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August 24, 2026

『急に具合が悪くなる』 アラン・ギシャウア インタビュー 

[ cinema ]

以下は『急に具合が悪くなる』の撮影監督を務めたアラン・ギシャウアへのインタビューである。元記事はAFC(フランス撮影監督協会)のウェブサイトに掲載されたもので、ギシャウア氏および聞き手のマルゴ・カヴレ氏の許諾を得て、ここに訳出する運びとなった。
ギシャウアが濱口監督とどのように出会い、言葉を交わしていったかに始まり、撮影準備、カメラやアスペクト比の選定、撮影の手順、照明、現場が進行するにつれて生じたスタイルの変化、そしてグレーディングに至るまで、きわめて具体的な制作の過程が語られている。


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カンヌ国際映画祭、コンペティション部門に選出された『急に具合が悪くなる』では、介護施設に新しいアプローチを導入しようとしつつも、苦戦している所長のマリー=ルーが、末期ガンを患う日本人の演出家、真理と出会うことで人生が転機を迎え、それまでの常識が揺らぎ、信念を深め、他者に対して自らを開いていくきっかけを得ることになる。カンヌの常連となった濱口竜介(『寝ても覚めても』『ドライブ・マイ・カー』)は、今回、フランス人の撮影監督、アラン・ギシャウアとタッグを組んだ。上映時間が3時間16分あり、テーマ(老い、死、障害、資本主義、政治、友情、芸術など)も広範に及ぶ『急に具合が悪くなる』において、この撮影監督は、日本的な静謐さとフランス的な躍動感を融合させた、変化に富む映像スタイルをつくりあげた。 (マルゴ・カヴレ)


──濱口監督とはどのように出会ったのですか?

濱口監督はこの日仏共同制作の作品のためにフランス人の撮影監督を探していました。そのなかで私に会いたいと言ってくれて、とても嬉しかったです。まずビデオ通話をして、私が送った2本の映画、『みんなのヴァカンス』と『また会えるよね』についていくつか質問を受けました。ギヨーム・ブラックのドキュメンタリー的なアプローチが監督の心に強く響いたのだと思います。また、私が少ない人数のスタッフでも仕事ができるのだろうと確信してくれていたようです。さらに私が照明に力を入れた『スペアキー』(ジーン・アスラン、ポール・サインティラン)についても、興味深い対比を示してくれました。
監督の作品は何本か見ていて、2025年にシネマ・デュ・レエルで見た東北記録映画三部作(『なみのおと』、『なみのこえ』、『うたうひと』)も深く印象に残っていました。東北記録映画三部作では、2011年の津波の被災者たちに質問を投げかける様子が捉えられています。表面的には、単純な切り返しの連続で、ときおり被写体がカメラ自体を見つめる場面もあるのですが、極めてドラマティックで緊張感のある瞬間に満ちていて、そんな瞬間をつくりだすことのできる手腕に驚きました。各々がその瞬間に渦巻く思考や感情を掘り下げる力量が見て取れるし、対話を重ねるなかで、互いの言葉に注意深く耳を傾けながら、それぞれが自らの感じていることを余すことなく表現しているように見えました。とくにインタビューを受けた多くの人が状況はきっとよくなっていくはずと締めくくっていた光景が心を揺さぶり、癒しをもたらすものでした。その後撮った『ハッピーアワー』もこの三部作の延長にあるもので、今日でも監督を特徴づけるドキュメンタリー的なアプローチを引き継ぐものだと気づきました。
こうしてわれわれは脚本についてじっくりと意見を交わしていくことになりました。非常に力強く、映画ではあまり扱われることのない多様なテーマを掘り下げた独創的な脚本でした。二人の女性の間で育まれていく絆の強さを映像に収めたいという思いはますます強くなりました。

──撮影準備はどのように進んだのでしょう?

