『OVER THE AURORA』ゆっきゅんインタビュー 「素晴らしくなく、素晴らしい人たちのために」
[ music ]
『OVER THE AURORA』収録曲
1.「OVER THE AURORA」
2.「UCHIAKE HANABI」
3.「去年の夏は一日」
4.「Oh My Basket!」
5.「余計な勇気」
ーー今回のEPの成り立ちについてうかがえますか?
ゆっきゅん 去年は『生まれ変わらないあなたを』(以下『生またを』)の制作のために、6月ぐらいにたくさん歌詞を書きました。 アルバムを撮り終えて、9月にリリースして、 それからしばらくは、書きたいことはこのアルバムでだいたい書いたなという気持ちでした。 別に日々が空っぽなわけじゃないんだけど、曲を書けるほどの気持ちの盛り上がりとか、何かを思いついたりとかがあまりない時期が続いて。元気がないわけでは全然なかったんだけど、出し切ったみたいな感じだった。
他の人の曲に詞を書くのはちょくちょくやっていて、1月2月からこのEP用に書き初めてたけど、うーん......みたいな感じで。ただ、やっぱりアルバムを出して、nobodymagの記事皆さんにすごい読んでもらって、聴いてくれる人が前より増えたので、新しいものは出せるなら出した方がいいとは思っていました。これまではバラバラの作曲家に頼んで、それをどう順番に組み立てていくかというやり方をしてきたけど、今回は同じ人に頼んでみるのも面白いんじゃないかなと。 それで、「いつでも会えるよ」の作曲と「幼なじみになりそう」の編曲をしてくれた鯵野滑郎さんに依頼しました。 鯵野さんとは『生またを』の時が初めてだったんですけど、手応えがあったというか、もっと曲をお願いしたいなという思いがあって。 かなり早い段階、昨年の年末あたりのタイミングで一回お願いしていて、その時は具体的には歌詞は思い浮かんでないけど、こういう曲をやりたいというイメージとかリファレンスとかをお伝えして、4曲ほど依頼していました。鯵野さんはもう仕事が早くて、時間があれば半日ぐらいでデモを作ってくれる方なので、 初期段階のデモは1月とかにはできていました。そこから何を歌うかみたいな内容を、もうちょっと時間をかけて作っていった感じですね。
私1月にフィンランドに行ったんですが、その時にもうすでに「OVER THE AURORA」のデモはあって、それを聞きながらオーロラを見てた。 鯵野さんは私よりも北の方角に住んでいるので、さすが寒空の感じをわかってくれるな、という感じでした。もともと、それぞれの曲のイメージが自分の中にまずあったんですよね。「UCHIAKE HANABI」では、IVEの「After Like」とかGFRIENDの「MAGO」みたいなKylie Minogueを意識したK-POPを目指していたので、そういうのがやりたいなぁとか。
一番最初に構想が浮かんだのは「余計な勇気」。セカンドアルバムの『生またを』では、バンドサウンドで生音で録ったりとか、今までやってなかったことに挑戦する気持ちがあったけど、それを経て、やっぱりディスコとかダンスミュージックとかをこれからもやっていきたいという気持ちが強くなって。2026年は、まあなんも決まってないけどそういうアルバムを出したいと思っているから、そのためにも今やらなきゃいけないことをやっておこうみたいな気持ちがありました。30歳1曲目はダンスクラシックというか、いわゆる70年代、80年代あたりのディスコ、あるいはBeyoncéとかTWICEあたりの楽曲を意識して「余計な勇気」を作ってもらってます。
