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April 27, 2024

『ラジオ下神⽩ーあのとき あのまちの⾳楽から いまここへ』小森はるか監督インタビュー「贈る歌⇄受け取る歌」

[ cinema , interview ]

 2011年の東京電力福島第一原子力発電所事故によって、浪江・双葉・大熊・富岡町から避難してきた方々が暮らす下神白団地。そこに住む人々に、かつて暮らしたまちの思い出を語ってもらい、当時聞いた曲とともにラジオ番組風のCDにして配布するのが「ラジオ下神白」というプロジェクトだ。
 その活動風景を記録したのが映画『ラジオ下神⽩ーあのとき あのまちの⾳楽から いまここへ』である。ではあるのだが、この映画にはラジオ番組風CDの制作過程だけが描かれているのかというと、違う。できたCDが手渡され、聞かれ、話され、そのことが人と人をつなぎ、また誰かが歌を歌う、そうしたプロセスがここにはある。災害という理由でひとつの場所に集まった人たちのそんな様子を、少し離れたどこかで見る私たち観客も、その歌の輪に入っていきたくなるようななにかが、ここにはある。


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© KOMORI Haruka + Radio Shimo-Kajiro

ーー資料を見ると、「ラジオ下神白」というプロジェクト自体は2016年末から始まっていて、小森さんが撮影に入られたのは2018年からとのことですよね。

小森はるか 2018年の9月でした。

ーーそのタイミングでこのプロジェクトに関わることになった経緯を教えていただけますでしょうか。

小森 「ラジオ下神白」のメンバーとして、川村庸子さんという編集者の方がいて、彼女は活動を文章として記録するというかたちで関わっていました。そして半年近く「ラジオ下神白」の活動を見てきた中で、文字だけではすくいとれないよさがここにはあるんじゃないかと思った彼女が、映像としての記録を提案されました。彼女とは友人だったこともあって私に声をかけていただいて、それまでつくった映画もメンバーに見てもらった上で、この活動に加わることになりました。

ーー「ラジオ下神白」とは言うものの実際にはラジオとして放送されているのではなくて、ラジオ番組風のCDを配布するという活動を行っていますよね。さらにこの映画に記録されているのも、厳密にはCDの制作風景そのものを撮影しているわけではないことが興味深いと思いました。後にCDというかたちになる会話自体が記録されているのではなくて、できたCDを聞いたリアクションや、そこから生じた活動などが映像として記録されている。

小森 そう言われればたしかに。それは私が参加するようになった経緯とも重なるかもしれなくて、もちろんこの時期もCDをつくってはいるんですが、同時にそれ以外のかたちへと活動を派生させていこうとしている時期だったことが関係しているんだと思います。この団地の住民さんだけが聴けるラジオという仕組みを他の場所に向かってどう開いていくのか、この活動を通じて聞いた住民さんたちの声を、ここだけはなくて他の場所にいる人たちにどう届けるのかということをメンバーの皆さんが考えはじめていた時期で、そういう中でバンドを結成して下神白団地に来てみたいという人を招いたりなど、違う展開に行きはじめたときだったと思います。結果として、撮影されたものの中で、ラジオCDの制作以外の要素が大きくなっているということだと思います。

ーー映画の冒頭、「天国に結ぶ恋」を歌い、その曲を聞いた当時の記憶を語る声が、下神白周辺の風景の上に重ねられています。その語りの最後で、語っている音声を再生している現場、アサダワタルさんたちが部屋の前の方にいて、手前に聴衆の人たちがいる場面へとつながりますよね。あれはなにをしている場面なんでしょう?ラジオの公開収録っぽくも見えるのですが、放送はしていないはずだし、なんなんだろうと。

小森 そう見えたらいいな、とあの場面を入れました。
 あれはなにをしているのかと言うと、都内で行われた「REC⇄PLAY ある復興団地の「声(風景)」をなぞる ラジオ下神白 報奏会」という、団地の住民さんたち以外にもラジオを聴いてもらおうというイベントのワンシーンです。記録された声を別の場所で聴いている人たちがいるというイメージがあると、より「ラジオ」っぽいかなと思ったのでした。

ーーそうなんですね。これはおそらく皆さん聞くことだと思うのですが、小森監督のこれまでの作品は、『息の跡』だったら佐藤貞一さん、『空に聞く』だったら阿部裕美さんというメインの被写体がいて、なぜその人を撮るのかという理由自体が、作品の一部だった気がします。ですがこの作品の場合、どういった方に話を聞きに行くのかを決めるのは小森さんではなかったと思います。それは撮影や編集の際に、なにか変化をもたらしましたか?