監督はすでにプロジェクトに数年がかりで取り組んでいて、撮影開始の三ヶ月前に最終準備の段階でパリに来たのですが、その時期はちょうど私も時間が確保できる時期でした。話し合いの拠り所は、これまでわれわれがそれぞれ関わってきた映画でした。フレーミングや照明、編集などについて、監督はためらいなく質問してくれました。たとえば『スペアキー』では、ポール・サインティランからの要望で左右対称に見えるように切り返しを行ったのです(彼はジャック・ベッケルのいくつかの作品を参照していました)が、濱口監督にとってはこれがやや機械的すぎると感じられたようです。このフィードバックは私にとってとても貴重なものでした。
あるいはジョン・カサヴェテスと成瀬巳喜男もわれわれにとって重要でした。両者の映画はまったく異なるスタイルで、共通点を見出すことが果たして可能なのかと疑問に思われるかもしれません。しかし、この二人を通じて影響を与えられた部分はたしかに存在します。たとえば成瀬の『稲妻』、『浮雲』では、屋内において完璧な固定ショットや非常に精密なショット割りが見られ、それによって空間が少しずつ構築されていきます。照明はどちらかといえば古典的でとても丁寧に施されており、豊かなグレーの諧調が広がっていて、ときに草木の影が映し出されることもあります。人物の表情は明瞭に読み取れるのですが、画面には柔らかさや明るい部分があり、コントラストは控えめです。それと同時に照明のトーンや雰囲気が作品の進行やシーンの切り替わりに合わせて変化していくという点において、どこか非常に現代的な一面も持っている。一方、屋外で成瀬は人物が歩く際に長回しのトラヴェリングを用いることを好みますが、これはどこか『急に具合が悪くなる』を思わせるところがあります。
カサヴェテスに関しては、俳優たちに与えられた自由さが監督を惹きつけていました。実際、監督は最初から集団の場面を二台のカメラで撮影したいという意向を示していました。
結局のところ、この準備で重きを置いたのは技術的なことよりも人と人との関係でした。映像そのものについて話し合ったのは数度しかありません。準備の大部分は、助監督のアマンディーヌ・エスコフィエが組んだ厳格かつ緻密なスケジュールに基づいて行われ、中心となったのは、出演する俳優たちと共に、映画のあらゆる場面を含んだ本読みを行うことでした。私やセカンドの撮影担当、音響技師も演出部と同様に本読みに呼ばれたのですが、このことにより、俳優たちも徐々にわれわれが演じる場に存在することに慣れていけたのだと思います。撮影の2週間前には、現場で直接絵コンテについて話し合いました。その際はカメラアングルを固めすぎないように注意しました。
私はいつもプロジェクトに応じて一緒に仕事をするスタッフをとても慎重に選んでいます。この作品では、この繊細な物語に寄り添える、感受性の豊かな人たちと仕事をする必要がありました。撮影現場での立ち居振る舞い、つまり「人との接し方」にも長けた人たちです。いわば「日本的な魂」を持った人たち、とでも言えばいいでしょうか。照明にはトム・ポルト、特機にはステファン・ジェルマン。カティ・バイヨが撮影第一助手を務めています。全40日間の撮影期間のうち、20日間は二台のカメラで撮影することになっていたのですが、監督は二台目のカメラの撮影を臨時補強として呼ぶのではなく、日常的に撮影チームの一員として参加することを望んでいました。そのためコランタン・コラージュが撮影第二助手とカメラオペレーターの役割を交互に担当することになりました。