5月の頭ぐらいに「Oh My Basket!」の詞が急に書けたんです。もともとこの曲はEPに入る予定がなくて、依頼してあった4曲とは別です。この曲はリリースしたものでは史上最速、思いついて40分ぐらいで、フルコーラスすらすら書けて。ああ書けるじゃんみたいな気持ちに久しぶりになって。今までの自分が書いてきたものとも異質だなと、書いた後に思った。今まで書いてきた曲の主人公はやっぱりなんか「優しいね」って言われるようなものだったり、なんかまあまあ素晴らしかった感じがしてて。 もうちょっと素晴らしくない人とか、素晴らしくない気持ちとか、間違えちゃった人のために歌いたい。あるいは後悔を抱えているとか、そういう人のことを歌おう、そういうことをやっていけばいいんだこれからは、と思えたのが、「Oh My Basket!」でした。私は誰かたったひとりについて歌っているのだということも改めて自覚しました。それまで他の4曲は書けてなくて、書いてはいても、うーん違うなあという感じだったのですが、「Oh My Basket!」の歌詞が書けたことで、突き進め!みたいな感じになりましたね。
・「OVER THE AURORA」
ゆ もともと『OVER THE AURORA』は5曲目にするつもりで、「余計な勇気」が1曲目の予定だったんです。曲順を決めるのってすごく好きな作業なんですが、「OVER THE AURORA」というタイトルのEPで、全部を聞き終えた最後にみんなをオーロラの向こう側に連れて行くんじゃ、なんか当たり前じゃないですか。そうじゃなくて1曲目からもうみんなをオーロラの向こう側へ連れて行って始まる、その方がこのEPを通して連れて行ける場所、見せられる景色が変わるんじゃないかと思って、1曲目にしました。
前作のアルバム『生まれ変わらないあなたを』だと、「いつでも会えるよ」が1番作詞に時間がかかっているんですけど、それは入れたい要素とか、「こういうことを表現したい」みたいなものが多くて、絞るのに時間がかかったからなんです。今回のEPでは「OVER THE AURORA」が1番書きたいことがたくさんあったから、歌詞を書き上げるのに時間がかかりました。
歌詞では時間のことを書きたいって思っていて。やっぱり歌姫には、1曲は時間について歌った名曲があるんです。中島みゆきさんの「時代」とか、浜崎あゆみさんの「SEASONS」とか、大森靖子さんの「呪いは水色」とか、椎名林檎さんの「青春の瞬き」とか。なんかちょっと自分の中で同じ枠なんですよね。 続いていく人生の中での時間との向き合い方、時間が流れていくことについて、私も歌いたいなと思って、それが書けたという感じがしました。
明るめの曲調なんだけど、気丈に振る舞っている人が出てくる歌が好きで、Dua Lipaの「These Walls」とかをイメージして作りました。悲壮感とか、切なさが前面に押し出されるわけじゃないけど、時間の流れの中で、別れとか過ぎ去っていくものを歌いたくて。歌詞を書く時に思い浮かべていたものは色々あって。最初はオーロラを見た時の感覚とかも言葉にしたいって思っていたし、Red Velvetの『Cosmic』というアルバムのアートワークにも影響を受けたし、Red Velvetのインタビューとライブステージ映像で構成されたドキュメンタリー(『Red Velvet Happiness Diary : My Dear, ReVe1uv In Cinemas』)で、ステージから花道を通って、センターステージに5人で歩いていく、あの道のりを歌にできたらなあとも思ったり、重信房子の歌集を読んだり。
『Red Velvet Happiness Diary : My Dear, ReVe1uv In Cinemas』 より「Psyco」
ーー最初に歌詞を読んだ時に、「もうやめると決めたバイトみたいで楽しい最後の旅行」という歌詞の後に、「これからもっと仲良くなろうよ!」という歌詞が出てくるのがすごいと思いました。
ゆ 「これからも仲良くしてねみたいな」ことをよく友達に言われるんですけど、「えっ、これからもっと仲良くなろうよ」ってすごい思っちゃうんです。歌詞の「最後の旅行」が本当に最後の旅行なのかはわからないですけど、2、3年前くらいからずっと書きたかったことな気がします。「OVER THE AURORA」は、恋愛に限った曲ではないけど、 辞めるって決めてからのバイトがなぜか楽しくなるみたいに、この人や場所と離れるって決めてからまだ一緒に過ごす時間って、色々特別なことを感じうるんじゃないかなって。