小森 これまでは、自分としても個人的に関係を築いていくことが必要だと考えていたと思います。一緒に映画をつくっていくという関係になることで、いわゆる被災地と呼ばれる場所やそこに住む被災者と呼ばれる人を、そういう目ではなく、その人自身を映すことに近づいていけるのかなと思っていたんです。でも今回は、自分がそういうふうに誰かと連絡を取り合ったりとか、撮影してない時間にもコミュニケーションをとるということがそんなに発生しなくて。
 それなのに、撮影の現場自体は、今回もそれまでとすごく似ていたんです。カメラを向けたから、その人のなにかが変わってしまうみたいなことはまったく起きなくて。むしろみなさんが話を聞きに行く行為の延長に自分も一緒にいて、撮影ができているという感覚でした。
 自分がそういう関係をつくっていかなくても撮れてしまう、ということに気づいたときには、ちょっと動揺のようなものもありました。そんなに簡単に撮れていいのかな、と。そしてそうやって映ってしまったものをどう切り取っていけばいいのかということも、すごく悩みはしました。でもそういうことができたのは、アサダさんたちが積み上げてきた関係性だったりとか、団地の中で築かれてきたコミュニティのあり方だとか、そういうものがひとつの共同体としてあるからこそ成り立っているものなんだなと思って。だから、こうしたやり方で撮れてしまうことも、すごく乱暴な行為ではないんだな、と整理がついたというか。それからは、こういうふうに撮影ができてしまうということも、おもしろいと思えるようになりました。

ーーひとりの人を撮るというよりも、複数の人々の間ですでにできている関係性の中で撮るというお話は、なんとなくこの作品が「歌謡曲」というものをあつかっていることとどこかつながっている気がするんです。多くの人が知っているものであり、同時に思い入れはひとりひとりそれぞれ違うもの。引用されるアサダさんのMCでこんな話があります。「音楽ってすごく不思議で、ひとりにとってとても大切な歌が、誰か別の人にとってもとても大事な曲だったりします。でももちろんそれぞれ別の人生を歩んできているので、違う思い出を持ってらっしゃるんですよね」。この言葉がこの作品の構成を物語っているような気がします。

小森 そうだったらいいなとすごく思います。
 団地って白い建物の中に同じ間取りの部屋がたくさん並んでいますよね。私たちはその中のひとりひとりのお宅に通っていくので、そのお家に住んでいる個人が見えてくるんですけど、なんというか、部屋同士は隣合ってないというかバラバラにみなさんがいる、という気がしたんです。建物の形式とその中の人たちの生活が一致していないというか。たぶんアサダさんたちは、その間を縫っていくようなやり方で、住民さんたちをつないでいこうとしていたんだと思います。ただ誰かと誰かが仲良くなるというだけじゃないコミュニティのあり方というか。この映画も、そう見えたらいいなと思います。

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© KOMORI Haruka + Radio Shimo-Kajiro

ーーそうした関係性は、作品内で直接描かれてはいないもっと多くのことから成り立っているということが、この映画を見ていると伝わってきます。たとえば喫茶トレドの脇坂さんと林さんが出てくる場面で、「茂子さんから預かってきました」という言葉が出てきます。茂子さんと彼らがどういう関係なのかは語られないのですが、たまたまそのふたりをここでは切り取っているけど、ここには映っていない人からつながっていることがなんとなくわかる。たぶんそれはすべての人にあてはまるんだろうと。

小森 まさにそうなんです。それが細かすぎて伝えきれないというか。いろんな人がちょっとずつ手を貸してくれていて、CDをつくるのも住民さんたちも一緒にやっていたりして。

ーーみなさんで折り込みというか、作業をされているシーンがちょっとありますよね。

小森 あれを見て私びっくりして。住民さんたちもやってくれているんだというか、単純につくる人ともらう人みたいな関係性ではないんですよね。積極的に関わってくれている。それも、いつも決まった人たちが手伝うことになっているのかというとそうでもなくて、入れ替わりながらいろんな人がちょっとずつ手伝ってくれている。そのよさを全部は伝えきれないというもどかしさもありつつ。

ーーこの作品で撮影されていた時期が、「ラジオ下神白」の第5集と第6集にあたる時期だということが、挿入されるラジオCDの内容からわかります。ただ、第6集の方が先にでてきますよね?意図的に時系列通りではなくされているのだと思うのですが。

小森 そんな指摘は「ラジオ下神白」のメンバーからもされたことはないんですが(笑)、はい、そうしました。というのも、第5集「変化と連なり さよならのかわりに」は、自分の中でもすごく大事なものになっていたからです。団地を離れていく人たちや、離れていった先の新しい住居にもアサダさんたちが訪ねていってインタビューした内容になっているんですが、この「変化と連なり」というテーマが福島の復興公営団地を象徴してるなと思ったんですね。それを先に見せるのは、構成としてふさわしくない気がしました。映像として出てくる方々は必ずしも第5集のラジオCDに出演されている方たちというわけではないです。エピソードも好きでしたけど、アサダさんの第5集のナレーションがすごくいいなと思っていて、他とは違ってすごく静かな語りで、それも映画の後半に聞かせたいと思った理由のひとつです。