──撮影機材について教えてください。

まずトランスパ・カメラ社と協力し、そこでカメラとレンズを選定するための比較テストを実施しました。その後、最終グレーディングが行われる予定のギャンプ社で映像を確認しました。まず有力な候補となったのが、ライカRのレンズ。もともと1970年代末に設計されたスチールカメラ用レンズで、TLS社によってフルサイズ撮影に対応するよう改造されたものです。その優美さと精密さに魅了されましたし、どこか古さを感じさせながらも同時に現代的で、少し時代を超越したような魅力があります。並行して、フル解像度のAlexa 35とRED Raptorを比較しました。両方のカメラとも肌理と色の豊かさで拮抗していて、それぞれが独自の個性を持っていました。
テストを始める前、監督からは標準の35mmフォーマットを使い、基準となる焦点距離は40mmにしたい、という希望を聞いていました。ところがRED Raptorは、標準サイズよりも大きな大判センサーを搭載したカメラです。センサーが大きいと、同じ40mmのレンズを使っても、標準フォーマットの40mmより画角が広く写ってしまう。つまり、監督が求めていた「標準の35mmセンサー+40mmレンズ」特有の画角を、RED側でそのまま再現することはできない。しかも比較していたライカRのレンズには、そもそも40mmという焦点距離自体が存在しませんでした。ところが、実際に撮影テストをしてみると、REDのセンサーには大きな強みもあった。高解像度で撮った映像を、画質をほとんど落とさずに、後から部分的に切り出せる、クロップできるという柔軟性があったのです。8Kで撮っておき、そこから6Kまでクロップしても、目立った画質の劣化がない。クロップすれば、大判センサーで生じてしまう「画角が広くなりすぎる」問題を解消することができます。具体的には、50mmレンズを使って8Kで撮影し、そこから7Kまでクロップすることで、監督が求めていた40mm相当の画角をぴったり再現できました(さらに、手ぶれ補正や後からの微調整に備えて、10%ほど余裕を持たせています)。このやり方が使えたおかげで、もう一つ大きな利点も生まれました。レンズを二セット別々に用意しなくても済むようになったのです。たとえば会話シーンで、切り返しのカットを撮るとき、片方を8Kで50mmレンズ、もう片方を7Kで60mmレンズを使って撮影しても、クロップの度合いを調整することで、自然に画角を揃えることができました。
RED社のカメラの色彩の再現、とくに肌の色合いも気に入りました。日中は800ISOで撮影し、夜のシーンでは1600〜2500ISOあたりまで上げていました。この場合、ポスプロで軽くノイズ除去を行う必要があります。
ライカRのレンズを実際に使ってみて気づいたのは、ほとんど二つの異なる性格を持っているということです。T4より絞りを閉じた場合、精密でかなり現代的、シャープな描写になります。逆にT4より開けた場合、より柔らかく、あまり見ないような素晴らしい描写に変わります。夜のシーンでは、画面の端まで活かせる8Kセンサーを選ぶことが多く、渦を巻くような、ほとんどバロック的とも言えるぼやけた感じが得られました。さらに、ハイライト部分に滲みを生み出す、ごく薄いクラシックソフトのフィルターも頻繁に使用していました。

──珍しいアスペクト比ですが、どのように選ばれたのでしょうか?

撮影テストを重ねるなかで、1.5:1というアスペクト比(写真フィルムの24×36判と同じ比率)に決めました。この比率は、1.33:1の長所を備えながら、二人の人物を同じフレームに収める際にも演出しやすい比率です。ショットのサイズは比較的ワイドなものを多用し、全身ショットやアメリカン・ショットを中心に、腰から上のショットは少なめにし、クローズアップもごくわずかにしました。この画面比率によって、人物の頭上にたっぷりと空間を残す構図が自然に生まれ、介護施設の中庭の木々や葉の茂りを際立たせると同時に、どこか軽やかで浮遊感のある空気を生み出すことができました。さらに縦線が収束してしまうのを避けるため、三脚に乗せたカメラを低めに構えていました。これによってある意味で人物をより大きく、引き立たせる効果もあったと思います。

──実際の撮影はいかがでしたか?

カット割りは監督が考え、前日か数日前に文書の形でそれを受け取っていました。とくに集団の場面では、人物の配置が細かく決められていました。ただ全体としてはしっかりと柔軟性があり、リハーサルを経てから当日中に調整することも可能です。監督の方法は、まず技術スタッフを入れずに、俳優だけをセットに呼ぶというものでした。撮影機材(カメラや、脚立に載せた照明機材)もセットから運び出すか、少なくとも目立たないように片付けておく必要があります。そこでまず俳優たちと本読みをする。私はその間セットの端でそれを見ている。次に俳優たちはセットの外へ行ってリハーサルを行い、その間に技術スタッフがセットに入って準備を整えます。俳優たちが戻ってきたら、まずリハーサルをして、その後ワンシーン・ワンカットで撮影しました。ワンテイクだけです。それから、リハーサルを経ずにアングルを変えます。こうした行程によって、われわれスタッフも俳優たちも、極限まで集中することができていたと思います。必要であれば、一通り撮り終えた後で同じ場所に戻ってくることもありますが、同じアングルでテイクを重ねるよりも、監督は別のカットを撮ることを好んでいました。

──その場合、照明はどのように準備するのでしょう?