完成してから思ったことだけど、なんかたとえば円満離婚とかってこの世にあるけどないっていうか。円満離婚も悲しいはずじゃないですか。 離婚はできて嬉しいものでもあると思うけど、一度は愛した人と離婚しなきゃいけなくなったとか悲しいことじゃないですか。自分で決めたことだけど悲しい気持ちとか、「こうなるだろうな」とわかっていた、もう予定されていた悲しさって当たり前に悲しいよねって思います。 わかっていたことだからだから辛くないとか、大丈夫みたいなふりはしなくていい。
ーー先日お話を聞いた時は、「OVER THE AURORA」が1番、歌詞を書く時に思い浮かべたとして言及されている作品が多かったですよね。他にも映画『ジャンキーばあさんのあぶないケーキ屋』(ジェローム・エンリコ、2012)とか。
ゆ そう。本当は犯罪を犯した人のこととかも歌いたくて、最後一言だけ「捕まる」みたいな歌詞も出てきているんですけど。『ジャンキーばあさんのあぶないケーキ屋』だったら、大麻入りのクッキーを売って大儲けして、捕まるとわかっている状態で旅行に行くんですけど、「最後だとわかっていながら行く」みたいなものに切なさとかかけがえなさを感じるんです。あと、「OVER THE AURORA」はドラマ『すいか』の早川(小林聡美)と馬場ちゃん(小泉今日子)の物語でもある。8歳で初めて見てから折に触れて見返しているドラマです。
「あの褒め言葉も過去にして」の「褒め言葉」も「ユリイカ2025年5月号 特集=ゆっきゅん」で書いてもらった言葉の数々を思い浮かべています。敬愛する方々からいろんな言葉をもらって、ものすごく嬉しいと同時に、これからその言葉たちに対して自分は何ができるんだろうという思いもありました。ユリイカで特集されてしまった表現者にできることは一つしかなくて、それは、一度使われた大切な褒め言葉をもう次の作品で使わせないくらいの新しいものを作り続けることなんです。『ユリイカ』以前に作ったものは、20代の決定版というふうにして、自分はもっと先に進むんだ、と。金原ひとみさんが、「いつもネイルが剥がれてて可愛い」みたいなことを『ユリイカ』のエッセイで書いてくださったんですけど、その『ユリイカ』が発売される頃には、私はもうネイルサロンでジェルネイルをバチ決めていたんです。「あっ、過去になってんじゃん」って思ったんですよね。結局今後何をやっても自分だから変わらない部分があって、そういう普遍的な部分をみなさん言葉にして下さったと思うんですが、それならむしろ、自分が強く意識して新しいことをやらないとつまらないですよね。なので、どんどん自分の曲が既出の曲になっていくように、言説とか感想も新しいものになっていけばいいなっていう。 ゴーゴーレッツゴーっていう感じですね。
・「UCHIAKE HANABI」
ゆ 「UCHIAKE HANABI」は群馬の太田市美術館・図書館で2時間で書いたんです。作詞を1曲はして帰りたいけどなって思いながら歩いてる時に、サビの「打ち明けてみたい〜」っていう歌詞が浮かんだので、「あ、このままいけそうだな」と思って書いた。夏の歌を書くのが好きなので、花火大会に行く歌にしました。それも、親友と2人でどこかに行くとかじゃなくて、もともと親密じゃない相手と、なんかあの日一緒にいたみたいな歌。
自分は学生の頃から、秘密とか大事な話を急に打ち明けられる体験がなぜか多くて、そのことを今もたくさん覚えてるんですよね。この歌詞を書いた後に、今までそういう話をしてくれた人のことがよぎったりしました。なんでも話せる相手だから打ち明けるということはもちろんあるけど、そうじゃなくて逆にちょっと距離があるからこそポロッと秘密を話したり、相談できたりすることがあると思っていて。関係性の変化がない相手というか、それを言うことでどう思われたとしてもかまわない相手だから言えることってありますよね。週に何度も会う人に言えないこともある。
