映画について書く:現代作家たちへのインタビュー Écrire sur l'écran 第一回 夜から始まる物語――メイリス・ド・ケランガル氏へのインタビュー part2
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ーー子どもの頃から読書や執筆がお好きだったそうですが、当時から作家になりたいと思っていましたか?
特に早熟だったわけではありませんが、7、8歳くらいの頃から本をたくさん読むようになりました。童話や、子ども向けの叢書から選んだ本を次々とむさぼるように読んでいたんです。主人公はだいたい自分と同じくらいの年齢の子どもで、いろいろな出来事に遭遇したり、謎を解いたりする物語でした。それ以来、読書をやめたことはありません。むしろ、私にとって書くためには読むことが必要なのです。つまり、たくさん読めば読むほどよく書けるし、読んだ本に心を動かされれば動かされるほど、書くことへの刺激が高まります。
だから、私は執筆中であっても読書をやめたりはしません。人によっては、書くことと読むことが混ざってしまうのを避けるために、読書を中断するという人もいますが、私はそうした心配はあまりないんですね。私の本は常にほかの本の上に成り立っていて、ほかの本との緊張関係のなかで、あるいはほかの本に抗うかたちで、また、ほかの本を出発点として書かれているのです。
もともと私は作家になる宿命にあるといった意識はありませんでした。書くことが自分の道だとか、運命だとか、そう感じたこともありません。それなのに、自分が人生のすべてをそこに費やしていると気づくと、今でも驚くことがあります。思春期の私はとても散漫で、移り気な学生でしたし、書くということは孤独に結びついているように思っていたんです。机に向かい、パソコンに縛りつけられ、部屋に閉じこもることは、自分が送りたい人生とは正反対に思っていました。
ーーでも結局、あなたは作家として生きていますよね。どのようにして作家になったのですか。
難しい質問ですね。なかなか答えるのが難しい質問です。ベケットのように「自分にはこれしかできなかったから」と答える作家もいます。そうした人にとっては、作家になることは明白で避けられない道だったのでしょう。けれども、私にはそのような経験はありませんでした。書きたいという「欲望」さえ、はっきりとはなかったのです。初めて書いたときに何が起きたのか──書くという行為への移行、逃走のようなもの──を、私はこれまできちんと分析したこともありません。
最初の本を書いたのは、特殊な状況のなかでした。アメリカに初めて滞在をして、母語から切り離されていた時期です。私は拙い英語しか話せませんでした。夫が学業を再開するのに同行し、子どもは学校へ通い、私は仕事を辞めて彼とともに旅に出ていたのです。私の前には広大な時間が広がっていました。日々の時間は大きく膨らみ、最初はその時間にどう住むのかという方法として、書くことと結びついたのだと思います。時間を「住みこなす」ひとつのやり方として。しかし書いているうちに非常に強烈な体験をし、それが続ける力になりました。あれから25年が経ち、書き続けています。
最初の本を出版し、次に2冊目を出したときも、文学の賭けやその運動がどういうものか、私にはまったく分かっていませんでした。ジャン・エシュノーズやアニー・エルノーを読んではいましたが、現代文学について深く知っていたわけでもないし、偉大な理論も知りませんでした。私の文学との関係はかなりシンプルなもので、哲学や理論を経由していません。実際、当時出版されていた作品についても、そんなに知りませんでした。私はその世界から遠く、「外部」にいたのです。
「どうやって作家になったのか」という問いで、私がより関心を持つのは「なる」という動詞の方です。たしかに、1冊また1冊と積み重ねることで、作家になっていったのだと思います。ドゥルーズ的な生成変化のプロセスのなかにいるという考えに近いのです。多くの作家とは違って、書き始めた当初、私の文体はまったく定まっておらず、手探りでした。
当時は、旅行ガイドの編集者をしていました。その仕事を15年ほど続けていました。すでに本を出版していましたが、「あなたの職業は?」と聞かれたら、「作家です」とは答えられず、「児童書の編集者です」としか言えませんでした。ところが『花も冠もなく(Ni fleurs ni couronnes)』を書いたとき、状況が変わりました。何かをつかんだと感じたのです。ひとつの声、エネルギーや推進力をつかんだと。それからは人生を変え、文学に場所を与え、作家としての立場を引き受けました。なぜなら、「書くこと」と「作家であること」は別だからです。
ーーその2つの違いとは何だと思いますか。
「作家である」ということは、ひとつの社会的役割を引き受けることであり、社会のなかで場所を占め、その場に正当性を感じ、居心地よくいられるということです。単に書くだけでなく、文学の世界のなかで活動し、その一部を担うことでもあります。けれども私が好きで、私が望んでいるのは「書く」という行為そのものです。すべてはこの行為に集まり、すべてがこの現在の瞬間に凝縮されるのです。長いあいだ、私は「作家であること」や文学の場に位置を占めることには興味がありませんでした。けれどもここ数年、その意識は変わってきています。
ーーではここで、あなたの作品について、もう少し具体的な質問をさせてください。
あなたの文章は映画からも大きな影響を受けているように思えます。映画との関係は、どのようなものでしょうか。
私は映画とともに、映画との関係のなかで書いています。作品を組み立てるとき、まず映画の語彙を使うんです。「シークエンス」「モンタージュ」「パン」「ズーム」といった言葉で自分の作品を語ります。光学的な視点が、私のテクストでは中心的な役割を果たしているのです。たとえば、ひとつの状況を余すところなく削り取るような私の長い文は、私にとってはまさに「長回し」なのです。『コルニッシュ・ケネディ(Corniche Kennedy)』には映画的な要素が多く含まれています。映画というのは、基本的に人々が行動する姿を見せるものですよね。彼らが画面で何かをしている、それを私たちは見ている。ただそれだけです。私はこの小説で、その直接的で正面から迫るような、強烈な感覚をつかみ取りたいと思いました。
映画に私が打ちのめされるのは、感情が心理的な内面描写を必要としないところです。身体が語るのです。登場人物の心の中にアクセスすることはできない。語るのは身体であり、身振りであり、運動であり、空間のなかでの位置取りなのです。そうしたものが精神の代弁者となる。
私の文章も目の前に現れるものをとらえ、現実の表面、肌の表面をなぞるように進んでいってほしいと思っています。私が描きたいのは、目の前に現れるものです。たとえば恋愛の出会いや失望といった感情も、映画では顔の動きや身体の傾き、視線をそらすといった仕草で表現されますよね。その方がより荒々しく、より肉体的で、私はそこに強く惹かれます。だから知的な分析や心理的な語りを持ち込むことには、ためらいがありました。
ーー『東へ逃げる』のことを思い出しました。
『東へ...』は、まさに「現象学的」な原理に基づいて書かれています。身振りが意図や感情、人間の痛みや恐怖を伝達するのです。しかもこの小説では、登場人物たちは共通の言語を持っていません。言葉にアクセスできず、すべてが身体のなかに凝縮されているのです。
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