たしかに、このような方法を採用するにあたり、照明を調整する時間が限られてしまうため、比較的規模の大きい技術スタッフが必要になるだろうと思っていました。事前の準備は不可欠ですし、さらに実際に運営中の介護施設で撮影していたため、機材の片付け、運搬、そして設備の安全確保について、厳密さが求められました。
フレーミングについては、監督と絶えずやりとりをしていました。一方、照明については私に大きな裁量を任せてくれました。ただし、照明は決して俳優たちの妨げになってはいけない。つまり、照明機材を設置することで、いわゆる「芝居の空間」を狭めてしまってはいけない。この「芝居の空間」とは、実際カメラのフレームに収まる範囲よりもはるかに広いものでした。そのため、照明はできるだけ離れた場所、基本的には室外から当て、さらに俳優の目線より高い位置に設置しました。これほど離れた場所から照明を当てながら、二人の女優に均一で調和のとれた光を届けるのは、まさに至難の業です。とくに、広い空間(舞台や食堂、レクリエーションをする部屋など)で展開するシーンではなおさらです。
たとえば、食堂で行われる二つの会議の場面では、それぞれの窓の真上に木綿製のキャスケットを設置して、そこに9kWのHMI照明を反射させて光を作りました。二回目は、さらにマキシブルートを使い、差し込んでくる日差しを再現しました。フレーム内に映る窓自体はそれほど強調したくなかった。この作品では常に室内から外の様子がうかがえる状態を保ちたかったからです。そのため、昼間に撮影した「夜の室内」の場面については、窓にかなり遮光性の高いプレキシガラスを取り付けました。これにより介護施設の中庭が、控えめではありますが、画面に映り込むようになっています。
全体として一定の明るさを保ち、画面の連続性を確保することに加えて、私は、自然光がこちらの意図を追い越してくる余地を残しておきたいとも思っていました。この夏は「フォス・タント(予測不能な色味や光の揺らぎ)」の多い時期で、そうした予期せぬ変化が画面に現れることをわれわれはむしろ面白いと感じていました。私はもともと、クレール・マトンのもとで撮影助手としてこの仕事を始めたのですが、絞りに指を添えたまま常に準備し、不意の出来事が起こるのをあえて待つ態度は、いわば彼女の流儀を受け継いだものです。監督はこうした態度を編集の段階で、実にうまく活かしてくれました。

──映画を通して撮影のスタイルに一定の変遷が見て取れる気がしますが、どうでしたか?
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脚本を読んだときから、マリー=ルーと真理の関係が深まっていくのを彩るために、映画が進むにつれて光や色彩を変えていくのがいいのではないかと思っていました。序盤では、介護施設に備え付けられている天井の照明を参考に、空間の一部を照らすようにしました。それから少しずつ窓から差し込む光を増やしていく。豊かな光、すなわち陽の光が室内を溢れんばかりに照らすような表現を目指しました。
このアプローチの到達点は、寝たきりの真理のもとへ、吾郎が別れを告げに訪ねてくる場面でしょう。あの赤く染まった太陽が沈んでいく時間です。そこまで撮影が進んだ頃には、私はより大胆に光を取り入れてもいいと考えるようになっていました。脚本に記された、とても創造意欲をかき立てられるト書きにも後押しされました。「夕陽の光が部屋に差し込み、介護施設の窓に反射している」というものです。撮影の最初からそうするつもりだったのかどうかは分かりませんが、結果的に監督もまた、演出の組み立てにおいて同じような変化を見せていきました。序盤では、フレーミングは非常に厳格に統制されていたし、長回しのためにカメラをドリーに乗せる場合でさえ、複数の異なる固定ショットを拾い集めるためのものだった。
しかし、俳優の演技を考慮して、監督は順撮りにこだわっていたのですが、そのことによって、撮影が進むにつれて、おそらく光の変化を感じ取り、そして何より、二人の女優のあいだで生まれているものを感じ取ったのでしょう、彼は文字通り「カメラを解き放って」いきました。そうして、次第にショットはより流動的になり、監督がわれわれに積極的に勧めてくれた通り、トラヴェリングやパンなど、より自由にカメラを動かすショットが増えていったのです。
テストで作り込んだLUT(ルック・アップ・テーブル(色調の変換表))も、この変遷に寄り添うものでした。同じ色彩のベースから出発し、まず一つ目のLUTを作成しました。これは、二人が出会う最初の夜より前の部分すべてに使う、より地味で彩度を抑えたもの。その後、二つ目のLUTが加わるのですが、こちらはより生き生きとしていて、とくに青が彩度高く強調されています。青を真理と結びつけたいと思ったのです。全体としてより明るく、色彩豊かな印象になっています。

──どのように画面の連続性を保っていったのでしょうか?