ーー不在の誰かを中心に2人が出会う話ですが、その前提を説明するのはすごく難しいですよね。でもこの曲では、冒頭のあの通話の音声によって、全部説明できてしまっている。
ゆ 3人を書くっていうのは、君と僕、私とあなたを書くよりも難しいんだけど、ずっとやってみたかったんです。イントロを聴いた時、ここには絶対セリフとか入れたいと思って、思いついたままLINEのボイスメッセージの録音を押して、電話口の会話みたいなあのセリフを入れました。スタジオでのレコーディングはしてなくて、ほとんど一発録りのボイスメッセージの音声をそのまま使ってます。
セリフとか書かずにパーって喋ってみたら、「花火好きだから」って言ってて、それがめっちゃやばいと思って。花火好きだから別に知らない人とでも行くわみたいな。 まあ、それは本当は花火が好きだからではなくて、きっといろんな事情があって行かなきゃいけなかったと思うんですこの歌の人は。多分一緒に花火を見に行く相手が先週まではいて、でもその人とは行けなくなって。どうしても家でじっとして「花火やってるな、行くはずだったのに」と思いながら過ごす時間に耐えられないから来たんだと思うんです。まあ作詞の後に自分で感じ取ったことなんですけど。
この曲の主人公は初めて会う親友の親友に打ち明け話をして、でも親友の親友は結局、自分のことをそこまで話さなかったと思うんですけど。でも「東京で見る花火はこれで最後ね」と寂しそうじゃなく、「君」がつぶやいたんだと思うんです。まあ「なごり雪」ですよね。 その相手にも、親友がいないのに花火に来る理由があったってことですね。特に後半は、二人の距離感を見極めながら記者のように歌詞を書いていた感じです。もう少し時間があったら向こうも打ち明けるような話を言ってたかもしれないけど、段差とかがあると歌詞にあるように「段差あるよ そこ気をつけて!」って言わないといけないし、花火が上がってるとしゃべれないじゃないですか。バイクに乗って「なんて言ったー?」「なんでもねーよ!」みたいな。 そういう『ホットロード』(三木孝浩、2014)みたいなことが花火大会でも起きてるっていう。
ーー「応援しないで 共感もいらない だけど引かないでね」とか「黙っていい 呆れていい」とか。人の打ち明け話を受け取る時の姿勢を感じます。
ゆ 軽いんだと思うんですよね。 この相手が。自分が何か言っても深刻そうに受け止めたりとか、アドバイスとか説教をしてこないっていうのがわかるっていうか。 ケロッとした人っているじゃないですか。 私はそういう人のこと好きだし、打ち明け話を言いやすかったりもすると思うんです。
あとは、友達の話を聞く時に、一番大切なことは引かないことなんですよね。引いちゃったら、もう相手は話す人がいなくなっちゃうので。それはよく考えたら気をつけていることというか、自分は自動的にそうなってるかもしれないけど、大切だなと思ったりした。最近。
ーー2人が仲良くなっていく様子が、悪友っぽい感じが好きだなと思っていて。「中学生の絵にタイトルつけて歩いた」とか「美大出てるだけあって口悪いね」とか。
ゆ 人は自分が通り過ぎてきた道をこれから行く者に対して何でも言えるんですよ。私は大学院生をやってたから大学院生について言いたい放題になれるし。それと同じように、やっぱり美大を出てる人は、自分より若い世代の美大生に対して辛辣な物言いを持っているっていうのを言いたかったんですけど、「美大生口悪いよね」としか聴こえないですよね。まあいいか。言い訳です。そう取られるだろうけども、これは変えられなかったです。ちょうど太田駅の近くに中高生の絵が展示してあって、それを一人で見ていて。友達といたら、よく名前とか付けてぶつぶつ喋るから、すごく仲良くなれる友達とやることってそれだなあと思って。
・「去年の夏は一日」
ーー「去年の夏は一日」の成り立ちからお伺いしてもいいですか?
