映画について書く:現代作家たちへのインタビュー Écrire sur l'écran 第一回 夜から始まる物語――メイリス・ド・ケランガル氏へのインタビュー part1
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アラン・ロブ=グリエやマルグリット・デュラスが活躍したヌーヴォー・ロマン以後、文学は映画との距離をいっそう縮めてきた。映画から直接的な影響を受ける場合もあれば、逆に意識的に距離を取ろうとする場合もある。いずれにせよ、小説と映画の関係は、もはや無視できないものとなっている。
今回インタビューに応じてくれたのは、ゴンクール賞候補に名を連ね、現代フランス文学を代表する作家のひとり、メイリス・ド・ケランガルである。映画『あさがくるまえに』(カテル・キレヴィエ監督、2016年)の原作で知られる彼女の作品には、『山猫』や『泳ぐひと』にオマージュを捧げた『夜が深まる頃に(À ce stade de la nuit)』、あるいは西部劇の趣を帯びたと評される『橋の誕生(Naissance d'un pont)』など、映画的感性の発露が随所に見られる。また、俳優メルヴィル・プポーとの共著『サッシャ・ルノワール(Sacha Lenoir)』にも取り組んでいる。今回は、そんなケランガル氏に創作の秘密、そして映画との関係について語ってもらった。
ーーまずは執筆のスタイルについてお聞かせください。
あなたの小説は夜のシーンから始まるものが多いように思えます。『旅路の人生(La Vie voyageuse)』『夜が深まる頃に(À ce stade de la nuit)』『東へ逃げる(Tangente vers l'est)』などが例として挙げられますし、短編「灰の下で( « Sous la cendre »)」の「夜のほうが好き」という冒頭のフレーズも印象的です。これは、あなたが夜に執筆することが多いことの反映なのでしょうか?
夜に書くのが好きです。よく夜に執筆しますね。とりわけ本を書き終えようとしているとき、夜と昼とが溶け合い、ただ書くことだけが残るようなときには。まず、夜は非常に濃密な詩的モチーフです。黒、闇、見失われる身体、手探りで空間を再構築していく手、沈黙のなかで浮かび上がる音。昼というのは夜を通じて理解できるものだし、光は薄闇を通じて理解できるものです。私は皆が眠っているなかで、夜更かしするのが好きです。夜は別の世界を開いてくれます。秘密や幽霊や夢の世界であるのと同時に、周縁や取引の世界でもあるから。夜は、街や祭り、セクシュアリティのまったく別の体験にアクセスさせてくれます。それは世界の裏側です。私の小説がしばしば夜から始まるのは、本が「明るみに出る」もの、あるいは「考古学」として機能してほしいからです。小説はまた、この不透明なものを照らし出すものでもあります。何もはっきり見えず、音がくぐもっているようなときである夜に始まる動きが好きなのです。そういう瞬間が好きです。夜には、生を生み出すための美しい出発点があると私は思います。
ーー『夜が深まる頃に』は、まさにそんな瞬間を描いていますね。
『夜が深まる頃に』では、夜はカプセルのように、深く穿たれていて言葉やイメージが流れ込み、満たされていくポケットのように経験されます。そこでこそ音がよりよく聞こえ、ものがよりよく見え、だからこそ想像力もより豊かになるのです。まるで、明晰になれるのは夜だけであるかのように......。
ーー一日のなかで特に執筆に向いていると感じる時間帯はありますか?
書き始めるまでに時間がかかるんです。執筆に入るというのは、いつもまず、他のことから離れることだからです。何ひとつ自動的にはできません。それはある種の身振りを伴います。たとえば、別の本を読んだり、メールに返事をしたりすることもあります。でも実際には、その時点でもうすでに書いているんです。私は午前中から仕事をしていますが、本当に書き始めるのは午後です。午前中に、書かないでいる時間を使い果たして、ようやく始められる。午後になると、もう時間が残っていないという気がしてきます。そうですね、午後のほうが少しうまくいく気がします。そして夜になると、たいてい終わりにして、仕事場を後にします。
ーー現在の執筆習慣について教えてください。定期的に出版されていますが、どのようなリズムで執筆されていますか? 毎日書かれるタイプですか? それとも、テーマが定まったときに集中的に書かれるのですか?
私は日々、書くことと向き合っています。もはや長いあいだ続いてきた習慣であり、私自身との長い旅路のようなものです。実際、ほとんど毎年何かしらを出版しています。アーチのように大きな作品である小説があり、そのあいだを埋める大抵はもう少し短い本や、依頼による本があります。たとえば『黒のスーツケース(La Valise noire)』は、『引き波の日(Jour de ressac)』の校正を終えた直後、昨年の夏に書いたものです。これらの本はまた、私の頭のなかで何が起きているのか、どうやって本から本へと移っていくのかを物語っているのです。
ーー本から本へ移っていくというのはどういうことでしょうか?
それは、川の浅瀬に置かれた小さな石のようなものです。大きな石があって、でもそこから別の大きな石へ進むには、小さな石をいくつも置いて橋のようにして渡っていく。そういう小さな石が、また別のものを築いていくんです。書物もありますが、雑誌に発表する文章もあります。そしてこのすべての作業は非常に活動的なので、私は毎日、何らかのかたちで書くことと関わりをもっているのです。ですから、「毎日書いている」とはっきり言うことはできませんが、毎日、読み返したり、修正したり、書いたりしています。ただ文章を修正するだけの日もあります。でも、毎日、自分のファイルを開きます。
ーーファイルとおっしゃいましたが、始めからパソコンを使って執筆されるのですか?
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ノートは私にとって欠かせないものです。打ち合わせのときにメモ書きをしたり、ちょっとしたスケッチ、場面やシークエンスのアイディアを記録します。ノートはまるで録音機のように機能するのです。執筆を支えたり、きっかけを与えたり、先立って働いたり、再び書く力を呼び起こしたりもします。仕事のある段階では、ノートを取ることが点火装置のような役割を果たし、そのメモがテクストを動かす小さなエンジンになるのです。ノートがなければ、私はなかなか書き始められません。支えを失ったように漂ってしまう。ノートは私の仕事における最初の素材なのです。