ーーはじめにも言いましたが、後にCDとして完成する会話がこの映画で使われているんじゃなくて、CDはできあがったCDとして流れるのが印象的です。撮影現場で聞いているんだなと思っていた会話が、ふとした瞬間、画と音がシンクロしなくなって、ああCDなんだなとわかる。

小森 タイトルが『ラジオ下神白』なので、ラジオCDの部分も聞かせたいなと思っていました。でも、それをどう見せたらいいのか自分の中でもわからなかったというか。もし活動の初期から撮影していたら、たぶんラジオCDをつくっていくという動きを見せたと思うんですけど、撮影に入った時点ですでにこの活動が定着していたこともあって、当たり前のようにみなさんCDを手渡し、受け取るんですよね。でも撮られた映像としては、そこでなにが渡されているのか、その中になにが入っているのかが見えづらいなと思って。なので、だったらその音をちゃんと聞かせたいなと思ったんです。ナレーションのようにというわけでもなく、かといってラジオが流れてますよという説明としてでもなく、そこに入っていた言葉の質感が映像と補完し合うように、音声が使えたらいいなと思って。

ーーたぶん一番印象的な使い方をされているのは、清さんのシーンですよね。団地を離れていく彼の、ブラジルでの思い出を語った声が、海の映像に重なる。他の方の語りも、団地の外観や、外廊下や階段などの風景に重ねられていて。

小森 そう、編集してみて、やっぱりあのラジオの音と団地や周辺の風景がすごく合うんだなと思いました。アサダさんたちがそこに向かって語りかけてつくっているからでもあるでしょうけれど、無理矢理な感じがしなかったんです。

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© KOMORI Haruka + Radio Shimo-Kajiro

ーーその話を聞いていて思い出すのは、ラジオのジングルが流れるじゃないですか。あの曲がこの風景にすごくなじんでいる。まるで画が決まってから作曲された映画音楽のようにさえ聞こえます。

小森 3拍子のリズムがゆっくりになったり変化したりするあの感じは、アサダさんがこの風景を見てるからこそ作曲できた音なんだろうなと思います。音楽家としてのアサダさんのすごさを編集しながら気付かされるという気がしました。言われてみると、私はラジオであることを説明するためのジングルとしては使っていなかったのかもしれなくて、重ねてみたら、たまたまこの映画にものすごく合う曲があったぞ、と発見する感じだったかも(笑)。
 この音楽がすごく好きで、このプロジェクトから生まれた『福島ソングスケイプ』というCDがあるんですが、映画の編集とは関係ないときも、家でひとりでよく聞いていたりしました。

ーー音楽を使う場合に、どこで切るかというのは難しいと思うんですが、とりわけ終盤の歌謡曲のカラオケでは、フレーズの途中で切るわけにもいかないし、でも一曲まるまる流したらそれだけで時間がかかってしまう。

小森 全然音楽を使い慣れてないので、すごく苦手意識があったというか、難しかったですね。センスが問われる気がして(笑)。
 クリスマス会というイベントを撮るにあたって、あまりお祭りという感じがしすぎないように、もう少し時間の流れがきちんと見えるようにするために、どこまで切っていいのかはすごく悩みました。「ラジオ下神白」のメンバーの人たちにも何度も見てもらって、「ここはいらない」とかアドバイスをもらいながら変えていきました。

ーーでもやっぱりこれが歌謡曲ならではというか、ある程度断片的になっていても、映画内で全部映さなくてもわかる、というのはおもしろいと思いました。

小森 そうですね。その曲が飛んでいても、その曲が損なわれてない感じ。

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© KOMORI Haruka + Radio Shimo-Kajiro

ーー音楽のメロディが、聞いたときの思い出を喚起するというのが「ラジオ下神白」のコンセプトではあると思うんですが、それを記録したこの作品を見た観客のひとりひとりもまた、さらに自分の思い出が呼び起こされるという気がするんです。ひとつのメロディ、ひとつのフレーズが、ここでは描かれていないなにかまで想起させてしまう。

小森 そうなんだなという気がします。クリスマスの歌声喫茶でかかる6曲は、そういう曲をアサダさんが選んだんだなと。他にもいっぱいあったリクエスト曲の中から、なにかみんなのキーワードのようなものになる曲を選んでいるんですよね。曲順も含めて。