ゆ この曲は、タイトルになっているサビ頭の「去年の夏は一日だけ」っていうフレーズが浮かんでから動き出したようなところがあります。 「OVER THE AURORA」が過去と今と未来についての歌だとしたら、「去年の夏は一日」は思い出とか、記憶について歌いきろうとした歌です。 歌詞の中ですごい時間を操作して、時間の話ばっかりしていることを去年指摘されて気づいて。 「覚えとくよ」「1年と少し経った」「溶けてる」「時が止まった」「明日はない」「未来」とか。 今回は自覚的に、時間と記憶、思い出について書きました。
この曲は1枚の写真とか1枚の絵のようなイメージで書きました。 歌詞を書く時は、みなはむさんというイラストレーターの画集をずっと見ていたんです。ずっとみなはむさんの絵みたいな歌詞を書きたかったんですけど、今までの曲ではちょっとできなくて。それは、みなはむさんの絵のイメージは、私が書いてきた歌詞の登場人物よりも年齢が若い感じがあるというか、イノセントな部分があって。夏に1枚だけ撮った写真のような曲が書きたいと、画集を見て考えてましたね。 いつも通り性別についての語彙は一人称以外使ってないですが、男の子2人の話を書きたくて。
「僕のものと知りたくない」という歌詞は、より正確に言うなら「僕"だけ"のものと知りたくない」っていう意味なんです。 2人の思い出が、2人のものだったらいいのに。 でも自分しか覚えてないから、たった1人自分のものなことが悲しい。2人のものとは信じられないっていう、そういう切なさってあるよなって思います。「思い出は誰のもの?」って書けてよかった。
ーー「春巻き食べたら泣けてくる」ことは、人生でしばしばある気はするんですが、その上で「ただ春巻きに謝るような日々」というのがすごいなと。
ゆ たしかに。 私はなんかもう春巻きで泣くシーンくらいに思ったけど、春巻きに謝るのおかしいですね。 「ごめんね、春巻き、楽しく美味しく食べられるはずだったのに、私が泣きながら食べて」っていう。
ーー春巻きに対して申し訳ないと。
ゆ もはや謝ってる対象は普通に春巻きだけじゃないと思いますけどね。これはね、Charaが泣いてたんですよね。浅野忠信と別れた時の日記をまとめたみたいな本『breaking hearts』(祥伝社)で、「なんで私は唐揚げを食べながら泣いてるんだろう」みたいな記述があって、それもう何年も前に読んだんですけど、ずっと忘れられなくて。「なんで唐揚げ食べながら泣いてんだろう」みたいな気持ちになることってある。 でも、この曲の人は唐揚げじゃないなと思って、春巻きでした。
ーー「春巻きに謝るような日々」と、最後の「君は誰かに優しくするよ」っていう歌詞は、やっぱりすごく優しすぎるみたいな感じがある。 曲の主人公の人物像が立体的になる気がしました。
ゆ 最後が「するよ」なのがやっぱりこの歌だと思ってて。本来「するの?」とかでもよさそうですけど、この歌では相手に対する言葉はもう届かないから、相手に投げかけるような言い回しはしないんじゃないかな? と。だから、手紙のような言葉にはなってないんですよね。
頭の中ではまあ色々ある。私は人生が頭の中だけすぎるみたいに思うことが日々あって、「頭の中って人生ですか? 」って友達に聞いたことがあるんです。ただ笑われたんですけど。「 こう思った」とかって、自分の中では出来事みたいなことだったりするんだけど、向こうとの2人の話ではないっていう。「あの日、こう思った。 そういう転換点だったなぁ」みたいな、そういうことはあったりするんだけど、 他の人からしたら知らないよって話なんですよね。気をつけたいけどこれが私の面白さでもあって、どうしよう本当に。
・「Oh My Basket!」
ゆ この曲は本当に30分ぐらいで書いたんです。友達の話を聞いたら、その話の登場人物が動き出してしまって。
それと「まいばすけっと」がエモくない問題。たぶんコンビニとかスーパーはもう、恋人と行きたい場所、水族館みたいなそういう扱いになっていると思うんですよね。 ラブソング界でも、現実界でも。 でもおそらくまだ誰も歌わないであろう「まいばすけっと」の歌が歌いたかった。そのふたつが結びついたという歌ですね。
この歌では、自分が誰かと一緒に築いてきたものとか、大切なものを自分のせいで壊してしまった、自分のものだと思えていたものがすべてなくなってしまったという状況にあるんだけど、そこから別にその人をすごく擁護するとか慰めるとか、浮気をしちゃったけどそれも私なんだ!みたいなことをしたかったんではなくて。私が悪くて、致し方なくただこうなってしまって、でもその後の人生があって、今日もどうしようっていう。生きてるから買い物もしなきゃいけないから、消費行動が絡んでくるんだけど、少し歩けばもっといい店に行けるけど、まあ何も頑張れないっていう。