夜明けや夕暮れに展開するシーンがいくつかありますよね。たとえば、二人が出会う長い夜が明ける、介護施設の中庭でタバコを吸う場面。ここでは、照明の光を徐々に弱めていき、自然に朝の光にその場を譲っていくようにしたいと考えていました。何テイクか撮ったのですが、編集で採用されたのは最初のテイクでした。濱口監督ではよくあることです。夜明けの気配がかすかに感じられる程度で、明るさの変化としては本当にいちばん低いところに位置するシーンだったのですが、監督は暗さを恐れませんでした。それは逆光についても同じです。以前の濱口作品でも、こうした逆光をすでに見たことがありました。多用するわけではないからこそ、かえって印象に残るのだと思います。今作でとくに思い出すのは、二度目の夜明けの場面。今度は日本で、そのときのヴィルジニー・エフィラの姿は、背後から太陽が昇ってくるため、ほとんど判別できないほどです。この逆光は、撮影の段階から意図していたものでした。二日間にわたって撮影し、山の向こうから太陽が昇る瞬間を正確に計って撮影しました。毎朝、同じショットを撮影したのですが、一日目は霧が出ていて、太陽さえ見えなかった。二日目は上手くいき、最終的に、二日間分の映像を両方使い、場面が進むにつれて霧が晴れていくように見える構成になりました。監督は偶然を捉えることをとても大切にしています。それが作品にとって非常に重要な要素なのです。
二人が再会し、フランス国立図書館の広場から、セーヌ川岸まで歩く場面は、われわれが複数台のカメラを使って、一つのアクションを二つの異なる時間軸で撮影するということをやった唯一の場面でした。コランタンが階段の上で撮影し、下の方で私がそれを引き継ぎました。ここでも、正確なタイミングを測る必要があった。二人が河岸に到着する瞬間に、街灯が灯るようにしなければならなかったからです。この場面もまた、二日間にわたって撮影されています。二日目により速いペースで撮影したことで、夜が訪れる様子をより的確に捉えることができました。
日本での数日間が、このとても濃密な撮影の締めくくりとなりました。スタッフの多くはすでに監督と一緒に仕事をしたことがあり、まさに一つの家族のような結束を持ちながら、極めて高い技術力と集中力を兼ね備えたチームでした。セカンドカメラマンを務めたのは、『ハッピーアワー』や『悪は存在しない』の撮影を務めた北川喜雄さんです。
二つの国、二つの文化をまたぐこの作品を海外で撮影するということは、濱口監督にとって大きな挑戦であり、リスクを伴うものでした。ときに厳しい注文であっても、つねに明確で思いやりをもって伝えてくれる監督に対して、私はできる限り寄り添おうと努め、監督の希望をできる限り尊重するよう心がけました。

──グレーディングはどのように進みましたか?

ギャンプ社で三週間のグレーディング期間があったのですが、3時間16分という映画に対しては、決して長いものではないと思います。私はいつもガディエル・バンドラックと一緒に仕事をしていて、彼の感性をとても気に入っています。質感を統一したり、顔のテカリを抑えたりする作業には手間がかかりました。というのも、われわれは照明機材を離れた位置から使わざるを得ず、拡散布を被写体に近づけることができなかった。グレーディングの間、監督も立ち会ってくれました。監督が最後の段階まで自身の選択を突き詰めていくことは、いつも貴重なことです。そこでいくつかの表現上の狙いをさらに強めました。逆光の使い方、夜の場面の暗さ、そして真理のラストカット。そこでは画面が露出オーバーになり、ほとんど消え入りそうな映像になっています。これらは、通常の基準からすると、整っていないショットですが、それこそがこの映画の語ろうとしていることに寄り添っているのです。

翻訳:梅本健司