ーー小森さんがパンフレットに書かれている文章とも関わることだと思うんですが、クリスマス会の歌声喫茶は楽しいイベントだけれど、でも住民のみなさんがここにいる理由や、ここから去って行く人たちがいることも含めて、この映画にあるのは楽しいことだけじゃないです。でもそうした背景のようなものを、歌という人の感情に強く働きかけるものを使って代弁させたりはしていないところに、この作品の編集の節度のようなものを感じるんです。やっぱり歌を歌うことはなにより楽しい、ただそれとは別にさびしいことも悲しいこともあるのだ、というつくりにこの作品はなっているような気がします。

小森 そこが難しかったところで、やっぱり「よかったね」だけで終わらないようにしたい気持ちもありつつ、同時にここで起きていることに自分が別の映像を付け加えたりすることで、意味を変えてしまいたくないという気持ちもありました。原発事故の影響がわかるような風景を撮りに行ったり、被災者に対する説明会が集会所で行われている際の案内や会話なども撮影したんですが、それを付け加えてしまうことが、さっき「節度」とおっしゃったようなことを超えちゃってるなと思ったんです。でもやっぱりその背景を少しは感じてもらいたい。
 その場所に行った私たちには暗黙のうちにわかっていることが、どうすれば映画として感じられるものになるのかがどうしてもわからなくて、そしてわかってもらえるようにすることが正しいのかもわからなかったんです。でもいまこうして話をしていて、余計なことを付け加えないこの選択でよかったんだと思いました。アサダさんたちもそうすることを望まなかったと思うし、この作品は自分だけの映画としてではなく完成したという気がしています。はじめにお話ししたように、『息の跡』や『空に聞く』のときとは違う関係性でつくったことのよさというか、自分以外の人たちの考えを判断基準にできたことのよさがある気がしています。

ーー先程お話にでた『福島ソングスケイプ』というCDというかたちでの記録もありますし、「ラジオ下神白 あのとき あのまちの音楽から いまここへ 2017-2019」というブックレットで文字としても記録されてもいますし、それらによって映画には描かれていないことも知れたりして、その後でまた映画を見ると違った見え方がしたりして、おもしろいですよね。

小森 他の記録物もあって映画だけじゃないから、この映画をつくれた部分も絶対あると思います。違うところに残っているものがあるからこそ、全部見せなくてよかったり。CDを聞いて、映画を見て、みたいな行き来が生まれるとしたら、本当にいいですよね。

ーー先程「自分だけの映画」ではないとおっしゃられていましたが、誰かのものというわけじゃない、というのが「歌謡曲」という気がするんです。人の歌っているカラオケを聞いてその歌を好きになって、自分でも歌ってみたらその人のことがいままでより少しだけわかる、みたいな。

2024年4月4日、渋谷 取材・構成:結城秀勇


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『ラジオ下神⽩ーあのとき あのまちの⾳楽から いまここへ』
監督・撮影・編集:⼩森はるか
出演:下神⽩団地の住⺠さん、アサダワタル、榊 裕美、鈴⽊詩織、江尻浩⼆郎、伴奏型⽀援バンド(池崎浩⼠・鶴 ⽥真菜・野崎真理⼦・⼩杉真実・岡野恵未⼦・上原久栄)ほか
編集・整⾳:福原悠介
ミュージックビデオ撮影・録⾳協⼒:⿑藤勇樹、⻑崎由幹、福原悠介
企画:アサダワタル
デザイン:⾼⽊市之助
広報物編集:川村庸⼦
宣伝協⼒:植⽥さやか(プンクテ)
協⼒:⼀般社団法⼈ Teco、県営下神⽩団地⾃治会、市営永崎団地⾃治会
製作・宣伝・配給:ラジオ下神⽩
© KOMORI Haruka + Radio Shimo-Kajiro
2023年/⽇本/16:9/70 分
4月27日から東京・ポレポレ東中野ほか全国で順次公開

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小森はるか(こもり・はるか)
1989年静岡県生まれ。映像作家。東京藝術大学美術学部先端芸術表現学科卒業、同大学大学院修士課程修了。2011年4月に、ボランティアとして東北沿岸地域を訪れたことをきっかけに、画家で作家の瀬尾夏美と共にアートユニット「小森はるか+瀬尾夏美」での活動を開始。翌2012年、岩手県陸前高田市に拠点を移し、人々の語り、暮らし、風景の記録をテーマに制作を続ける。2015年、仙台に拠点を移し、東北で活動する仲間とともに記録を受け渡すための表現を作る組織「一般社団法人NOOK」を設立。現在は新潟在住。主な映像作品に、『息の跡』(2016)、『空に聞く』(2018)、小森はるか+瀬尾夏美として、『波のした、土のうえ』(2014)、『二重のまち/交代地のうたを編む』(2019)などがある。

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