まいばすけっとって、"MY"ばすけっとという名前でありながらも、たぶん多くの人から自分のものとは思われてこなかった。でも「踏切」も「坂道」も「君」との思い出ばかりで、きっとたぶん町中華とかコンビニとかも一緒に行ってて。 そんな状況で、一緒に行ってない、思い出の生まれない場所、感情をかき乱されない場所として、まいばすけっとが輝いていて、というか輝いていないからこそ初めて輝いていて、ここならやっと入れる、となる。もうヘレン・ケラーです。水に触れて「Water!」ってなるみたいに、「Oh My Basket!」っていう叫びなんです。すべてのものが壊れてしまったと思える時に、それでも自分だけのものとかをちょっとずつ取り戻していく、ちょっとだけ回復していけるかも、そういう歌です。
で、その時ちょうど永野芽郁さんのニュースで持ちきりだったんで、この主人公はきっと特に何を感じるでもなく永野芽郁さんのことをめちゃくちゃ見て、調べたり疲れたりしてるだろうなっていうのが「不倫のニュースを見て寝てる」です。 どこにも行けないし、「地元にも帰れない」ので。だからただ時間がある。 「君に会える喫茶店」のことは3年くらい考えたくないのに、目の前に時間があると、考えてしまう。
ーー「WAON!」という歌詞がある(笑)
ゆ ちょっとリアルな感じでモノマネしてます。作曲家さんに、これは普通にメロディーがある感じ?と聞かれたので、YouTubeショートでWAONの決済音を聞いてもらって、その後、自分がボイスメッセージで送った。 すごい切ないフレーズの後、あーってなってる時にWAONとかが来るのがいいかなって。PayPay使えないので。
ーーあーってなってる横で、誰かが普通に買い物して決済してるんですね。
サビの「かごに詰めてこぼれて壊れて」なんですが、最後は「両手で粘れ!日没」になっている。
ゆ もうこういう状況ですよね(手のひらを上に向けて、両手に物を持てるだけ持っている、の図)。これはね、私の経験に基づいていて、ある日、薬局で私がめちゃくちゃこういう状態でいたら、そこの店員さんがたまたまファンで。「ゆっきゅんさんて、やっぱりかごを使わないんですね」ってかごを差し出されて、「いや、やっぱりってなんだよ! 」って思ったという話です(笑)。その情景?情景じゃないな、状態?動作?を「粘る」って書いた人は多分これまでいないと思う。
ーー「壊れて」「壊れて」「壊して」からの「粘れ」がすごくいいです。
ゆ 「こぼれて」「壊れて」「さよなら」が続いてて、最後は粘ってる。「両手で粘れ」って、これはもはや、「泣くな」っていうことを動作で表してるのかなって思います。これ以上なにも間違えてこぼして落として壊してしまいたくないからね。曲としてはこの部分はなくてもいいというか、その前のサビで成立していて、そこで終わってもよかったと思うんです。ただなんかやっぱりね、最後の力を振り絞りたかった。もう一歩進めたかった。
その後、両手で持っといてそのあと「何にも買わないよ」ってなんだよってなりますよね。でもここは買わないとしか書けなかったんですよね。 でも買ってるかもしれないですね。 「買わない、何も買わない、買わない」って言い張りながら買ってるのかもしれない。
・「余計な勇気」
ゆ これは収録曲の中で最後に詞を書きました。
楽曲制作を依頼したときから、勇気をテーマについて歌いたいという気持ちがまずありました。 まあ、少女漫画でもラブソングでも、基本的には何かを伝える勇気がないとか、何かをする勇気がないっていうものだとされてきたじゃないですか。でも私は、勇気が出ちゃう人の気持ちを知ってるので、頼もしい人のかっこよくない部分を書こうかなと。私自身も勇気はある方で、でも同時にすごく臆病者でもあって、それはジャンルによるって感じ。 強い人間だと思われたいわけでもないし、弱い人間だと思われたいわけでもなく、親しい人間には私の臆病な部分を知っていてほしいと思います。
「なんで私は勇気が出ちゃうんだろう」って思ったことがあって、それを軸に広げて歌にしてますね。勇気が出過ぎた時の歌です。 結果、ラブソングっぽい感じになったけど、そうする予定はそんなになかったというか、そういうだけじゃないつもりで歌ってるかな?
