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September 3, 2026

『ヒンド・ラジャブの声』カウテール・ベン・ハニア
金在源

[ cinema ]

ヒンド・ラジャブの声.jpg 鑑賞後、電話越しに「たすけて」と訴えるヒンドの声と、それをかき消すかのような銃声が頭の中に響き続けている。彼女や助け出そうとした人々の結末を目の当たりにした今、本作について自分が何を語ることができるのか、思いあぐねている。冷静に何かを言葉にできるような気もしない。だが、それでも何かを書き残しておかなければという思いが、私の中にある。
 2024年1月29日、ヨルダン川西岸地区にある人道支援施設「パレスチナ赤新月社」に助けを求める6歳の少女ヒンド・ラジャブからの電話が入る。ガザ地区で彼女が親戚と乗っていた車がイスラエル軍に銃撃され、親戚たちの遺体の間に隠れながら彼女は必死に助けを求めた。救急隊員を派遣すれば8分で到着可能という場所でありながら、イスラエル側の許可を含むさまざまな手続きに阻まれる。なんとかヒンドを助け出すため奔走し、電話で励まし続け、それでもイスラエルによって引き裂かれていく人々の姿を本作は映し出す。
 だが本作は、この惨劇を単に再現しているのではない。ヒンドの肉声を使いながら(録音されていた音声のファイル名が表示されている)、それを取り巻く人物たちは俳優によって演じられている。ヒンドの肉声や、救出に携わった人々や家族のインタビューを使ってドキュメンタリーとして構築するのではなく、あえて劇映画としてこの出来事を描いているのだ。爆撃や凄惨なパレスチナの状況を映し出すことなく、電話と無線が飛び交う密室の救出劇によって、当時の緊迫した状況を描き出す。
 それは同時に、虚構と現実の境界でねじれを生じさせる。演じる俳優たちの間で、現実にヒンドが発した声が響く。この映画において唯一再現されないのがヒンドの身体である。しかし、その声を通して、ヒンドをもう一度私たちの前に呼び戻す。その声は劇映画という虚構の中に、現実を侵入させる。
 その揺らぎが最も大きくなるのが、終盤、救急隊がようやくヒンドの隠れる車に到着する場面だ。そこでは、演じる俳優たちをバックに、当時スマートフォンで撮影されたと思われる実際の映像が同じ画角で重ねられる。それまでスクリーンの中で「演じられていた」出来事が、突然、現実に起きた出来事として姿を現す。虚構と現実の境界が壊されるその瞬間、ヒンドの声も今この瞬間に私たちに届く声になる。
 ハマスとの戦いの名の下にイスラエルによるパレスチナへの侵攻が始まってから3年が経過しようとしている。停戦発効中であってもイスラエル軍による爆撃などは止む気配がない。私は本作を鑑賞しながら、以前執筆した『プロミス』というドキュメンタリー映画のことを思い出していた。平和を創り出す存在として、イスラエルとパレスチナに暮らす子どもたちの交流を描いた作品だった。子どもたちの存在は和平に向かうための希望であるかのように見えた。しかし、本作を目の当たりにしたとき、子どもたちを希望とするのも、虐殺の対象とするのも、それがただの大人の都合でしかないことに気付かされる。
 私にもヒンドと同じ年代の子どもがいる。ヒンドが孤独に生き抜いた3時間はどれほどのものだっただろうか。それを想像するだけで、私は居ても立っても居られない気持ちにさせられる。だが、私はこの事件を前に、「共感できる/できない」はもはや関係ないとさえ感じている。イスラエルによる虐殺が始まってから3年。その現実から私はだんだんと目を逸らしていなかっただろうか。小さな命をおもちゃのように扱い、尊厳を奪い去ることに躊躇のない大人たちがいる。そんな大人の一人である私たちに何ができるのか。それが、パレスチナで今も怯える子どもたちからずっと問われ続けてきたのではないか。
 そんなことを考えながら、冒頭の疑問に戻る。あくまでこの映画を消費する側である自分が、この映画の感想なんか書いていて意味なんかあるのだろうか。それでも、カウテール・ベン・ハニアは映画の力を信じていると語っている【1】。彼女はヒンドの声をもう一度掬い上げ、この世の現実を暴き出し、その声を鑑賞者に響かせた。ならば私も、その声に応えるために、これを書く。私たちの小さな行いの先に、遠く離れたパレスチナがあると信じたい。
 ヒンドの「たすけて」という声は、2024年1月29日のあの時間だけに存在していた声ではない。ヒンドと同じように、銃撃に怯え、家族を失い、孤独の中にいるパレスチナの子どもたちの声が、今もこの世界のどこかで発せられている。その声を聴いたまま、私たちは何も変わらない日常に戻ってしまっていいのだろうか。問われているのは、イスラエルだけではない。私たち自身のあり方もまた、問われている。
 戦争の記憶から目を背け、イスラエルを非難できない国家に生きる私たちは、口をつぐんだままでいいのだろうか。私たちが選び取ってきたものと無関係ではないこの声が、今私たちに返ってきている。電話越しに鳴り響いていたヒンドの「たすけて」という声はもう鳴りやまない。その声は、私たちに向けられている。

【1】【カウテール・ベン・ハニア監督による声明文①】第82回ヴェネチア国際映画祭 授賞式 (2025.9.7)


9/4より全国公開

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