ーーもともとこのEPの1曲目の予定だったと先ほどおっしゃっていましたが。
ゆ 楽曲のイメージというか、サウンドのイメージがの方がまず先にあって、「DIVA ME」とか「DANCESELF」とか、そういった歌をしばらく書けていなかったので、覚悟を決めてそういうのを久々に書こうかなと思っていて、その時に勇気がキーワードになるような気がしていました。
30歳になって、30代の一発目はこういうサウンドでいくのがいいんじゃないかという始まりを考えていて、これがいい気がしてましたね。
今回は、全部の曲で、歌詞ができてからもともとあるメロディーをイントネーションに合わせて微妙に変えるという作業をしたんです。これまではほぼやったことがなかったんですが、ボイスメモとかで簡易的な仮歌を私が送ったあとに、歌詞を聞き取りやすくしたり、同音異義語にとられないようにしたり。時間がない中でギリギリではあったけれど、鯵野さんのおかげでそういう作業ができたのがありがたかった。
ーー勇気に関する詞をディスコっぽい曲調にのせることには関係性があるんでしょうか?
ゆ 結果的に曲順がラストになったので、大団円感を出したかった、というのもあるかもしれない。「でも誇らしく!」、というそんな姿勢。
この終盤をレコーディングをしているとき、とにかく花吹雪舞う花魁道というか、紙吹雪が舞ってる花道を歩いて退場するような感じを体感して、「祝福されてる」って思えて、すごく嬉しかった。 これで終わるのがやっぱいいなと思って。これを聴き終えた後に、聴いている皆さんにとってもまた人生が始まるわけなので、そうなると曲順としてはこれが最後だなって思いました。
ーー「落ち着いて人生」ってすごいフレーズですよね。「落ち着いて」って人生に頼んでる。
ゆ 「人生」すぐ使っちゃいますね。でも今回は少ないほうかな。生きてるから普通にすぐ言っちゃう。落ち着いてやってこう人生みたいなことなんですけど、でもたしかに言われてみれば人生に語りかけてるようにも。
さっきも言いましたけど中島みゆきってことですかね。 「泣かないで泣かないで私の恋心」(「あばよ」)って、泣かないで「私」じゃなくて「私の恋心」なんですよ。そこに距離がある。「流れるな涙」(「化粧」)とか。もっとすごいのが「銀の龍の背に乗って」の、「急げ悲しみ翼に変われ 急げ傷跡羅針盤になれ」。擬人化と言えば擬人化だけど、自分をことを書く時に客観性のフィルターが一枚かかっている感じというか。
それはなるべく「曖昧な気持ち」みたいなことに私はしたくないこととも関わってるのかもしれません。いやもちろん、曖昧なものにしておきたい人がそれを曖昧と呼ぶのはいいんですよ。でもはっきりしたい/してる人の気持ちを、よくわからないからといって曖昧と呼ぶのは違うと思う。言葉はできるだけ正確ではあるべき。どっちも人の歌もJ―POPが歌ってあげないといけないとして、今回は後者を担当かなと思います。
だから「楽しい悲しい恥ずかしい誇らしい」っていう歌詞が書けてよかったですね。 「楽しい」か「悲しい」かの二項対立なんて欺瞞なので。それは全然両立するというか、両方同時に起きる。 でもそのどっちかが強くとられちゃうことってよくあると思うんです。「楽しいですか?」って聞かれて、「楽しいです」と答える。でも「楽しいですけど、悲しいです」って付け加えると、まるで悲しいのほうが、強く聞こえてきたりする。いやそうじゃなくて、楽しいし悲しいだけなんですよみたいな。
これは自分の中では全然複雑なことではなくて、何かを認識する時に諦めずに追求すると大体あると思うんですよね。楽しいがある、でもその横に悲しいもあるのが、ただ見えてくる。それを正確に言ってるみたいな感じなんですけど。 そういうことはこれからも歌っていきたい。
ーー楽しいし、同時に悲しいし、恥ずかしいし、同時に誇らしいことは、決して曖昧なことではないと。
そうなんですよね。私は楽しくて悲しくて、恥ずかしくて誇らしいという気持ちが、明瞭で明瞭で仕方ない。
・最後に
ゆ EP全体を通して、K-POPのフォトブックにもすごく影響を受けていて。もともとEPの最初のコンセプトも、Red Velvetの『Cosmic』っていうアルバムのフォトブックのとあるページみたいなのがしたいなぁと思って、全体のイメージも組んでいったし。 最近はK-POPアイドルのことばっかり考えているから、サウンドよりも作詞の上でもすごくK-POPの影響を受けている。歌詞を書く時はいつも考えてる人のことを書くことになるから、登場人物としてアイドルをイメージすることも結構多くなった。そういう刺激は結構ありますね。そんな影響の受け方あんのかよって感じですが。
あと今まで楽曲を作る時の参考にしてたものって、J-POPがすごく多かったんです。でも、結構リファレンスとして出すものがBeyoncéとか、Sabrina Carpenterとか、Taylor SwiftとかCharli xcxとかKylie MinogueとかDua Lipaとか、そういういわゆるDIVAと言われて皆様がまず思い出すようなアーティストやジャンルに接近してきたというのも、今までにない変化だったなぁって感じがします。
サウンドの仕上がりとしては、カラオケで歌いたくなるとか、歌いたくなるメロディーがとても大事なので、と説明して作ってもらっているし、結局日本語で歌詞を書いているので、今まで通りに聞こえるかもしれないんですけど。でもその源として、DIVAめいてきたっていう感じですね。
次のアルバムは2026年に一応出す予定です。出すんじゃないかなさすがに5周年の。まあ、今の気持ちとしてはこのダンス、ディスコサウンドに絞っていくのとかいいのかな? みたいな気持ちはありますね。小室哲哉とかもそうだけど、踊れる曲ですっごい切ないことを言ってみたい。 そういう孤独な魂が、うん。
2025年8月16日、世田谷 取材・構成:浅井美咲、結城秀勇 写真:やないももこ
EP情報
ゆっきゅん『OVER THE AURORA』(8月27日配信)
OVER THE AURORA(作詞:ゆっきゅん、作曲・編曲:鯵野滑郎)
UCHIAKE HANABI(作詞:ゆっきゅん、作曲・編曲:鯵野滑郎)
去年の夏は一日(作詞:ゆっきゅん、作曲・編曲:鯵野滑郎)
Oh My Basket!(作詞:ゆっきゅん、作曲・編曲:鯵野滑郎)
余計な勇気(作詞:ゆっきゅん、作曲・編曲:鯵野滑郎)
◼︎ライブ情報
『OVER THE AURORA TOUR』
11/14(金) 名古屋SOUND SPACE DIVA
開場18:30 開演19:00
11/15(土) 梅田LIVESPACE ODYSSEY
開場18:00 開演18:30
11/19 (水) 代官山UNIT
with AURORA♡DIVAs
開場18:30 開演19:00
チケット
VIP(優先入場+AURORA DIVA ZINE)¥7000
一般 ¥4000
一般発売中!
▼チケットはこちらから
https://eplus.jp/sf/detail/3624030001
◼︎ゆっきゅん『OVER THE AURORA』掲示板
https://overtheaurora.1my.jp/